はい、今回は奈良県三宅町にある「天王塚古墳(てんのうづかこふん)」を紹介します。この天王塚古墳ですが、とりあえず盛り土があるだけで情報がほとんどありません。
三宅町の古墳ではよくあることですが、情報がほぼ無い盛り土があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、天王塚古墳のある奈良県三宅町に行ってきました。
天王塚古墳とは
天王塚古墳のある、奈良県三宅町に来ています。川西町・田原本町・三宅町一帯にかけては、小型の古墳が多数存在し「三宅古墳群」と呼ばれています。
一般的に古墳は丘陵地や尾根などに造られますが、三宅古墳群は盆地中央部の低湿地帯に築造されたのが特徴。5世紀後半から6世紀前半に築造され、100m以下の小型の前方後円墳で構成されています。
三宅古墳群の被葬者については、この地に存在した大王の直轄地である「倭屯倉(やまとみやけ)」を管理した役人の墓と考えられています。前方後円墳は大和王権につながりが深い人物に用いられることが多いことから、屯倉の管理者達の墓にも用いられたのかもしれません。
そんな訳で、天王塚古墳までやってきました。真夏の炎天下でいくつもの古墳を巡って辿り着きましたが、体力的に限界が近づいてきました。夏場の古墳巡りも命懸け。
天王塚古墳の東側に小さな公園があり、そこに古墳の案内板が設置されています。発掘調査が行われていないためか情報がなく、案内板もざっくりとした情報しか載っていません。

ちなみに遊具があるので公園かと思っていたのですが、もしかしたらただの何も無い空間でオモチャが放置されているだけかもしれません。

古墳名は、ここの小字が「天王」だったことが由来。天王の由来はおそらく、天王塚古墳の少し西側に立つ「杵築神社」の祭神が由来していると思われます。現在の杵築神社は須佐男命を祭っていますが、元々は牛頭天王を祭っていたのではないでしょうか。
ちなみに天王塚古墳一帯は「但馬」という地名がついており、周辺には「三河」「石見」という分国名の地名が散見されます。一説によると、大和王権が直轄地を開墾するために全国から農民を集めたとの説もあります。
ということで、謎の公園から少し西にある農道を歩き、天王塚古墳に向かいます。畦道を少し歩いて、ちょうど中間地点の南側に天王塚古墳が見えてきます。

さらに畦道を進めばもっと近くまで行けそうな気もするのですが、近くで作業をしている人もいるので、遠目で見つめるだけにしました。おそらく行っても「盛り土ですね」と呟くだけでしょう。

天王塚古墳は直径16mの円墳。それ以外に情報はありませんが、他の三宅古墳群と同時期に築造されたとすれば、6世紀前半から中盤にかけて造られたのかもしれません。

三宅古墳群は小型の前方後円墳が非常に多いので、天王塚古墳も円墳にしか見えませんが、元々は前方後円墳であった可能性もあるでしょう。いかんせん、発掘調査が行われていないため何もわかりません。
そんな訳で、謎の盛り土を見つめていても仕方がないので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、奈良県三宅町にある「天王塚古墳」を紹介しました。本当に情報がなく、見た目もただの盛り土という古墳でした。これを見てどんな感想を抱けばいいのかわかりませんが、熱中症の危険を冒して命懸けで見にくる古墳ではないかもしれません。心穏やかに古墳を観察したい方は、夏以外に訪れることをオススメします。
そんな訳で、天王塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、情報がない盛り土を紹介します。
天王塚古墳詳細
| 古墳名 | 天王塚古墳 |
| 住所 | 奈良県磯城郡三宅町但馬 |
| 墳形 | 円墳 |
| 直径 | 16m |
| 高さ | 不明 |
| 築造時期 | 不明 |
| 被葬者 | 不明 |
| 埋葬施設 | 不明 |
| 出土物 | 不明 |
| 参考資料 | 案内版 |
案内板
天王塚
南西約100m先にある円墳で、大字但馬小字天王にあるため「天王塚」と呼ばれる。当時の豪族の墳墓と考えられる。
三宅町教育委員会

