はい、今回は大阪府柏原市にある「金山彦神社古墳(かなやまひこじんじゃこふん)」を紹介します。神社の境内に古墳が保存されるケースはよく見かけますが、金山彦神社古墳もその一つ。
この金山彦神社古墳ですが、ただ保存されているだけでなく、信仰の対象として神社の一部に溶け込んでいます。神社に溶け込んだ古墳があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、大阪府柏原市にある「金山彦神社古墳」へ行ってきました。
金山彦神社古墳とは
金山彦神社古墳のある、大阪府柏原市に来ています。大阪府東部に位置する柏原市は、生駒山地と金剛山地の切れ目を奈良街道が通り、河内国と大和国を結ぶ交通の要衝にあります。
市内は生駒山地が半分以上を占め、この山中に2000基近くの古墳が築かれた「平尾山古墳群」が存在します。平尾山古墳群は、主に6世紀前半~7世紀に築造され続けた古墳群。遺物として朝鮮式土器が多く出土していることから、渡来系豪族の墓域と考えられています。


そんな訳で、今回は家族で柏原市にあるキャンプ場へ行くついでに、金山彦神社古墳へ寄ることに。金山彦神社古墳は、その名の通り、柏原市青谷地区にある「金山彦神社」の境内に存在します。青谷地区は、山の中腹にある集落ということで、道はかなり狭め。対向車とすれ違えない場所も多々あり、ヒヤヒヤしながならの道のりです。
金山彦神社の創建は不明ですが、927年に編纂された「延喜式神名帳」に記載されていることから、平安時代よりも前には存在したようです。祭神は「金山毘古神(かなやまひこのかみ)」で、イザナミが火の神を出産した際に、苦しみで履いた嘔吐物から生まれた神とされています。もともとは、山頂近くに祀られていましたが、中世に入り現在地に遷座したとのこと。

金山彦神社一帯は、古代から製鉄業が盛んな地域でした。古墳時代において鉄は大変重要な物資で、主に朝鮮半島より入手していました。平尾山古墳群の副葬品からは、朝鮮半島由来の土器が出土しています。
神社の創建は、鉄を加工する渡来系の技術集団がこの地に住み、鉱山を司る金山毘古神を祀り始めたのが、由来なのかも知れません。ちなみに金山彦神社から少し北には、金山毘古の兄妹である金山毘売(女神)を祀る「金山媛神社」も存在します。
とりあえず、金山彦神社にて参拝。境内はキレイに維持されており、地元の方から大切にされていることが伝わります。

目的の金山彦神社古墳ですが、本殿と拝殿の間に比較的広いスペースがあり、その右側に存在します。拝殿より先は立ち入れないようなので、少し離れた場所から見つめるのみ。

金山彦神社古墳は、平尾山古墳群の青谷支群に属する古墳の一つ。古墳の詳細は不明ですが、横穴式石室であることから、古墳時代後期の築造と思われます。発掘調査は行われていないようなので、規模や副葬品、棺については分かっていません。

こちらは、神社の横から柵越しに見た金山彦神社古墳。横穴式石室では何かが祀られているようですが、何が祀られているのかは不明。古墳と知らない人が見たら、石の祠があるだけにしか見えないでしょう。道路側から墳丘の裏側辺りに行けるようですが、神域をウロウロするのもよろしくないので、柵越しに見つめるだけに。

ちなみに、石室の正面に大砲の砲弾らしきものが祀られていました。日露戦争後に神社に砲弾等が祀られるケースがありますが、金山彦神社は製鉄に関係ある神社ということで、砲弾との相性はバツグンなのかもしれません。

そんな訳で、柵越しに謎の石室と砲弾を見つめ続けているのも不審者感満載なので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、大阪府柏原市にある「金山彦神社古墳」を紹介しました。神社の一部と化した横穴式石室が残るという古墳でした。ただ、横穴式石室があるという以外の情報が無く、行っても遠くから見つめることしかできません。仕方がないので謎の砲弾を見つめるしかありませんが、これも3秒ぐらいで飽きてしまいます。横穴式石室の前に砲弾が置かれた古墳を見たくて仕方がない人には、オススメの古墳ではないでしょうか。
そんな訳で、金山彦神社古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、神社の一部と化した古墳を紹介します。
金山彦神社古墳詳細
| 古墳名 | 金山彦神社古墳 |
| 別名 | なし |
| 住所 | 大阪府柏原市青谷2060 |
| 墳形 | 不明 |
| 直径 | 不明 |
| 高さ | 不明 |
| 築造時期 | 不明 |
| 被葬者 | 不明 |
| 埋葬施設 | 横穴式石室 |
| 石室規模 | 不明 |
| 出土物 | 不明 |
| 指定文化財 | 無し |
| 参考資料 | 案内板 |
