はい、今回は兵庫県明石市にある「幣塚古墳(ぬさづかこふん)」を紹介します。明石市にはかつて多くの古墳が存在しましたが、開発により多くが失われています。弊塚古墳は、明石市で現存する数少ない古墳ということもあり、明石市の指定文化財として登録されています。
そんな貴重な史跡の幣塚古墳は、見た感じただの斜面という素敵な古墳なんです。斜面が指定文化財と聞いたからには確かめずにはいられません。という訳で、兵庫県明石市にある「幣塚古墳」の斜面具合を確かめに行ってきました。
幣塚古墳とは
幣塚古墳は、JRの魚住駅と土山駅の中間地点に存在します。魚住駅から明石市のコミュニティバスの「たこバス」が古墳近くまで走っているので、今回は電車とバスを利用して向かいます。ただJRの運行本数は比較的多いのですが、たこバスは1時間に1本程度なので、乗り継ぎの時間を考慮する必要があります。
たこバスは、コミュニティということでなかり小型のバスでした。ちなみに乗客の大半は高齢者で、恐らく私が一番若かったと思います。この辺りは1駅の間隔が広いので、高齢者の方には貴重な足になっているのでしょう。ちなみに運賃は100円という激安運賃。

魚住駅から住宅地に入ると道はかなり狭く、よくこんな所をバスで走るものだなと感心します。そんなこんなでバスに揺られながら、10分ほどで最寄りの「第2高層住宅」のバス停に到着。

バス停から西に少し歩くと「あかし」と書かれた謎の巨塔を発見。明石市の最終兵器かと思いましたが、明石市魚住浄水場の関連施設のようです。

そんな巨大な塔をバックに、幣塚古墳を発見しました。

なかなかの斜面ですね
おそらく知らなければ、この斜面が古墳と気づく人は少ないでしょう。明石市の指定文化財のため案内板が設置されており、古墳であることがかろうじて分かります。

ちなみに『幣塚』と書いて『ぬさづか』と読む難読名ですが、かつて『糠塚山(ぬかづかやま)』と呼ばれていたことが由来とのこと。それならば『糠塚古墳』でもよさそうですが、『幣塚』となった理由は不明です。
古墳の北、東、西は住宅地により囲われており見ることはできません。南側から墳丘を確認できますが、道路により一部削平され擁壁魔改造が施されています。また周囲にフェンスが巡らされており、中に入ることは出来ません。

幣塚古墳は、5世紀初頭に築造された、直径34m、高さ4mの円墳。この規模の円墳としては、明石市内で最大とのこと。墳丘には葺石と見られる直径5cm程の円礫が見つかっている他、墳丘裾部に鰭付円筒埴輪、鰭付朝顔形埴輪が合計21基出土。埋葬施設は板石を積上げた竪穴式石室とされています。

この埴輪ですが、兵庫県最大の前方後円墳で知られる「五色塚古墳」から出土した埴輪と特徴が一致していることが分かっています。この点より幣塚古墳の被葬者は、五色塚古墳の被葬者と強いつながりを持つ地元の有力者の墓と考えられています。

そんな幣塚古墳には、金の鶏が埋まっているという伝説が存在しました。1886年(明治19年)、干ばつに苦しんだ地元の人々が金の鶏を探して発掘を試みましたが、発見できたのは朱塗りの石室と刀身、勾玉、管玉、小玉などの副葬品でした。残念ながら、これらの副葬品は現在行方不明となっています。

そんな訳で、もう少し近くに行って本当に金の鶏がないか確かめようと思いましたが「上るな」と書いてあったので諦めて帰ることにしました。

まとめ

今回は、兵庫県明石市にある「幣塚古墳」を紹介しました。明石市の指定文化財という貴重な史跡ですが、擁壁魔改造された斜面古墳でした。五色塚古墳の被葬者とつながりがあるかも知れない古墳ということで、興味深い古墳の一つではないでしょうか。
そんな訳で、幣塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、難読な擁壁魔改造斜面古墳を紹介します。
幣塚古墳詳細
古墳名 | 幣塚古墳 |
住所 | 兵庫県明石市魚住町清水1275−1 |
墳形 | 円墳 |
全長 | 34m |
高さ | 4m |
築造時期 | 5世紀初頭 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 竪穴式石室 |
指定文化財 | 明石市の史跡:1974年3月29日 |
出土物 | 刀身、勾玉、管玉、小玉、鰭付円筒埴輪、鰭付朝顔形埴輪 |
参考資料 | ・案内板 |
案内板
明石市指定文化財(平成二十四年度)
史跡「幣塚古墳」
瀬戸川東岸の段丘突端部に立地する直径34m、高さ4mの市内で最大の円墳であり、1992年古墳の南西斜面部を発掘調査した際、墳丘裾部より鰭付円筒埴輪、鰭付朝顔形埴輪が合計21基見つかった。出土した埴輪は神戸市五色塚古墳のものと特徴が一致しており、同じ工人により制作されたと考えられている。幣塚古墳は、旧明石郡の西の境界部に立地しており、4世紀後半に五色塚古墳の被葬者と深いかかわりを持った当地の有力者が葬られた古墳としてきわめて重要な史跡である。
明石市教育委員会