はい、今回は奈良県桜井市にある「小川塚西古墳(おがわづかにしこふん)」を紹介します。古墳が田んぼの中にポツンとあることが多い桜井市ですが、小川塚西古墳もその例にもれません。しかもかつては畑として開墾された後に果樹園にも魔改造されていたとのこと。
畑にされ果樹園に魔改造されていた田んぼにある古墳があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、奈良県桜井市にある「小川塚西古墳」へ行ってきました。
小川塚西古墳とは
小川塚西古墳のある、奈良県桜井市に来ています。小川塚西古墳の南には、卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳など、数多くの古墳が存在。その中で、古墳時代前期に築造されたものは「纒向古墳群(まきむくこふんぐん)」といわれています。

箸墓古墳の周辺には、堂ノ後古墳、ホケノ山古墳、宮の前古墳、茶ノ木古墳、北口塚古墳、慶運寺裏古墳などの古墳が密集するエリア。築造時期は古墳時代前期~後期と幅広く、この一帯では長期間にわたり古墳が築造されたようです。
そんな訳で、箸墓古墳など周辺の古墳を巡りながら、小川塚西古墳へ。小川塚東古墳の周辺には、サシコマ古墳、小川塚東古墳が存在します。古くから古墳として知られており、3基合わせて「小川塚」とも称されていました。


小川塚西古墳は、纏向古墳群において北側に位置し、周辺には田園地帯が広がっています。ブラブラと農道を歩いていると、田んぼの中に2つの盛り土らしきものが見えてきました。この西側に存在するのが、小川塚西古墳です。

普通に田んぼの中にある古墳ですね
桜井市でこれでもかと田んぼの中にある古墳を見てきましたが、こちらも何の捻りもない田んぼの中にある古墳でした。古くは畑として、昭和に入ると果樹園として利用されていたようです。現在は特に利用されておらず、大いに茂った盛り土状態。
墳丘は2段になっており、2段目側面には石垣が構築されてるとのこと。江戸時代の記録にはそのようなものが記されていなかったため、明治時代以降に魔改造されたようです。

小川塚西古墳の現状は、東西38.4m、南北33.4mを測り、高さは約5.4mの古墳。築造時期は、3世紀後半以降に埋没した川の上に築かれたことが分かっています。墳丘は削平されていますが、レーダー探査により、1辺約41mの方墳との説も。
墳丘は開墾により削平され、平らになっています。その際に石が見つかったとされ、埋葬施設の一部ではないかともいわれています。また調査によると、幅9~12mの周溝が存在する可能性があるとのこと。

東西に並ぶ2基の古墳ですが、どちらも川が埋め立てられた後に築かれた古墳ということですが、同時期に築造されたのかは分かりません。また小川塚西古墳は方墳または円墳と考えられていますが、小川塚東古墳は円墳もしくは前方後円墳と考えられています。距離が近いことから、何らかの関係があると思われますが、埋葬施設も遺物も不明なため、詳しいことは分かっていません。

少し近くで見たいと思うのですが、多分近づいても茂みしか見えないうえ、私有地の可能性が高いので遠くから見つめるだけに。そんなわけで、農道から2基の盛り土を激写していましたが、どこから撮影しても茂みしか写らないので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、奈良県桜井市にある「小川塚西古墳」を紹介しました。畑にされ果樹園にされた割には、そこそこ大きく高さもあるようです。ただ、見た目は謎の盛り土でした。
ということで、小川塚西古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、畑と果樹園に魔改造されていた古墳を紹介します。
小川塚西古墳
| 古墳名 | 小川塚西古墳 |
| 別名 | なし |
| 住所 | 奈良県桜井市箸中 |
| 墳形 | 方墳もしくは円墳 |
| 全長 | 東西38.4m、南北 33.4 |
| 高さ | 約5.4m |
| 築造時期 | 3世紀後半以降 |
| 被葬者 | 不明 |
| 埋葬施設 | 不明 |
| 石室全長 | 不明 |
| 指定文化財 | なし |
| 出土物 | なし |
| 参考資料、 | ・平成24年度国庫補助による発掘調査報告書 ・古墳(塚)の景観と伝承―考古学と民俗学の融合的研究に向けて |
