はい、今回は大阪府東大阪市にある「浄土寺谷3号墳(じょうどじだにさんごうふん)」を紹介します。神社に古墳が残るケースはよくありますが、こちらは寺の境内に保存された珍しい古墳。
境内には巨大な横穴式石室が横たわり、祭祀の場として何かが祀られているとのこと。寺の境内に残る、何かが祀られた古墳があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、大阪府東大阪市にある「浄土寺谷3号墳」へ行ってきました。
浄土寺谷3号墳とは
浄土寺谷3号墳のある、大阪府東大阪市に来ています。東大阪市の古墳は、生駒山地の中腹に多く、特に「山畑古墳群」は、100基以上もの古墳が築かれた群集墳として知られています。
浄土谷3号墳のある浄土寺谷古墳群も、東大阪市の南に位置する生駒山地の中腹に築かれています。浄土寺谷古墳群のうち、2、4、5号墳は既に失われており、現在見ることができるのは、1、3号墳のみ。そんな訳で、周辺の古墳を巡りながら、浄土寺谷3号墳へ。

浄土寺谷古墳群周辺は駐車スペースがないため、旧170号線沿いの駐車場に車を停めて徒歩で古墳へ。山すそに築かれた古墳ということで、なかなかハードな坂道。10分ほど歩くと常光院というお寺があり、浄土寺谷3号墳は、この境内に保存されています。常光院にあることから別名「常光寺古墳」とも。

常光院の由来は不明ですが、黄檗宗であることから江戸時代の創建と思われます。黄檗宗は江戸時代に明より来日した隠元隆琦により開基された禅宗の一つ。京都宇治市にある「萬福寺」を総本山とし、当時は大名や朝廷から広く支持を受けていました。

という訳で、常光院に行ってみることに。入口付近には何故か狛犬が置かれていました。神社なら当たり前に置かれている狛犬ですが、寺の入口に狛犬が置かれているのは、珍しいのではないでしょうか。

こちらが本堂で、1810年に再建されたもの。常光院の山号は「迷脱山」といい、本堂に掲げられた扁額は開祖である隠元隆琦による書とのこと。日々迷走している人生なので、迷いから脱出できるようしっかりお参りしておきました。


目的の浄土寺谷3号墳は、本堂の隣に存在します。封土は既に失われており、巨大な横穴式石室が剥き出しの状態。発掘調査が行われていないため、詳細は分かっていません。

浄土寺谷3号墳は、6世紀後半に築造された墳形不明の古墳。羨道は既に失われており、残るのは玄室のみ。規模は、玄室長4.4m、幅1.8mを測ります。石室内は既に崩れており、中に入ることはできません。

こちらが奥壁側ですが、完全に崩れているようです。

こちらが開口部で、天井石にはかなりの巨石を使用。この角度から見ると、石室がかなり崩れていることが分かります。

中には入られませんが、入口近くには何かが祀られていました。お地蔵様とか観音様とかいうものではなく、謎の石。石室の奥は完全に崩れており、この状態なら調査するのも難しいのではないでしょうか。

ふと天井石を見てみると、一番上にポツンと観音様が乗っかっていました。風雨で飛ばされていない所を見ると、何かで固定されているのでしょう。それにしても石室内ではなく、なぜこんな場所に置いたのかは謎。

若干カオス感が漂う古墳ですが、お寺も古墳を大切にしていることは感じられました。そんな訳で、境内には誰もおらず気兼ねなく古墳を激写し放題なのですが、誰もいない境内で謎の石室を激写し続けているのも怪しいので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は大阪府東大阪市にある「浄土寺谷3号墳」を紹介しました。石室は崩れているものの、かなり大きめの石室だったと感じられます。お寺のエッセンスがかなり組み込まれているものの、浄土寺谷古墳群では現存する数少ない古墳ということで、貴重な史跡ではないでしょうか。
そんな訳で、浄土寺谷3号墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、お寺の境内に残る古墳を紹介します。
浄土寺谷3号墳詳細
| 古墳名 | 浄土寺谷3号墳 |
| 別名 | 常光寺古墳 |
| 住所 | 大阪府東大阪市横小路町1丁目3 |
| 墳形 | 不明 |
| 全長 | 不明 |
| 高さ | 不明 |
| 築造時期 | 6世紀後半 |
| 被葬者 | 不明 |
| 埋葬施設 | 横穴式石室 |
| 石室規模 | 玄室長:約4.4m 幅:約1.8m |
| 出土物 | 不明 |
| 指定文化財 | 無し |
| 参考資料 | 東大阪市の古墳 |
案内板
常光院は、山号を「迷脱山」と号し、黄檗宗の寺院です。江戸時代には「地蔵寺」とも呼ばれていました。「子安地蔵」としても知られています。四注(寄棟)造丹塗の本堂正面の「地蔵寺」
と左出入口の「迷脱山」の横額は、宇治の黄檗山万福寺を開いた明(中国)僧隠元の書です。 地蔵寺棟札(隠元書)によると、この建物は子安地蔵菩薩本堂と称し、文化7年(1810年)3 月当時の僧梵瑞の時に大工頭当村の木村吉左衛 門俊之の手によって再建されています。
本尊は、二尊石仏です。板張りのため下方は 明らかでありませんが見えるところは、高さ115cm、巾 68.4cmの花崗岩の自然石の表面に高さ56cm、巾50cmの方形の彫り沈めをつくり、その中に地蔵菩薩と阿弥陀如来の二尊を並刻しています。裏面にも仏像を線彫していますが、かなり磨滅してわかりにくくなっています。
境内の庭に、築山のような形で古墳が残され ています。墳丘の土はほとんどなくなり、横穴式石室の玄室のみをとどめています。 奥壁は倒 懐し、天井石が落下しているため正確ではあり ませんが、玄室の長さ約4.4m 巾約1.8m です。常光寺古墳と名付けています。
平成4年3月
東大阪市
