はい、今回は大阪府高槻市にある「昼神車塚古墳(ひるがみくるまづかこふん)」を紹介します。この昼神車塚古墳ですが、「三嶋飯粒(みしまのいいぼ)」の墓との説があります。
三嶋飯粒という聞き慣れない名前の人物ですが、高槻市一帯を治めていた偉い人とのこと。高槻市に三嶋飯粒の墓かも知れない古墳があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。というわけで、大阪府高槻市にある「昼神車塚古墳」へ行ってきました。
昼神車塚古墳とは
昼神車塚古墳のある、大阪府高槻市に来ています。高槻市は、大阪府でも古墳の多いエリア。特にこの地に築かれた「三島古墳群」は500基近い古墳が築造されたともいわれています。
そんなわけで、高槻駅周辺の古墳を巡りながら、昼神車塚古墳へ。高槻駅前で自転車をレンタルしますが、高槻市は意外とアップダウンがあるので、もちろん電動機付き一択です。
昼神車塚古墳は、高槻市中央部の天神山丘陵南端に築造された古墳です。この天神山は「日神山(ひるがみやま)」とも呼ばれ、古墳名の「昼神」は、これが由来と思われます。ただ、なぜ日神が昼神になったのかは不明。一般的に「車塚」とは、前方後円墳を意味するとされていますが、菅原道真の車を埋めたことが由来との説もあります。
天神山丘陵の中心には、上宮天満宮があります。もともとは、延喜式神名帳にも記された「野身神社」がこの地に建てられており、後に菅原道真を祀る天満宮が創建され、統合されたと考えられています。創建時期は不詳ですが、社伝では全国で2番目に古い天満宮とされています。天神山丘陵一帯は上宮天満宮の神領にあたり、昼神車塚古墳もその範囲内に含まれています。

天神山丘陵には他にも、宿祢塚古墳、中将塚古墳、伊勢寺古墳が存在しました。ただ、伊勢寺古墳は現在消滅しているようです。

JR高槻駅から自転車で5分ほど走っているうちに、昼神車塚古墳が見えてきました。昼神車塚古墳は、トンネル工事により一時前方部が失われましたが、現在は復元されています。そのため、トンネルの上に古墳がのる独特の景観になっています。

トンネル脇の細い歩道を上っていくと、昼神車塚古墳が存在します。

まあまあの斜面ですね
昼神車塚古墳の周囲には柵が巡らされており、中に入ることはできません。見えているのは前方部にあたり、トンネル工事で失われた後に復元されたようです。

昼神車塚古墳は、6世紀中頃に築造された、全長56m、高さ8mの前方後円墳です。前方後円墳としては珍しく、後円部より、前方部が高いとのこと。

墳丘は3段築成。上段のテラスには人頭大の河原石が敷かれ、中段のテラスには埴輪が2列に並んでいたことが分かっています。ちなみに、昼神車塚古墳の下層には、弥生時代の墳丘墓が存在したとのこと。この一帯は、古くから墓域として利用されていたようです。埋葬施設は時代的に横穴式石室と思われますが、詳しいことは分かっていません。

被葬者については不明ですが、「三嶋飯粒」の墓との説があります。そのまま読むと「みしまめしつぶ」ですが、正式な読み方は「みしまのいいぼ」。この時代も飯粒はごはん粒を意味したと思いますが、何を思ってそんなネーミングにしたのかは謎です。
そんな三嶋飯粒ですが、三島郡一帯を治める「三島県主(みしまあがたぬし)」という地位に就く人物。日本書紀によると、安閑天皇が三島郡への行幸の際、三嶋飯粒に良田について質問を行いました。天皇から質問を受けたことを名誉に感じた三嶋飯粒は、誠実に応え天皇にすすんで土地を献上したと記されています。
安閑天皇陵である高屋築山古墳は、6世紀初頭に築造されています。昼神車塚古墳は6世紀中頃と考えられていますが、時期的にややズレもあります。ただ昼神車塚古墳は、三島郡一帯では最後に築造された前方後円墳であることから、被葬者はかなり身分の高い人物と思われます。

そんな訳で、古墳の周りを見てみることに。墳丘の周囲には柵が巡らされており、中に入ることはできません。裏口から入れるとかいう裏技もあるらしいのですが、おそらく立入禁止と思われます。

墳丘の上段にあり見落としやすいのですが、2段目平坦部にレプリカの埴輪が並べられています。昼神車塚古墳の埴輪の特徴として、猪、犬、笛を持つ人物埴輪が出土している点。これは、狩猟シーンを再現したものと考えられています。ちなみに上に並べられている埴輪もそれを再現していると思われますが、角度的によく分かりません。

これらの埴輪は、高槻市の今城塚古墳で見つかったものと共通点があるとされます。今城塚古墳は、継体天皇の墓と考えられており、被葬者はヤマト王権と強いつながりを持っていたのかもしれません。

そんな訳で、駅前の住宅地の真っただ中で、謎の斜面を激写し続けていると怪しさ抜群のため、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、大阪府高槻市にある「昼神車塚古墳」を紹介しました。三島飯粒の墓かもしれないという、トンネルの上に保存されている古墳でした。西側からしか見えないので、全く前方後円墳感は感じませんが、何となく埴輪が見えるのでギリギリ古墳に見えました。もしあの埴輪がなければただの斜面としか思わないでしょう。斜面好きにはオススメの古墳かもしれません。
そんな訳で、昼神車塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、三島飯粒の墓かもしれない古墳を紹介します。
昼神車塚古墳詳細
| 古墳名 | 昼神車塚古墳 |
| 別名 | なし |
| 住所 | 大阪府高槻市天神町1丁目11 |
| 墳形 | 前方後円墳 |
| 全長 | 56m |
| 高さ | 不明 |
| 築造時期 | 6世紀中頃 |
| 被葬者 | 伝:三島飯粒 |
| 埋葬施設 | 不明 |
| 石室規模 | 不明 |
| 出土物 | 楯、犬、猫、 巫女埴輪 |
| 指定文化財 | 無し |
| 参考資料 | ・案内板 ・高槻市史 ・前方後円墳大成 |
案内板(古墳前)
天神山は「ひるがみ山」ともいい、車塚は前方後円墳の俗称である。 この古墳は天神山丘陵の南端にあり、 同じ丘陵の東縁にある中将塚・野見宿禰の墓と伝えられる宿禰塚などと一連のもので、この東から南にひろがる豊かな平野を支配した首長たちの墓である。この車塚古墳は6世紀中ごろまでにつくられたと推定される。およそ全長60m・前方部の幅40m・後円部径35mで、前方部は後円部よりやや高くつくられ、新しい特徴をそなえている。1958年に府道枚方一亀岡線のバイパスが計画された前方部について、1976年に調査がおこなわれた。 現在みる前方部は、トンネル建設のため、いったん掘りさげ、 調査結果にもとづいて復旧したものである。墳丘は丘陵南端につくられた弥生時代の墓地のうえに、高さ約4.5mの盛土をおこなっている。 その断面(右図参照)にあらわれた盛土の状況 をみると、下半部は台状の核を包むように土を盛り、一度地ならしをしたあと、再び上半部を同様の工程で築いている。そのあとで、上段・ 中段・下段のテラスをつくり加えている。 上段のテラスには人頭大の河原石を敷き、中段のテラスには埴輪を2列にならべていた。 それらはあたかも古墳を守るかのように巫女が立ち、また、牙をむき出したイヌたちが、たてがみをふりたてるイノシシを追いつめ、 そして, 角笛を吹いている猟師の姿などに古代の狩りの情景うかがうことができる。特に、このように再現したのは、古墳のありし日の姿を知るためと、 再びみることのできない祖先の遺産を大切にしたいとねがったからである。なお、昼神車塚古墳は現在も、上宮天満宮の神域として守り伝えられている。
案内板(野見神社前)
この天神山【日神山(ヒルガミヤマ)】には南北に四つの古墳が築かれている。境内に二つの古墳があり、その一つが宿祢塚(野身神社)あと一つは参道を下り交差点を左に折れ、急な小坂をあがったところにあり、前方後円墳とハッキリ解る。この古墳は元来当社境内地であったが道路建設の為分断された。猪狩りの様子をあらわした動物埴輪が並んでいる。現在のもは模型であり、生捕りの狩は角力の原義を示し巫女の角笛も見られ全国唯一の角笛埴輪である。立寄って頂き野見宿祢とのゆかりをしのんでいただきたい。

