はい、今回は奈良県河合町にある「佐味田宝塚古墳(さみたたからづかこふん)」を紹介します。佐味田宝塚古墳には、その名前の通り「宝がでてきたとの伝説」があります。その上、国内でも他に例の無い「家屋文鏡」が出土した古墳でもあります。
宝物伝説と貴重な銅鏡が見つかった古墳と聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、奈良県河合町にある「佐味田宝塚古墳」へ行ってきました。
佐味田宝塚古墳とは
佐味田宝塚古墳のある、奈良県河合町に来ています。今回は、佐味田宝塚古墳のすぐ近くにある「牧野古墳(ばくやこふん)」の一般公開に併せて来ています。

河合町は奈良県でも古墳が多く、川合大塚山古墳など大王級の古墳も存在します。その中で佐味田宝塚古墳は、大和3大古墳群の一つである「馬見古墳群」の中央群に所属。馬見古墳群は、4世紀末から6世紀にかけて250基もの古墳が築造され続けました。
という訳で、佐味田宝塚古墳へ。牧野古墳からは直線距離で5分ほどですが、道が見つかりません。仕方が無く大きく迂回し、ほのぼの公園から向かいます。ちなみにこの公園ではキャンプやバーベキューができますが、河合町民に限定されています。名前の割に、町民外には厳しい公園。

そんなほのぼの公園を後に、佐味田宝塚古墳へ。しばらく歩くと、石材置き場が見えますが、この奥あたりに「陣ノ山古墳」が存在します。戦国時代に陣が置かれたことが由来とのことですが、思いっきり茂みな上に私有地の可能性が高いので、行くのは断念。

ちなみに陣ノ山古墳の南側にも「貝吹山古墳」が存在し、明治18年に、銅鏡7面が出土したそうです。貝吹山古墳は法螺貝が由来と思われますが、どちらも戦いに因んだ古墳名。この付近では、中世に激しい戦いがあったのでしょうか?

そんな訳で、佐味田宝塚古墳と思われる場所に到着。道から見ると茂みしかありませんが、案内柱が立っているのでここで間違いないようです。

墳丘を確認するために土手に上がってみましたが、やっぱり全力で茂みでした

佐味田宝塚古墳は馬見丘陵西端に位置し、中央群の盟主墳といえる「巣山古墳」とは反対方面に築造されています。築造時期は4世紀後半で、馬見古墳群においては最古の古墳のひとつ。
佐味田宝塚古墳は、2段に築成された全長110.5mの前方後円墳。墳丘の裾より円筒埴輪列が見つかっていることから、築造時には葺石が敷かれて埴輪が並べられていたと思われます。

佐味田宝塚古墳の埋葬施設は、粘土槨。副葬品として36面もの銅鏡が出土したことで知られています。この36面の銅鏡のうち「家屋文鏡」が、古墳時代の建築様式を知る上で大変貴重な文様が刻まれていました。

家屋文鏡には、「竪穴の建物」「平屋建ての建物」「高床の建物」「高床の倉庫らしき建物」が刻まれていました。古墳から出土する銅鏡は中国製が多いのですが、この家屋文鏡は日本製。しかもこのような家屋が刻まれた銅鏡は、国内に例がありません。この4棟の建物については、首長の住宅を描いたとの説があります。他にも佐味田宝塚古墳からは、石製品、銅製品、玉など総数140点近くの副葬品が見つかっています。
という訳で、佐味田宝塚古墳の周囲を歩いてみることに。西側にも回っていけそうだったので、雑草を乗り越えて行ってみました。
こちらは佐味田宝塚古墳の北側で、おそらくこの竹薮の奥あたりが「貝吹山古墳」があると思われます。私有地になっているためか、無断でタケノコを盗るなとの看板が。古墳巡りをしていると度々この手の注意を見かけるのですが、私有地に勝手に入ってタケノコを盗る人が多数いるという事なんでしょう。

さらに奥に進むと住宅地と接しており、ギリギリまで家が迫っています。

家の壁沿いに古墳の南側に行けそうですが、雑草が生い茂っているのと、怪しいオッサンが家の裏をウロウロされるのは迷惑そうなのであきらめました。多分、行っても茂みしかないでしょう。

再び東側に戻り、後円部を見に行きます。といっても茂みしかありません。とりあえず茂みも堪能したので帰ろうかと思っていたら、奥の茂みから数人の人がやってきました。聞いてみると牧野古墳の一般公開に来た人で、佐味田宝塚古墳を見に来たとのこと。そんな道があったのは気が付かなかった・・・

ちなみに佐味田宝塚古墳の名前の由来に「金鳥伝説」があります。
毎年正月になると黄金色の鳥がやってきて鳴きました。金鳥がとどまったところだけ雪が降っても積もりませんでした。不思議に思った里人が発掘するとたくさんの宝物が出てきました。
奈良県歴史文化資源データベースより
私も宝物を探しに行こうと思いましたが茂みしかないので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、奈良県河合町にある「佐味田宝塚古墳」を紹介しました。貴重な家屋文鏡が出土したという佐味田宝塚古墳ですが、行ってみると茂みばかりという古墳でした。もう少し古墳感が感じられたらいいなと思うところです。
そんな訳で、佐味田宝塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、正月に金鳥が降り立つらしい、珍しい銅鏡が出土する古墳を紹介します。
佐味田宝塚古墳詳細
| 古墳名 | 佐味田宝塚古墳 |
| 住所 | 奈良県北葛城郡河合町佐味田 |
| 墳形 | 前方後円墳 |
| 全長 | 112m |
| 高さ | 不明 |
| 築造時期 | 4世紀後半 |
| 被葬者 | 不明 |
| 埋葬施設 | 粘土槨 |
| 出土物 | 家屋文鏡、斜縁二神二獣鏡、変形方格規矩獣文鏡、神人車馬画像鏡、銅製品、石製品、玉、鰭付円筒埴輪、家形埴輪、短甲形埴輪 |
| 指定文化財 | 国の史跡:1987年5月12日 |
| 参考資料 | ・大和の古墳を歩く ・馬見古墳群の基礎資料 |
案内板
国指定史跡 佐味田宝塚古墳
昭和六十二年(1987年)五月十二日指定
佐味田宝塚古墳は、全長110.5メートル、後円部直径60メートルの前方後円墳です。旨味丘陵に分布する「馬見古墳群」のなかでも、前方後円墳の中では最古の古墳のひとつです。
明治十四年(1891年)に後円部の墳頂が発掘され、三十六面にものぼるとされる銅鏡をはじめ多くの遺物が出土しています。なかでも鏡背に四棟の建物の図像をあしらった家屋文鏡は古墳時代の建築を知る上で貴重な資料となっています。
昭和六十年度に墳丘の範囲確認調査が実施され、墳丘の裾を巡る鰭付円筒埴輪列が確認されました。盾、靫、蓋形等の形象埴輪も出土しています。
出土した埴輪の特徴から、この古墳は四世紀後半から五世紀初頭にかけて築造されたと考えられています。
