はい、今回は奈良県桜井市にある「サシコマ古墳」を紹介します。現代まで生き延びた古墳には、何かしら伝説が残されているケースがあります。
サシコマという謎のネーミングの古墳ですが、「古墳を掘ると死ぬ」というド直球な伝説が残されています。なぜ古墳を掘ったら死んでしまうのか?その謎を探るべく、サシコマ古墳のある奈良県桜井市に行ってきました。
サシコマ古墳とは
サシコマ古墳のある、奈良県桜井市に来ています。サシコマ古墳の周辺には数多くの古墳が存在し、その中でも代表的な古墳が卑弥呼の墓との説もある「箸墓古墳」です。箸墓古墳の周辺は、古墳時代前期から後期まで断続的に古墳が築造されており、箸墓古墳のような200mを超える大前方後円墳から、十数メートルの小さな円墳までバラエティに富んだ古墳が多数存在しています。

サシコマ古墳は、箸墓古墳から北東へ400mほど行った、田んぼの中に存在します。今回は、箸墓古墳を見に行ったついでにサシコマ古墳へ行くことに。サシコマ古墳のすぐ西には石田古墳が存在しましたが、現在は消滅。またすぐ南には小川塚西古墳と小川塚東古墳が2基並んでいます。

そんな訳で、こちらがサシコマ古墳です。周辺の古墳と同様、田んぼの中にポツンとある盛り土でした。行く前からGoogleマップで確認していたので分かっていましたが、現地に行ってもヤッパリ盛り土。

サシコマ古墳は、東西14.4m、南北11mの楕円形をした円墳。築造時期や埋葬施設などについては分かっていません。墳丘上に拳大の石が一面に広がっているそうですが、これが葺石なのかは不明。サシコマという名前についてもよく分かりませんでした。
ただサシコマ古墳には「牛塚」「ウシハギの塚」という別名がついています。かつてサシコマ古墳は「牛を埋めていた」「牛を殺し皮を剥いでいた」場所といわれています。見た目は何の変哲もない盛り土ですが、なかなかハードモードな場所。区分的には隣の小川塚西古墳と小川塚東古墳は「畑」だったそうですが、サシコマ古墳は「墓」だったとのこと。現在でもサシコマ古墳は私有地ではなく共有地なのは、墓として扱われていたことが理由のようです。

さらにサシコマ古墳には「掘ったら死ぬ」という直球過ぎる伝説が残されています。祟られるとか呪われるとかではなく「死ぬ」です。とにかく掘ったら死ぬから古墳には何もしてはいけないとのこと。牛の墓だから暴くのが不吉だからなのかもしれません。
しかしながら戦時中に開墾を試みたようですが、掘っても石しか出てこず諦めたとのこと。掘った人がどうなったのかは不明ですが、死んでいたら話題になっているので、多分無事だったのでしょう。一説によるとサシコマ古墳は、古墳ではなく開墾時に出てきた邪魔な石を積んだ塚との説もあります。

少し近づいて古墳を見に行こうと思ったのですが、あぜ道におばあちゃんが椅子をおいて空を見つめながら宇宙と交信していました。邪魔をするのも悪いですし、古墳に近づいてうっかり掘って死んでしまうのも嫌なので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、奈良県桜井市にある「サシコマ古墳」を紹介しました。何の変哲もない田んぼの中にある盛り土ですが、牛の皮が剥がされた場所、掘ったら死ぬなどのエピソードが詰まった濃厚な古墳でした。エピソードを知らずにうっかり掘ってしまうと生命の危機が訪れるので十分に注意してください。
そんな訳で、サシコマ古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、掘ったら死ぬかもしれない古墳を紹介します。
サシコマ古墳詳細
古墳名 | サシコマ古墳 |
別名 | 牛塚、ウシハギの塚 |
住所 | 奈良県桜井市巻野内 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 東西14.4m、南北11m |
高さ | 2.6m |
築造時期 | 不明 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 不明 |
指定文化財 | なし |
出土物 | 不明 |
参考資料 | ・古墳(塚)の景観と伝承―考古学と民俗学の融合的研究に向けて ・奈良県遺跡地図web ・桜井市平成24年度国庫補助による発掘調査報告書 |