はい、今回は神戸市灘区にある「鬼塚古墳」を紹介します。一般的に、神社と古墳は相性が良く、古墳の上に神社があったり、神社の中に古墳があることはよくあります。
逆に寺と古墳の相性はイマイチなのか、古墳の上に寺があるケースはあまり見かけず、寺に古墳があるケースも稀です。そんな中、鬼塚古墳は寺の中にある古墳、いや寺と一体化したといっても過言ではない古墳なんです。そんな訳で、今回は神戸市灘区にある「鬼塚古墳」へ行ってきました。
寺と一体化した鬼塚古墳
鬼塚古墳は、7世紀初頭に築造されたとされる古墳。昭和11年の発掘調査により、人骨、須恵器、鉄器などが出土しています。築造時期から考えると円墳もしくは方墳と思われます。かつては「鬼塚」と呼ばれて墳丘が残っていたようですが、現在の鬼塚古墳の原型は大きく失われています。石室を覆う封土は失われ、天井石のない横穴式石室だけが残されています。
そんな鬼塚古墳は「照光寺」の境内に存在。照光寺自体大きなお寺ではないので、お寺の敷地において石室が大きな割合を占めています。鬼塚古墳の存在はお寺にとっても象徴的な存在のようで、山号も「鬼塚山 照光寺」となっています。神戸市の沿岸部には多くの古墳が存在していましたが、開発などで多くが失われています。そんな中でも鬼塚古墳は、街中で身近にみられる貴重な横穴式石室ではないでしょうか。
商店街を出たら横穴式石室という謎のシチュエーション
鬼塚古墳の最寄駅である、神戸市灘区の「阪急王子公園駅」にきています。鬼塚古墳は、ここから水道筋商店街を抜けて15分ほどの場所にあります。
王子公園といえば王子動物園。王子動物園といえばパンダです。王子動物園にはパンダがいますが、イマイチ認知度が低いのかパンダで騒がれることがほとんどありません。そんなパンダも2022年には中国に帰国するらしく、王子動物園も大ピンチ。
動物園はおいといて、鬼塚古墳に向かいましょう。パンダより古墳です。昔、神戸に住んでいたということもあり、水道筋商店街は2〜3度来たことがあります。昔から多くの人が訪れる賑やかな商店街でしたが、訪れてみると意外と今も多くの人で賑わっていました。
最近の商店街といえば、ガレージの締まったお店が多いイメージですが、ここはあまり関係がないようです。ただ、商店街も端に近づいてくるとやや少なく感じました。
そんなこんなで、水道筋商店街出口近くまで歩いたところに鬼塚古墳のある照光寺が存在します。パッと見では分かりにくいですが、左奥に石室が保存されています。古墳を見に行きたいところですが、とりあえず本堂でお参りしておきましょう。
照光寺は小さなお寺ですが、しっかりしたホームページを持っていました。SNSにも力を入れているようで、Facebook、インスタ、LINEなども運用。なかなか時代合わせたお寺運営をされているようです。
照光寺は、大正13年に説教所というものを開いたことが創業という変わった経緯をもっています。昭和22年に浄土真宗本願寺派より「照光寺」の公称許可がおり現在に至ります。お参りも終えたので、早速石室を見てみましょう。石室手前には案内板が設置されており、数少ない情報源となっています。
古墳の手前は、スロープになっているので登ってみます。古墳にスロープがついているのは、なかなか斬新な作りではないでしょうか。まさに寺と一体化してるといってもいいでしょう。
スロープを上ると、左側に「南天阿弥陀仏」と彫られた石碑が置かれています。南無阿弥陀仏と同じ意味と思われますが、詳細は不明。古墳の前にこの石碑を置くことで、古墳との一体化をさらに進めているのかもしれません。
こちらが鬼塚古墳の全景。石室は天井石が失われ、側面と奥壁の一部が残されています。
例によって魔改造されており、石室の奥に祠が置かれています。お寺と古墳の大融合という感じで素敵です。というか、祠の中にはなにが祀られているのか気になって仕方がありません。
祠には花も供えられており、着実に寺との一体化が進んでいるようです。この先、寺との融合が進めばどのような形態を遂げるのか温かく見守っていきたいところ。
鬼塚古墳は、商店街の出口ということでソコソコ人の往来も多く、寺の入口付近で謎の石を激写し続けていると不審者爆発なので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は神戸市灘区にある「鬼塚古墳」を紹介しました。横穴式石室が完全に境内に溶けこんだ、夢の空間でした。こんな街中に横穴式石室があるのも高ポイントといえるでしょう。なんのポイントかは知りませんが。
そんな訳で、鬼塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、寺と融合した古墳を紹介します。
鬼塚古墳詳細
古墳名 | 鬼塚古墳 |
住所 | 兵庫県神戸市灘区篠原南町6丁目1−4 |
墳形 | 不明 |
全長 | 不明 |
高さ | 不明 |
築造時期 | 7世紀初頭 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
被葬者 | 不明 |
参考資料 | 案内板 |
案内板
3m×2mの玄室(遺体を安置する室)を持つ横穴式古墳で、古くより鬼塚と呼ばれてきました。昭和11年に石室から出土した人骨、須恵器、鉄器等の遺物から、築造年代は古墳時代後期(7世紀初頭)と推定されます。盛り土が取り除かれて、古墳を彷彿させるものは、石組みのみといます。
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