はい、今回は奈良県平群町にある「甑塚古墳(こしきづかこふん)」を紹介します。甑塚古墳ですが、実は聖徳太子がこの石室で米を蒸したという伝説が残されています。
一体何をどうしたら聖徳太子が古墳の石室で米を蒸すだすのか、サッパリ分かりません。という訳で、その疑問を探るべく甑塚古墳のある奈良県平群町へ調査に向かいました。
風変わりな神社と御神水
甑塚古墳のある、奈良県平群町に来ています。甑塚古墳の地名は「平群町越木塚(こしきづか)」で、漢字は異なりますが同じ読み方。郷土史によると、地名から古墳名なのか、古墳名から地名なのかは不明とのこと。
そんな訳で、甑塚古墳へ向かう途中に、石床神社(いわとこじんじゃ)があったので寄ってみることに。石床神社は延喜式神名帳に記載された由緒ある神社として知られています。
元々は現在地より少し南に存在しましたが、大正時代に移転。創建については不明ですが、元々は「巨石」を祭神としており、旧社地にはその巨石がまだ祭られています。式内社の多くは、豪族が祖神を祀るために建てられることが多いのですが、石床神社は自然物を崇拝する原始宗教を由来とするのかもしれません。
石床神社の境内を歩いていると、一角に泥と器が置かれていました。どうやら敷地内にある「消渇神社(しょうかちじんじゃ)」にお供えするようです。
消渇神社は、下半身の病気、婦人病や性病にご利益のある神社として知られています。願掛けに12個の「土の団子」を作って供え、願いが叶った際には「米の団子」をお供えするという風習があるとのこと。拝殿へ行くと、いくつもの土団子が備えられていました。
下半身の不具合や性病も問題無い上、アラフィフのオッサンが一人で土団子をこねていると怪しさ抜群なので、普通にお参りだけにしました。
神社での参拝を終え、古墳に向かう途中に「御神水」と書かれた井戸を発見。この井戸は、どんな大干魃でも枯れない井戸とのこと。
信仰の厚かった消渇神社を参拝に訪れた人々が、帰りに汲んで大切に持ち帰ったことから「御神水」と呼ばれたようです。ヒシャクが置かれフタが開いているので、現役の井戸なのかもしれません。
そんな御神水から徒歩1分ほど南に歩いたところに「甑塚古墳」が存在します。
完全に道端にある盛り土にしか見えません
ちなみに古墳名にある「甑(こしき)」とは米を蒸すための巨大な蒸し器。古墳名の由来は聖徳太子が石室で甑を使い米を蒸したという伝説が由来しています。
推古天皇の時代、大和王権において蘇我馬子と物部守屋は権力の座を巡り激しく対立。587年、ついに両者は激突し、蘇我馬子は聖徳太子と共に物部守屋討伐の兵を起こします。
言い伝えによると、聖徳太子は物部守屋の本拠地である八尾へ進軍する際、先ほどの御神水の水で米を洗い、この古墳の石室で米を蒸して兵糧米にしたとのこと。そんな訳で、石室で甑を使って米を蒸したことから甑塚となったようです。
この地は平群氏の本拠地であり、一族の平群神手が物部守屋討伐軍の一人であったことから、このような伝説が生まれたと考えられています。かなり無理がある由来ではありますが…
聖徳太子が米を蒸し、越木塚の地名の由来となった甑塚古墳ですが、現在は完全に放置されて案内版もありません。おそらくこれが古墳と気が付く人はいないでしょう。
それにしても思ったよりも小さな古墳ですが、これで軍隊の兵糧が賄えるぐらいの米が蒸せるのでしょうか・・・
事前情報によると、古墳の南側に石室の一部が露出しているということで探してみると、確かに石材らしきものがはみ出していました。恐らく横穴式石室の一部と考えられるので、5世紀末以降に築造されたと思われます。
情報が少なく、規模や墳形は不明。もちろん被葬者も分かっていません。東側からも見ることができますが全力で茂みと盛り土しか見えませんでした。聖徳太子ゆかりの古墳ということなので、せめて案内板ぐらいほしいところです。
頑張って聖徳太子の米蒸しムーブを感じ取ろうと思いましたが、どう見ても盛り土ムーブしか感じ取れません。道の端で謎の盛り土を激写し続けているのもあやしいので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は、奈良県平群町にある「甑塚古墳」を紹介しました。聖徳太子が石室で米を蒸したというピンポイント過ぎる伝説が残る古墳です。残念ながら今回は聖徳太子が米を蒸した感を感じることはできませんでしたので、もう少し聖徳太子が米を蒸した感を感じ取れるようになったら再挑戦してみようと思います。
そんな訳で、甑塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、聖徳太子が石室で米を蒸した伝説が残る古墳を紹介します。
甑塚古墳詳細
古墳名 | 甑塚古墳 |
住所 | 奈良県生駒郡平群町越木塚766 |
墳形 | 円墳 |
一辺 | 不明 |
高さ | 不明 |
築造時期 | 不明 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室? |
出土物 | 不明 |
参考資料 | ・マイタウン平群395号 ・平群町ホームページ ・平群町史 |