はい、今回は奈良県河合町にある「高山塚2・3・4号墳」を紹介します。以前、中良塚古墳こと「高山塚1号墳」を紹介しましたが、1号墳の周辺には2・3・4号墳が存在します。
この3基の古墳は全て円墳で、サイズもほぼ同じの盛り土となっています。そんな訳で、茶色い盛り土の3連星が織りなすジェトストリームアタックを体感するべく、奈良県河合町に行ってきました。
高山塚2・3・4号墳とは
高山塚2・3・4号墳のある、奈良県河合町に来ています。この3基は、奈良の三大古墳群である「馬見古墳群」の一つで、その中の「北群」に属しています。北群は、川合大塚山古墳を盟主墳とした7基の古墳で構成されており「大塚山古墳群」とも呼ばれています。
高山塚2・3・4号墳は大塚山古墳群の西側に位置し、高山塚1号墳を中心とした支群を形成しています。
という訳で、2号墳から順番に回ってみましょう。
高山塚2号墳
高山塚2号墳は、高山塚1号墳から南西に徒歩30秒ほどの場所に存在します。
古墳の前に設置された案内板を見ると「高山2号墳」と記載されていました。一般的な名称は「高山2号墳」のようですが、国の指定史跡に登録した名称は「高山塚2号墳」なので、微妙な違いがあります。
2号墳の周囲にはフェンスが張られていますが、中に入ることができます。案内板まで設置されており、大塚山古墳群の中では比較的良好な状態で保存されています。
開墾などの影響により現状は東西16m、南北18mほどの規模。しかし本来は直径35mほどの円墳だったと考えられています。築造時には幅6mの周濠が存在しましたが、現在は埋没しています。
埋葬施設については不明ですが、墳丘からは円筒埴輪の他、朝顔形・蓋形・家形の形象埴輪が出土。埴輪の特徴から、高山塚2号墳は5世紀後半の築造と考えられています。
という訳で、墳丘に登ってみましたが、だいぶ削平されているようで微妙な小山となっています。しかも後から盛り土をされてこの状態。
オッサンが一人で謎の盛り土に登ったり下りたりしているのも微妙なんで次の古墳へ。
高山塚3号墳
高山塚3号墳は、2号墳から南へ10秒ほどの場所にあります。周囲は田んぼに囲まれ、北側は住宅と接しています。住宅の間の細い道を抜けて向かいますが、本当にこの道を通っていいんですかという道。
こちらが高山塚3号墳となります。高山塚3号墳も開墾により削平されているのか、なかなかコンパクトな姿をしています。
現在は東西16m、南北18mほどですが、元々2号墳と同じ直径35mほどの円墳だったとのこと。不明な点が多い3号墳ですが、この古墳から滑石製の勾玉が出土しています。
とりあえず、古墳が隣の家のテラスと思いっきり接近しており、家の人が出てこないかヒヤヒヤです。家の近くで見知らぬオッサンが謎の盛り土を撮影してたら嫌すぎですね。田んぼに囲まれて上れないうえに、上ったところで不審者爆発なんで、とりあえず次の古墳に向かいます。
高山塚4号墳
高山塚4号墳は、高山塚3号墳から徒歩5分ほどの場所にあります。周囲は完全に家に囲まれており近づくこともできません。現在は直径10mの盛り土ですが、築造時は直径20mほどの円墳だったと考えられています。こちらに関しては埋葬施設はもとより、出土物についても分かっていません。いや、本当に古墳なんだろうか・・・
少し離れた道から、謎の盛り土かどうかも分からない物体を撮影するしかありません。まあまあ人も通る道なので、盗撮しているみたいで非常に緊張感が伴います。いったい何のリスクを背負って謎の盛り土を撮影しているのかサッパリ分かりません。
というわけで、高山塚2~4号墳をコンプリート。どれも完全なジェットストリーム盛り土3連星でした。
まとめ
どれもいろんな意味で難易度の高い盛り土三連星でした。特に高山塚4号墳は近づけず、情報もなく見どころもないということで、B級古墳としてはハイレベルな古墳といえるでしょう。微妙な盛り土を見たくて仕方がないという人には絶好の古墳なのではないでしょうか。
そんな訳で、高山塚2・3・4号墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、盛り土3連星古墳を紹介します。
高山塚2・3・4号墳詳細
古墳名 | 高塚山2号墳 高塚山3号墳 高塚山4号墳 |
住所 | 奈良県北葛城郡河合町穴闇 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 2号墳:30m〜35m 3号墳:30m〜35m 4号墳:20m〜25m |
高さ | 不明 |
築造時期 | 5世紀後半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 不明 |
指定文化財 | 国の史跡:1956年12月28日 |
出土物 | 2号墳:人物埴輪 3号墳:滑石製勾玉 |
参考資料 | ・大和葛城の大古墳群 馬見古墳群(河上邦彦氏) ・河合町北東部の文化財案内 |
案内板(高塚山2号墳)
国指定史跡 高山二号墳 昭和三一年一二月二八日制定
(大塚山古墳群・指定名称ー高山塚二号古墳)
中良塚古墳の西側に点在する3基の小古墳をそれぞれ高山二号墳・三号墳。四号墳と読んでいます。いずれも五世紀後半の築造です。
二号墳は永い年月の開墾により、現在では東西一六メートル、南北一八メートルの規模になっていますが、元は直径三五メートル程度の円墳で、周濠が巡ることが確認されています。二号墳からは人物埴輪の腕が出土し、人物埴輪の成立を考える上で貴重な資料となりました。発掘調査の結果に基づき、西側には墳丘保護のために盛土を施し、墳丘をレンガで表示しています。東側も周濠の範囲を表示しています。
南側の保育所に隣接して残っている三号墳も、東西一八メートル、南北二〇メートルほどですが、保育園のプールがある場所で周濠が確認され、元は直径二五メートルで、周濠が巡っていたようです。この集合からは滑石製の勾玉が出土しています。
三号墳の西側約八〇メートルの位置にある四号墳は、今は約一〇メートル程度の墳丘を残すのみですが、おそらく直径二〇メートル程度の円墳であると思われます。
河合町・河合町教育委員会