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狐井城山古墳|真の顕宗もしくは武烈天皇陵?~奈良県香芝市~

2024 7/22
古墳 奈良県
2024年8月3日

はい、今回は奈良県香芝市にある「狐井城山古墳(きついしろやまこふん)」を紹介します。現在、宮内庁が治定する武烈陵、顕宗陵は、どちらも考古学的に天皇陵の可能性は低いと考えられています。

その中で狐井城山古墳は、どちらかの天皇の真陵ではないかとの説があります。狐井城山古墳が真の天皇陵かもしれないと聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、今回は奈良県香芝市にある「狐井城山古墳」へ行ってきました。

迷走する武烈・顕宗天皇陵

宮内庁は現在、香芝市今泉にある「傍丘磐坏丘北陵」を武烈天皇陵として治定。ただこの武烈天皇陵は、古墳ではなく唯の丘ともいわれています。

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また宮内庁は、武烈天皇陵候補地として奈良県広陵町にある新山古墳を「大塚陵墓参考地」としています。ただ新山古墳は、4世紀後半に築造された古墳のため、武烈天皇の時代と合いません。

新山古墳
新山古墳

顕宗天皇陵に関しては、香芝市北今市にある「傍丘磐坏丘南陵」を治定。こちらも規模や築造時期から顕宗天皇陵の可能性は低いと考えられています。

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過去の記録によると、武烈天皇陵と顕宗天皇陵については下記のように記されています。

顕宗天皇武烈天皇
日本書紀傍丘磐坏丘陵傍丘磐坏丘陵
古事記片岡之石坏岡片岡之石坏岡
諸陵式傍丘磐坏丘北陵傍丘磐坏丘南陵

日本書紀と古事記では、なぜか顕宗、武烈天皇陵は同じ陵名。それに対し、平安時代に編纂された諸陵式では南北一対の扱い。この違いも、両天皇陵の特定を混乱させる要因となっています。

日本書紀、古事記だけをみれば片岡の地に大王級の古墳が2基あればいいだけですが、諸陵式をみると南北に位置する古墳を探す必要があります。

その中で候補として挙げられているのが「狐井城山古墳」です。狐井城山古墳のすぐ北には「狐井稲荷古墳」があり、北陵と南陵の関係が成立します。片岡に位置するかについては微妙とのことですが、解釈しだいでは片岡に含まれるとのこと。

狐井稲荷古墳

しかし狐井稲荷古墳を武烈天皇陵の「北陵」、狐井城山古墳を顕宗天皇陵の「南陵」に当てはめた場合、築造時期に問題があります。

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築造順では、狐井稲荷古墳が狐井城山古墳より少し先に築造されています。しかし皇位は「顕宗→武烈」となり、順番が合いません。

築造順狐井城山古墳→狐井稲荷古墳
皇位順顕宗(23代)→仁賢(24代)→武烈(25代)

また、狐井稲荷古墳の全長は70mしかなく、この時代の天皇陵としては相応しくありません。諸陵式に記された北陵、南陵の関係を狐井城山古墳と狐井稲荷古墳に当てはめた場合、時代や規模で矛盾が生じてしまいます。

仮に記紀を基に狐井城山古墳を顕宗天皇陵に当てた場合はどうでしょう。狐井城山古墳より後に造られた大規模な古墳を片岡の場所に求めた場合、候補となる古墳が見当たりません。

狐井城山古墳をどちらの天皇陵に当てるのか?そもそも両天皇は実在したのかなども含めて、両天皇陵の比定については議論が続いています。

狐井城山古墳とは

狐井城山古墳のある、奈良県香芝市に来ています。狐井城山古墳周辺に駐車場がないため、徒歩20分ほど離れた「新池親水公園」の駐車場に駐車。道中、古墳関連の史跡がいくつかあるため、それらを確認しながら向かいます。

公園から5分ほど歩いたところに「阿弥陀橋」があり、そのたもとに「長持石棺の蓋石」と「天井石」が置かれています。

狐井城山古墳

左側に置かれている突起のついた石材が石棺の蓋石で、半分に割られて阿弥陀橋に使用されていました。突起状のものは縄をかけるためのものと考えられていますが、確かなことはわかっていません。石室の石材は平たく加工されているため、橋板などに転用されるケースをよくみかけます。

狐井城山古墳

直立する石材も、石棺の蓋石。突起部を阿弥陀仏に見立てており、なかなか斬新なスタイルで仏様を祀っています。この仏様が阿弥陀橋の由来となっているのではないでしょうか。

狐井城山古墳

ちなみにこの蓋石を復元したレプリカが、香芝市二上山博物館前に展示されています。

狐井城山古墳
香芝市二上山博物館前にある蓋石を再現したレプリカ

上記とは別に、狐井城山古墳の北東に流れる初田川から、異なる蓋石も発見されており、これらの石材は全て兵庫県の凝灰岩(竜山石)を用いています。

狐井城山古墳
香芝市二上山博物館前にある蓋石

近畿圏の古墳においては、大阪府と奈良県にまたがる「二上山産の凝灰岩」がよく用いられます。ただ香芝市から二上山まで至近距離にもかかわらず、上記の石材はわざわざ兵庫県産の石材を用いています。この点については、被葬者の政治的な立場が関係するのではないかと考えられています。

阿弥陀橋から北に少し歩いたところに「杵築神社(きつきじんじゃ)」が鎮座します。境内にある「台臨記念碑」と彫られた石碑も、石室の天井石と考えられています。ちなみに台臨とは皇族の出席を意味し、昭和6年11月16日に皇族の「賀陽宮恒憲王」が軍事演習を見にこられた記念に置かれたようです。

ちなみに同名の神社が北に400mほどの場所に存在します。その神社にある「きつねが掘ったとされる井戸」が地名の「狐井」の由来とのこと。(諸説あり)

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杵築神社から更に北に歩いて行くと「狐井城山古墳」が見えてきます。狐井城山古墳は、5世紀末~6世紀前半に築造された前方後円墳。全長110mを測り、香芝市内において最大規模の古墳。

狐井城山古墳

墳丘の周囲には濠と外堤が存在しており、発掘調査から多数の埴輪片が出土。墳丘の発掘調査が行われていないため、埋葬施設については分かっていません。ただ周辺から出土した天井石や長持形石棺が狐井城山古墳から出土したものだとすると、時代と併せて竪穴式石室であった可能性が高いと思われます。

また、長持形石棺は「王者の石室」とも呼ばれており、身分の高い人物に用いられています。古墳の規模から考えると、顕宗天皇や武烈天皇などの大王クラスとしても相応しい古墳といえます。ただ別の説として、葛城一帯に本拠地を有していた「葛城氏」の墓ではないかとの説も存在します。

古墳の近くに行ってみると濠が残されており、十分な水が蓄えられています。ただ西側は道路が敷かれているためか、やや狭くなっているのかもしれません。

狐井城山古墳

古墳の南と北は住宅地になっているため1周することはできませんが、東側に回ると全体像がよく見ることができます。ただ道が少し分かりにくいかもしれません。

狐井城山古墳

東側は外堤や濠も良好な姿で残されています。外堤の上を墳丘に沿って歩こうと思いましたが、予想以上に草が茂っており断念。巡るならば冬に訪れたほうがいいかもしれません。

狐井城山古墳

かつて狐井城山古墳には、地元土豪の岡氏により「狐井城」が築かれていました。狐井城山古墳の名前もそれが由来とのこと。戦国時代の大和国は、強力な大名が出現せず、土豪たちが小競り合いを繰り広げていました。もともと岡氏は興福寺に属する土豪でしたが、松永久秀が大和国に侵入してくると、松永側として属すことに。

後に松永久秀は、織田信長に謀反を起こしますが、岡氏も松永側に味方しています。結局、松永久秀は織田方に敗れ自害。岡氏の当主である岡弥二郎も自害し、武士としての岡氏は滅亡しています。

達磨寺
達磨寺にある松永久秀の墓

狐井城山古墳の西には「狐井街道」が南北に走っていました。狐井城山古墳に築いた城は、その街道を押さえるための拠点だったのかもしれません。

まとめ

狐井城山古墳

今回は、奈良県香芝市にある「狐井城山古墳」を紹介しました。狐井城山古墳に関係しそうな情報は結構あるものの、核心に迫る情報がほとんどないという古墳でした。

被葬者は諸説ありますが、前方後円墳の規模が縮小傾向に入ったこの時代に、140mもの規模であることを考えると、かなり身分の高い人物の墓なのではないでしょうか。

そんな訳で、狐井城山古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、大王級の古墳だけど、誰の墓か分からない古墳を紹介します。

狐井城山古墳詳細

古墳 奈良県
前方後円墳 香芝市
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コフンノート

ごくありふれた、古墳好きの投資家です。

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