JR久米田駅に来ております。久米田駅がどこなのかわからない、迷える投資家もいると思いますが、大阪府岸和田市に久米田は存在します。

岸和田市といえば、地車、岸和田城、久米寺などが有名ですが、もっと有名なものがあるんですね。そう「古墳」です。ここ久米田には8基の古墳から構成される「久米田古墳群」が存在します。
そんなわけで理由はサッパリわかりませんが、バリュー投資家なら必ず行っておきたい「女郎塚古墳」を紹介したいと思います。
女郎塚古墳は中学校の中にある
人生で初めて久米田の地に降り立ちましたが、古墳好きでなければやってくることもなかったでしょう。もう、全ての古墳に感謝ですね。
駅からブラブラ歩いていると左側に鳥居が存在しますが、ここにあるのは鳥居だけ。本体の積川神社(つがわじんじゃ)は、5キロも離れた場所にあります。

なんでこんなことになっているかというと、積川神社の氏子の範囲がとても広いので、遠方の氏子のために遥拝所を置いたためだとか。
ちなみに積川神社は、927年に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社。つまり1000年以上昔に建てられた由緒ある神社です。
鳥居から南東に5分ほど歩くと、女郎塚古墳が存在します。この女郎塚古墳は、中学校の中に存在する古墳ファン泣かせな古墳。アラフォーのオッサンがスマホをかざしながら校内で撮影してると完全に不審者なので、門の外から撮影しました。うん、門の外から土の塊を激写してるオッサンも十分不審者ですね。

女郎塚古墳は、5世紀前半に築造されたと考えられています。直径約28mの円墳で、周濠を有していました。もともとは墳丘に円筒埴輪が並べられていたとのこと。いいですね、円筒埴輪。バリュー投資家なら見逃せないポイントです。
5世紀前半の築造ということで、ちょうど百舌鳥・古市古墳群が築造された時期と重なります。久米田古墳群の盟主的古墳「貝吹山古墳」が前方後円墳であることから、ヤマト王権とつながりのある地元豪族の墓と考えられます。

現在の女郎塚古墳は、元が何だったのかわからない状態で、どこがどうなってるのかサッパリわかりません。おそらくここの学生も、この土の塊りが古墳とは思ってないでしょう。なんせ看板もありません。
あと謎なのが「女郎塚古墳」というネーミング。女郎というのは「売春婦」の別称らしいです。もしかしてこの辺りには遊郭でもあったのでしょうか・・・
昭和初期頃まではもう少し墳丘の高さもあったようですが、現在はだいぶ削られているようです。まあ、学校内にあれば普通に削られていきますよね・・・
まとめ

そんなわけで、バリュー投資家なら絶対に行きたくなる「女郎塚古墳」の魅力に迫りました。この土の盛り上がりに興奮しだしたら末期状態なので、ぜひその興奮を体感してもらいたいところです。次回も気が向いたら、久米田古墳群巡りPart.2に続くと思います。
女郎塚古墳詳細
古墳名 | 女郎塚古墳 |
住所 | 大阪府岸和田市池尻町 (久米田中学校内) |
築造時期 | 5世紀前半 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 28m |
高さ | 不明 |
埋葬施設 | 不明 |
被葬者 | 不明 |
市の指定文化財 | 1956年8月 |