無名塚古墳|無名という名前だけど存在感はある古墳〜大阪府岸和田市〜

無名塚古墳

はい、今回は大阪府岸和田市にある「無名塚古墳(むめいづかこふん)」を紹介します。久米田古墳群の一つである無名塚古墳は、存在感が薄そうな名前をしていますが、復元されたイージー古墳としてかなりの存在感を発しています。

また無名塚古墳は、整備された古墳ということで登られるとのこと。登れる古墳と聞いたからには登らずにはいられません。そんな訳で、登れるイージー古墳の無名塚古墳へ行ってきました。

整備されたイージー古墳

無名塚古墳のある、大阪府岸和田市に来ています。久米田古墳群は「貝吹山古墳」を盟主墳とし「風吹山古墳」「無名塚古墳」「女郎塚古墳」「光明塚古墳」「志阿弥法師塚古墳」「長塚古墳」「持ノ木古墳」の8基により構成されています。

このうち長塚古墳と持ノ木古墳は、既に失われており、どちらも見ることはできません。他にも数基の古墳が存在したようで、本来は10基ほどの古墳により構成していたと考えられています。

そんな訳で、無名塚古墳のある「久米田公園」にやってきました。公園内には、盟主墳である貝吹山古墳や風吹山古墳が保存されています。かつて持ノ木古墳も存在しましたが、現在は削平されて存在していません。

公園内の古墳のうち無名塚古墳と風吹山古墳については、墳丘が復元されて整備されています。

無名塚古墳

完全にイージー古墳ですね!

無名塚古墳は、5世紀初頭に築造された、直径26mの円墳。かつては周囲に幅10m、深さ1.2mの濠が存在しましたが、現在は埋没しています。

古墳は2段に築成され、1段目の平坦部に円筒埴輪が並べられていました。出土した円筒埴輪は、すぐ南にある風吹山古墳と同時期のものだったことが分かっています。

という訳で、実際に古墳の周囲を歩いてみましょう。こちらが古墳の南側で、案内板が設置されています。なぜか墳丘の1段目に設置されており、微妙に見づらいのが難点。なぜ一番下の段に設置しなかったのか・・・

無名塚古墳

古墳の北側には階段が設置されており、ここから登ることが可能。もちろん、私以外古墳に登っている人は誰もいません。

無名塚古墳

1段目の平坦部には、当時の姿を再現したレプリカの円筒埴輪が並べられています。再現された古墳といえば、やはり円筒埴輪ですね。円筒埴輪しか勝ちません。

無名塚古墳

発掘調査は行われていますが、埋葬施設は不明。中央部が窪んでいたことから、盗掘により失われたと考えられています。真上から掘られているため、埋葬施設は竪穴式石室か粘土槨が考えられます。

こちらが無名塚古墳の墳頂から見た東側になります。広場の辺りに持ノ木古墳があったようですが、見事に何の痕跡もありません。

無名塚古墳

整備される前の久米田公園には「ミニチュア八十八ヶ所参り」というものがあったそうです。おそらく敷地内にある88ヶ所の祠を回ることで、お遍路さん疑似体験ができる的なものでしょう。

かつて無名塚古墳の墳頂には、その祠があったようですが、現在は何もありません。しかし88個の祠はどこに行ったのでしょう…

岸和田市においては、4世紀後半に貝吹山古墳(130m)と摩湯山古墳(200m)の巨大前方後円墳が造られています。

貝吹山古墳
貝吹山古墳

4世紀末といえば、百舌鳥・古市古墳群が築造され始めた時期とちょうど重なります。前方後円墳は、ヤマト王権と関係の深い豪族が造られるとの説があり、河内国に進出してきた頃のヤマト王権と久米田古墳群を築いた豪族は、強いつながりがあったと考えられます。

しかし、その後の岸和田市には大規模前方後円墳は築かれておらず、無名塚古墳も30m弱の円墳となっています。時代が経つにつれ久米田古墳群を造った豪族は、ヤマト王権において地位が低下したのかもしれません。

まとめ

無名塚古墳

今回は大阪府岸和田市にある「無名塚古墳」を紹介しました。無名塚という名前の割には、案内板やレプリカの埴輪まで設置された存在感あふれる古墳でした。何を思って「無名塚」と名付けたのかよく分かりませんが、築造当時の姿が味わえる素敵な古墳ではないでしょうか。

という訳で、無名塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、無名という名前の割には存在感のある古墳を紹介します。

無名塚古墳詳細

古墳名無名塚古墳
住所大阪府岸和田市池尻町915−2
墳形円墳
直径26m
高さ不明
築造時期5世紀初頭
被葬者不明
埋葬施設不明
出土物円筒埴輪
市の指定史跡1956年8月
参考資料案内板

案内板

無名塚古墳【岸和田市指定文化財 史跡】位置:岸和田市池尻町
本古墳は、5世紀前半(古墳時代中期)につくられた当時の権力を持った人物のお墓です。発掘調査の結果、直径約26mの円形の古墳で、周囲に幅10m、深さ1.2mの溝が掘られていたことがわかりました。
また、墳丘は二段に土が盛られ、中段の平らな面2位は円筒埴輪が並べられていたことから、久米田公園の整備にあたり本古墳をつくられた当時の姿に復元しています。
復元された埴輪など文化財施設を大切にしましょう。
岸和田市

-古墳, 大阪府
-, ,

© 2024 コフンノート Powered by AFFINGER5