畠田古墳|地元有力者のイケてる古墳~奈良県王寺町~

畠田古墳|地元有力者のイケてる古墳~奈良県王寺町~

はい、今回は奈良県王寺町にある「畠田古墳」を紹介します。ここ王寺町は、奈良県においても古墳が少ない地域として知られています。

そんな中でもこの畠田古墳は、周辺の古墳よりも規模が大きく地域の有力者の墓だったとのこと。墳丘と石室が比較的良好に保存されている地元有力者の古墳ということで、バリュー界の有力者である私が調査に向かいました。

畠田古墳とは

畠田古墳は、7世紀初めに築造された直径15m、高さ4mの円墳。埋葬施設は、横穴式石室で木棺が2つ置かれていました。副葬品として金環・金銅製刀装具、ガラス玉、土器などが出土しています。

畠田古墳

古墳の周囲には「外護列石」と呼ばれる石が配置。古墳時代後半に入ると、古墳の表面に葺石が敷かれなくなります。葺石に代わって置かれるようになったのが外護列石です。

外護列石は、古墳の底部に沿うように置かれた石ですが、どのような役割だったのかは分かっていません。墳丘の崩れを防ぐためのと石とも、魔除けともいわれています。

7世紀における古墳は「群集墳」と呼ばれる小規模な古墳が複数つくられる傾向にありました。しかし畠田古墳は、この時代には珍しく周辺に古墳のない単独墳として築造されています。

王寺町周辺の古墳はすべて7世紀に築造されている点から考えて、この一帯は7世紀ごろから土地の開発が進められていたと考えられます。畠田古墳の被葬者は、王寺町一帯を開発した集団のリーダーだったのかもしれません。

畠田古墳に行ってきました

はい、奈良県王寺町に来ております。今回は、王寺町にある「明神山」へハイキングにやってきました。明神山の麓に畠田古墳があるのですが、ハイキングコースからは少し離れた場所にあります。

畠田古墳

家族には「15分くれ!ダッシュで見てくる!」と哀願して、時間を確保。古墳に取り憑かれた狂人の訴えに、無言で応えてくれました。王寺町のゆるキャラ「雪丸くん」も呆れています

畠田古墳

季節は夏。家族が待つ公園から畠田古墳まで、ダッシュで10分ぐらいでしょうか。うん、絶対15分では戻って来れないですね。とはいえ、あまり待たせるわけには行かないので、アラフォースーパーダッシュです。

畠田古墳

あまりの暑さにスーパーダッシュもが3分ぐらいで力尽き、フラフラと歩きます。周りには住宅しかなく、本当に古墳なんかあるか不安になっていると看板を発見。少しヤバそうな雰囲気の道です。

畠田古墳

ここで引き返すわけにもいきないので、突入しますが誰一人とすれ違う人に会いません。絶対、普段から誰も来ていないのが分かります。

畠田古墳

そんなこんなで、不安になりながら歩いていると畠田古墳を発見。古墳は驚くほど立派で、隠しステージを発見した喜びがあります。そして、そんな喜びが生まれる精神構造が少し嫌になりました。

畠田古墳

古墳は非常に良好な状態で保たれており、美しい姿をしています。今までは散々、茂みだの、山だの、ギリギリ古墳みたいなものばかり見ていたので感動です。

畠田古墳

一般的な石室は、加工された切り石を使用したものから、雑に自然石を積み上げたものまで様々な種類があります。畠田古墳は自然石を積み上げたものですが、非常に丁寧な積み方をしており石室の面が比較的キレイにそろっています。

畠田古墳
畠田古墳

単に古墳の規模が大きいだけではなく、石室も質の高い構造となっていました。

畠田古墳

古墳ファンの方は結構石室内に入る方が多いのですが、私は暗くて虫がいるので入らない派です。まあ、そんな派閥があるのかは知りませんが。

ただ畠田古墳の石室は明るくて虫もいなかったので、石室内に入りやすい雰囲気でした。最近の古墳は管理しきれないものが多いのか、石室の入り口が封鎖されているところが増えているようです。

そんな訳で、畠田古墳はキレイで石室にも入りやすいイージー古墳なのではないでしょうか。

畠田古墳

まとめ

畠田古墳

今回は、奈良県王寺町にある「畠田古墳」を紹介しました。古墳を覆う封土も保たれており、石室も良好な状態という見ごたえある古墳といえるでしょう。バリュー界の有力者である私も大満足な古墳でした。

あまりにパーフェクトすぎてツッコめるところが少ないのですが、たまにはこんな古墳もいいのではないでしょうか。それではまた、別の有力者パーフェクト古墳でお会いしましょう。

畠田古墳詳細

古墳名畠田古墳
住所〒636-0022 奈良県北葛城郡王寺町明神4丁目18−8
墳形円墳
直径15m
高さ4m
築造時期7世紀初頭
埋葬施設横穴式石室
被葬者不明
参考資料案内板

案内板

畠田古墳は、径15m、高さ4mの円墳に南に開口する両袖の横穴式石室が設けられています。この古墳の石室は全長5.9m、遺体を納める玄室と通路にあたる羨道からなっています。玄室は、長さ3.2m、幅2.0m、高さ2.3m、室内には木棺が納められ、少なくとも2体以上が埋葬され、同時に金環、金銅製刀装具、ガラス玉、鉄鏃、須恵器、土師器等が副葬されていました。あの出土遺物からこの古墳は、7世紀初頭に造られたと考えられます。この時期の古墳の多くは複数の古墳が集合的に立地し、群集墳と呼ばれていますが、畠田古墳のように単独で立地する古墳は珍しく、貴重な存在と言えます。さらに畠田古墳の石室は自然石で構築されているものの整然と面をそろえて石材が積み上げられています。
この古墳の特徴は、立地にあると言えます。この古墳が築造された場所は、のちの終末期古墳が好んで選地した南斜面にあたり、古墳背後に切り通し、溝を設けています。畠田古墳は、馬蹄形を呈した窪地の中央に位置することから、中国の風水思想にもとづいて築造された可能性があると思われます。
また畠田古墳のある王寺町は、古墳の分布が非常に少なく、この地域で確認できる古墳はすべて7世紀代に築造されていると考えられます。その中で畠田古墳は、最大規模であり、この地域の有力者の墓と言えます。おそらく地域の開発が7世紀に大々的に実施され、畠田古墳に埋葬された人はその開発の立役者かもしれません。それゆえ畠田古墳は、この地域の歴史を考えるうえで非常に重要だと考えられます。