はい、今回は大阪府八尾市にある「俊徳丸鏡塚古墳(しゅんとくまるかがみつかこふん)」を紹介します。この俊徳丸鏡塚古墳ですが、俊徳丸の墓との言い伝えが残されています。
俊徳丸と言われても誰のことかわかりませんが、俊徳丸の墓と伝わる古墳があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。というわけで、大阪府八尾市にある、「俊徳丸鏡塚古墳」へ行ってきました。
俊徳丸鏡塚古墳とは
俊徳丸鏡塚古墳は、高安千塚古墳群に属する一基で、考古学的には「大窪・山畑27号墳」と呼ばれています。高安千塚古墳群は、大阪府八尾市の東部、高安山の西麓に広がる6世紀代の群集墳で、大阪府内でも屈指の古墳群として知られています。かつては約565基の古墳が確認されていましたが、現在も約230基が残されています。いずれも高安山の緩やかな斜面地に築かれた円墳が中心で、横穴式石室を持つ古墳で構成されています。

高安千塚古墳群は、服部川、大窪・山畑、郡川北、郡川南支群に分類され、特に大窪・山畑支群は保存状態の良好な石室が集中しています。考古学的にも価値が高いことから、高安千塚古墳群のうち110基が、2015年に国の史跡に指定されました。

そんなわけで、大窪・山畑支群を巡りながら、俊徳丸鏡塚古墳へ。俊徳丸鏡塚は古墳、大窪・山畑支群の中でも最も山裾に存在します。支群の大半が山の中にあるのに対し、俊徳丸鏡塚古墳は、住宅地のド真ん中に存在します。近鉄信貴線の服部川駅から俊徳丸鏡塚古墳までは、徒歩5分ほどとアクセスは良好。住宅地を歩きますが、こんな場所に古墳なんかあるのかと思っていると、俊徳丸鏡塚古墳を発見しました。

俊徳丸鏡塚古墳は、6世紀に築かれた直径約16m、高さ約3.8mの円墳。葺石や埴輪、周濠などの外部施設については、詳しい情報がありません。

埋葬施設は、南側に開口した右片袖式の横穴式石室。全長は約7mを測り、玄室の長さ4.1m・幅2.1mの長方形で、高さは現状で約2.6m。奥壁には地元産の花崗岩を3〜4段積み上げて垂直に立ち上げ、側壁も同様に4〜5段の石で築かれています。また、天井は2枚の平石を用いています。羨道は長さ2.9m・幅1.15mで、側壁は2〜3段。天井石は1枚が残り、石室全体には高安山系に分布する花崗岩を加工して構築しています。
俊徳丸鏡塚古墳は、その名のとおり「俊徳丸の墓」として地元では伝えられてきました。俊徳丸とは、中世の謡曲『弱法師(よろぼうし)』や浄瑠璃『摂州合邦辻』に登場する人物で、高安の信吉長者の子として生まれながら、継母の呪いで失明し、四天王寺で物乞いをする身に落ちた青年。のちに、かつて舞楽童だった俊徳丸を慕う女性が観音に祈願し、その想いが通じて病が癒え、ふたりは結ばれる物語です。

(Wikipediaより)
この古墳は俊徳丸の墓と伝えられてきましたが、考古学的には6世紀に築かれたもので、俊徳丸の物語の時代とは数世紀の差があります。そのため、俊徳丸の「墓」という伝承は後世に生まれたと考えられ、実際の被葬者は古墳時代の有力者と推定されます。
ということで、古墳の周りを見てみることに。墳丘の南側は民家、北と西は駐車場に囲まれています。道路側から全景が見られますが、道路建設の際に一部墳丘が削られたのか、裾が石垣に魔改造されていました。

墳丘は上れそうですが、「登らないでください」との厳しいお達しが書かれていました。子ども達の遊び場になっても危ないですし、仕方ありません。

開口部は、南側の民家と墳丘の狭い通路の先に存在。石室の手前には、手水盤や石碑などが色々と置かれていました。これは、案内板に書かれてあった、実川延若や松本幸四郎、尾上菊五郎といった歌舞伎役者たちが寄進したものの一部と思われます。



こちらが、俊徳丸鏡塚古墳の横穴式石室ですが、残念ながらこちらも立入禁止となっています。



玄室入口付近に扉石的なものがありましたが、よく見るとコンクリートのようなもので固められています。おそらく後世に魔改造されたものでしょう。

内部をカメラのズームで撮影してみると、馬らしき謎の埴輪が置かれていました。古墳と言えば埴輪だろうと、優しい誰かが置いたのかもしれません。ただ、6世紀には埴輪を置く風習はほぼなくなっています。埴輪の奥には小さな五輪塔らしきものもあり、俊徳丸を祀るために置かれたものなのかもしれません。


石室は、羨道の一部が失われているものの、玄室は比較的良好な姿で残されている雰囲気でした。それにしても、石室の隣が本当に民家と近く、石室の周りで色々なものを激写しているのもアレなので、見学もそこそこにして、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、大阪府八尾市にある「俊徳丸鏡塚古墳」を紹介しました。俊徳丸の墓と伝わる古墳ですが、俊徳丸の墓ではないので、俊徳丸のオーラはありませんでした。残念ながら石室には入られませんが、町中でこれほど間近で横穴式石室を見られるのは珍しいかもしれません。
というわけで、俊徳丸鏡塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、俊徳丸の墓と伝わる古墳を紹介します。
俊徳丸鏡塚古墳詳細(大窪・山畑27号墳)
| 古墳名 | 大窪・山畑27号墳 |
| 別名 | 俊徳丸鏡塚古墳 |
| 住所 | 大阪府八尾市大窪1175−14 |
| 墳形 | 円墳 |
| 規模 | 15m |
| 高さ | 3.8m |
| 築造時期 | 6世紀 |
| 被葬者 | 不明 |
| 埋葬施設 | 横穴式石室(右片袖式) |
| 石室全長 | 7m |
| 指定文化財 | 国の史跡:2015年3月10日 |
| 出土物 | 不明 |
| 参考資料 | ・案内板 ・八尾市史 |
案内板
国史跡 高安千塚古墳群 俊徳丸鏡塚古墳(大窪・山畑27号墳)
平成27年(2015)3月10日に高安千塚古墳群の大窪・山畑支群内の一基として国史跡指定されました。6世紀の造られた直径15m、高さ3.8mの円墳で、内部は右片袖式の横穴式石室です。高安千塚古墳群中で構造・規模ともに典型例となるものです。また、この地は謡曲弱法師(よろぼし)、浄瑠璃摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)の舞台となった俊徳丸伝説の地です。日本画家で、身体障がい者の社会復帰に力を尽くした大石順教尼(1888~1968)の依頼で、實川延若(二代目)や松本幸四郎(七代目)、尾上菊五郎(六代目)といった著名な歌舞伎役者が寄進した焼香台や手水鉢、燈籠の竿石があり、文学史跡としても貴重です。 平成29年3月 八尾市教育委員会
