はい、今回は大阪市阿倍野区「聖天山古墳(しょうてんやまこふん)」を紹介します。公園内にある古墳といえば、もう皆さんわかりますよね。そう魔改造古墳です。
ここ聖天山古墳は、大阪5低山の一つにして公園内にある魔改造古墳なんです。今回は人口密集地の公園ということで子供が遊んでいる確率も高く、激写難易度の高さも予想されます。子供たちに「この古墳不審者野郎!!」と罵倒される可能性を顧みず、今回は大阪市阿倍野区にある「聖天山古墳」に行ってきました。
聖天山古墳とは
もともと聖天山には、5世紀に築造された前方後円墳が存在したといわれています。かつて聖武天皇がその古墳に立ち寄ったことから「聖武帝山」と称されていたとのこと。その後、正圓寺に大聖歓喜天を祀るようになり、聖天山と呼ばれるようになったそうです。
聖天山古墳は、6世紀後半に築造された直径10数m円墳。地名から「北天狗塚古墳」とも呼ばれていました。1951年な聖天山の土取り工事の際に、土器や剣が出土したことで古墳であることが判明。現在古墳は、公園内に保存され大阪市顕彰史跡に指定されています。聖天山古墳の埋葬施設は、横穴式石室。石室内から人骨や土器、鉄剣などの副葬品が見つかっています。
この周辺には、「丸山古墳」「松虫塚」「小町塚・播磨塚」など、かつて古墳だったと思われる塚がいくつか残されています。おそらく他にも多くの古墳があったようですが、開発などにより失われたようです。
近くにある丸山古墳からは、石棺や香炉などが出土。吉田兼好がこの地に隠棲していたことから「兼好古墳」とも呼ばれていました。ただ現在は開発されて、丸山古墳があった場所にはマンションが建てられています。
一番恐れていた事態に
聖天山古墳のある大阪市阿倍野区に来ています。前回紹介した帝塚山古墳から真夏日の炎天下で40分も歩き、生命の危機を感じました。夏場の古墳巡りは命懸けです。
ちなみに聖天山の読み方が、最初わかりませんでした。
- せいてんざん
- せいてんやま
- しょうてんざん
- しょうてんやま
頭の中では「せいてんざん」と呼んでいましたが、正解は一番なさそうな「しょうてんやま」がでした。日本語難しい。
大阪5低山の一つである聖天山は、標高14mと5低山の中で2番目に低い山。2番じゃダメなようで、知名度はあまりありません。なんでも1番じゃないと目立ちませんね。5低山のうち4山は、古墳であり以前紹介した御勝山もそのひとつ。
聖天山の山頂には「正圓寺」があるので寄ってみることに。寺の入り口にはなぜか鳥居が建てられており、寺なのか神社なのかよくわかりません。
日本の神社仏閣は、神社の中に寺がある「神宮寺」や、寺を護るために「鎮守」的な役割の神社など様々なパターンがあります。そんなわけで、正圓寺の境内にもきっと神社があるのでしょう。
階段を10秒ほど登ったところが聖天山の山頂。さすが大阪で2番目に低い山です。この辺りも前方後円墳といわれており、実際に埴輪なども出土しています。推測では、正圓寺の境内あたりが前方部にあたるとのこどで、確かに上から見ると前方後円墳に見えなくもありません。
山門をくぐると、正圓寺の本堂があります。本堂の横にお守りや御朱印を扱う建物があり、おばあちゃんが鎮座して境内を凝視していました。わりと圧が強くて激写がためらわれます。
こちらが聖天山からの眺め。山自体は低いのですが、上町台地の上にあるので眺めはかなりいいです。一説によると、この地に吉田兼好が居を構えて静かに暮らしたとのこと。住宅地のない当時は、静かで景色もいい場所だったのではないでしょうか。
とりあえず、聖天山は踏破したので聖天山古墳へ。古墳は、お寺の北側にある聖天山公園内に保存されています。古墳を探してみるとありましたが、なんと古墳の上にお子様方がたむろっています!!(写真には小さくて見えてませんが)
これは、激写難易度が爆上がりです。うかつに古墳を激写していると「なに俺を撮ってるねん」ということにも。しかも古墳前の広場にも子供が多数おり、古墳を激写していると不審者確定です。
とりあえずさりげなく古墳に近づき、子供がこちら側を向いてないスキをついて激写。それを東西南北それぞれの方向から撮影するという、難易度の高いミッションでした。
本当ならば、魔改造された古墳の擁壁に触れながら「これは壁ですね」とつぶやきたかったのですが、少し離れた場所から見つめるしかありませんでした。
まとめ
今回は、大阪市阿倍野区にある「聖天山古墳」を紹介しました。公園&魔改造ということで、難易度高めと思っていましたが、まさか古墳の上が遊び場になっているとは思いませんでした。まあ、子供たちに親しまれている古墳ということで、それはそれでいいんじゃないでしょうか。私も魔改造古墳とキャッキャウフフしたかったです。
という訳で、聖天山古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、公園内にある魔改造古墳を紹介します。
聖天山古墳詳細
古墳名 | 聖天山古墳 |
別名 | 北天狗古墳 |
住所 | 〒545-0043 大阪府大阪市阿倍野区松虫通3丁目2 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 約10数m |
高さ | 不明 |
築造時期 | 6世紀後半 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
被葬者 | 不明 |
参考資料 | 案内板、大阪市HP |
案内板1
昭和26年(1951年)、聖圓寺北方約50mのこの地に横穴式石室が発見され、石室内から、須恵器壺、堤瓶、鉄刀数点、ガラス製小玉、琥珀製棗玉が出土した。聖天山には、こうした古墳が群集していたとみられる。(大阪府教育委員会)
案内板2
上町台地西斜面の高所にあって大阪湾を一望できるこの地は「聖天山古墳」という埋蔵文化財包蔵地となっている。その範囲がほぼ字北天狗塚と重なることから北天狗塚古墳と呼ばれたこともある。
昭和26年11月、現在の聖天山公園一帯で行われていた土採り工事の最中に土器や鉄剣が発見され、通報を受けた大阪府教育委員会によって発掘調査が行われた。
調査担当者は後に関西考古学会の重鎮となる藤澤一夫氏(当時38歳)であった。調査の結果、玄室内から多数の副葬品や人骨が出土し、6世紀後半に築かれた横穴式石室を持つ直径十数mの円墳の存在が明らかにされた。恐らく、同じような構造や規模をもつ古墳が周辺に群集していたと推測される。
また一方、公園南側にある聖圓寺境内については、その平面形から西側に前方部を持つ前方後円墳ではないかという考えも出されている。平成29年にそこで行われた調査では5世紀代の埴輪も出土しており、聖天山公園一帯には5世紀~6世紀に築造された複数の古墳が存在していたと考えられる。