はい、今回は奈良県広陵町にある「三吉石塚古墳(みつよしいしづかこふん)」を紹介します。広陵町には多くの古墳が存在し、整備された古墳も多くみることができます。
三吉石塚古墳は、築造時の姿に復元された見学しやすいイージー古墳に仕上がっています。そんな整備されたイージー古墳と聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、奈良県広陵町にある「三吉石塚古墳」へ行ってきました。
三吉石塚古墳とは
三吉石塚古墳のある、奈良県広陵町に来ています。今回は車で来ておりますが、古墳としては非常に珍しく駐車場が横にあります。とてもイージーですね。正確には共同墓地の駐車場ですが、町営の墓地なので大丈夫でしょう。
広陵町と隣接する河合町にかけては「馬見古墳群」が広がっています。馬見古墳群は、4世紀末〜6世紀にかけて築造された古墳群で、250基以上の古墳で構成。また「佐紀盾列古墳群」「大和・柳本古墳群」とともに「大和3大古墳群」ともいわれています。
馬見古墳群の中で整備された古墳では「ナガレ山古墳」が有名ですが、三吉石塚古墳も地味に整備されています。この点もイージーですね。
古墳好きからすると「お、土の塊だね!」とか「また茂みですか」と呟けないのが寂しいのですが、こんなイージー古墳がないと一般人の食いつきがよくありません。まあ、来た時は誰もいませんでしたが。
三吉石塚古墳は、5世紀後半に築造された全長45m、高さ6.5mの「帆立貝形古墳」。帆立貝形古墳とは、文字通り帆立貝の形をした古墳で、円墳の先に「造出し」と呼ばれる角状の張り出しを有した古墳。
こちらが三吉石塚古墳の正面です。きれいに整備されて階段まで設置されています。イージーですね。イージー過ぎます。
こちらは、墳丘から突き出した「造出し」の再現。イージーですね。
こちらの周濠も再現されています。とてもイージー。
墳丘にビッシリと敷き詰められた葺石も再現。イージーです、はいイージー。
こちらが墳頂部。円筒埴輪がグルっと並べられて、とってもイージー。
こちらは、墳頂からの眺め。正面に見えるのは「新木山古墳」で、押坂彦人大兄皇子の陵墓参考地とされています。宮内庁が管理しているので中に入れません。これはイージーじゃないですね、許せません。
とりあえず誰もいないので気兼ねなく撮影できるのですが、イージー過ぎて見るところがなくなったので、とりあえず帰りました。
まとめ
今回は、奈良県北葛城郡広陵町にある「三吉石塚古墳」を紹介しました。このイージーさに興奮しだしたら末期状態なので、ぜひイージーさを体感してください。
という訳で、三吉石塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、上れるイージー古墳を紹介します。
三吉石塚古墳詳細
古墳名 | 三吉石塚古墳 |
住所 | 〒635-0823 奈良県北葛城郡広陵町三吉 |
築造時期 | 5世紀前半 |
墳形 | 帆立貝型古墳 |
全長 | 45m |
高さ | 6.5m |
埋葬施設 | 不明 |
被葬者 | 不明 |
県の指定文化財 | 1992年3月6日 |
参考資料 | 案内版 |
案内板
三吉石塚古墳は、新木山古墳(全長200m)の外堤西側に接する場所に造られた東向きの帆立貝式古墳です。古墳は、後円部に短い前方部の付く形で、周囲に馬蹄型の濠がめぐっています。
墳丘は、後円部が2段に作られ、第一段目には、円筒埴輪列に朝顔形埴輪を置いた埴輪列がめぐり、後円部の頂上には、蓋・短甲・家などの形象埴輪を置いていました。
墳丘と周濠部分の内側には、10~30cmの葺石を施しています。特に、後円部の葺石が縦に一列に並ぶところがあり、この葺石の列石間がひとつの作業単位であり、作業方法を示す基準であったと考えられます。
葺石の材料は、前方部に使用されている黒雲母花崗岩が当麻町西方から、後円部の輝石安山岩が香芝市の二上山麓から運ばれてきたものです。
また、前方部の南東隅には、他に例をみない張出部が設けられています。外堤部にも埴輪列がめぐり、周濠の幅が極端に狭いことから、墓道として造られたと思われます。
整備は、後円部の古墳の遺構を盛土で保存した上に、かさあげ方式で築造当初の姿を復元する工法を採用し、円筒・朝顔形埴輪は、出土遺物に基づき製作した複製品を設置しました。葺石材についても遺構の葺石の産地に近い場所の石材を選び、築造当時の積み方を模しています。
平成7年10月 広陵町教育委員会