三吉石塚古墳|みんなに優しいイージー円墳〜奈良県広陵町〜

はい、今回は奈良県広陵町にある「三吉石塚古墳」を紹介します。三吉石塚と書いて「みつよしいしづか」と読みます。

以前、日本で一番古墳の多い県を紹介しましたが、古墳が一番多い市町村がどこかご存じでしょうか?バリュー投資家なら誰でも分かるイージー問題ですが、正解は「広陵町」です。とってもイージーですね。

そんなイージー広陵町にあるイージー古墳が「三吉石塚古墳」なんです。何がイージーかといえば、古墳がキレイに整備されて、駐車場まであるただそれだけの話です。

ここ最近、クセの強い古墳が続いたので、今回はイージー古墳を見ていただき、皆さんの心を癒したいと思います。

広陵町とバリュー投資

バリュー投資家なら、広陵町と聞いて思い浮かぶ企業があります。2秒以内に思い浮かばなかった方はバリュー投資家失格なので、今すぐインデックス投資家に転向してください。正解は、靴下屋でおなじみの「タビオ」です。ここ広陵町は、タビオ創業者の生まれ故郷であり、タビオの研究所が存在します。

タビオ

もともと広陵町は大和木綿の産地で、明治時代から靴下の生産地でした。現在は、中国製の廉価な靴下が優勢ですが、広陵町は国産靴下の生産では日本一を誇っています。

私が投資を始めた頃のタビオは、バリュー銘柄として大変有名でして「タビオを持たざるものバリュー投資家にあらず」というほどタビオ人気でした。はい、少し話を盛り過ぎました。実際は、まあまあ人気があったぐらいです。それにしても、靴下生産日本一で古墳数も日本一とか、最強の町じゃないでしょうか。移住待ったなしですね。

三吉石塚古墳はイージー古墳

そんな訳で、奈良県北葛城郡広陵町にきました。今回は車で来ておりますが、古墳としては非常に珍しく駐車場が横にあります。とてもイージーです。正確には共同墓地の駐車場ですが、町営の墓地なので大丈夫でしょう。

広陵町と隣接する河合町にかけては「馬見古墳群」が広がっています。馬見古墳群は、4世紀末〜6世紀にかけて築造された古墳群で、250基以上の古墳で構成。また「佐紀盾列古墳群」「大和・柳本古墳群」とともに「大和3大古墳群」ともいわれています。

馬見古墳群の中で整備された古墳では「ナガレ山古墳」が有名なんですが、三吉石塚古墳も地味に整備されています。この点もイージーですね。

ナガレ山古墳
ナガレ山古墳

古墳好きからすると「お、土の塊だね!」とか「また茂みですか」と呟けないのが寂しいのですが、こんなイージー古墳がないと一般人の食いつきがよくありません。まあ、来た時は誰もいませんでしたが。

三吉石塚古墳は、5世紀後半に築造された全長45m、高さ6.5mの「帆立貝形古墳」。帆立貝形古墳とは、文字通り帆立貝の形をした古墳で、円墳の先に「造出し」と呼ばれる角状の張り出しを有しています。

三吉石塚古墳

帆立と聞いても武田久美子しか連想しないコサカスバリュー投資家は、社会の害悪なので早く滅んでください。こちらが三吉石塚古墳の正面です。きれいに整備されて階段まで設置されています。イージーですね。イージー過ぎます。

三吉石塚古墳

こちらは、墳丘から突き出した「造出し」の再現。イージーですね。

三吉石塚古墳

こちらの周濠も再現されています。とてもイージー。

三吉石塚古墳

墳丘にビッシリと敷き詰められた葺石も再現。イージーです、はいイージー。

三吉石塚古墳

こちらが墳頂部。円筒埴輪がグルっと並べられて、とってもイージー。

三吉石塚古墳

こちらは、墳頂からの眺め。正面に見えるのは「新木山古墳」で、押坂彦人大兄皇子の陵墓参考地とされています。宮内庁が管理しているので中に入れません。これはイージーじゃないですね、許せません。

三吉石塚古墳

とりあえず誰もいないので気兼ねなく撮影できるのですが、イージー過ぎて見るところがなくなったので帰りました。

まとめ

三吉石塚古墳

今回は、奈良県北葛城郡広陵町にある「三吉石塚古墳」を紹介しました。迷えるバリュー投資家にも優しいイージー古墳ということで、心も癒されたのではないでしょうか。

このイージーさに興奮しだしたら末期状態なので、ぜひイージーさを体感してください。次回、気が向けば別のイージー古墳を紹介したいと思います。

三吉石塚古墳詳細

古墳名三吉石塚古墳
住所〒635-0823 奈良県北葛城郡広陵町三吉
築造時期5世紀前半
墳形帆立貝型古墳
全長45m
高さ6.5m
埋葬施設不明
被葬者不明
県の指定文化財1992年3月6日
参考資料案内版

案内板

三吉石塚古墳は、新木山古墳(全長200m)の外堤西側に接する場所に造られた東向きの帆立貝式古墳です。古墳は、後円部に短い前方部の付く形で、周囲に馬蹄型の濠がめぐっています。
墳丘は、後円部が2段に作られ、第一段目には、円筒埴輪列に朝顔形埴輪を置いた埴輪列がめぐり、後円部の頂上には、蓋・短甲・家などの形象埴輪を置いていました。
墳丘と周濠部分の内側には、10~30cmの葺石を施しています。特に、後円部の葺石が縦に一列に並ぶところがあり、この葺石の列石間がひとつの作業単位であり、作業方法を示す基準であったと考えられます。
葺石の材料は、前方部に使用されている黒雲母花崗岩が当麻町西方から、後円部の輝石安山岩が香芝市の二上山麓から運ばれてきたものです。
また、前方部の南東隅には、他に例をみない張出部が設けられています。外堤部にも埴輪列がめぐり、周濠の幅が極端に狭いことから、墓道として造られたと思われます。
整備は、後円部の古墳の遺構を盛土で保存した上に、かさあげ方式で築造当初の姿を復元する工法を採用し、円筒・朝顔形埴輪は、出土遺物に基づき製作した複製品を設置しました。葺石材についても遺構の葺石の産地に近い場所の石材を選び、築造当時の積み方を模しています。
平成7年10月 広陵町教育委員会

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