佐味田狐塚古墳|道路で真ん中をぶち抜かれた古墳

佐味田狐塚古墳|道路で真ん中をぶち抜かれた古墳

はい、今回紹介するのは奈良県河合町にある「佐味田狐塚古墳」です。この佐味田狐塚古墳はなんと、古墳の真ん中を道路をぶち抜いた破天荒な古墳なんです。

古墳の真ん中なんて、ちょうど埋葬施設がある場所ですよ?そこをぶち抜いたら、両端の盛り上がりなんてタダの「盛り土」ですよ?

もはや古墳と呼んでいいのか分からない古墳を、もはやバリュー投資家と呼んでいいのか分からないバリュー投資家が見に行くことにしました。

河合町は御墳印で町おこし

佐味田狐塚古墳は、奈良県河合町と広陵町にまたがる「馬見古墳群」に属しています。以前、日本一古墳群が多い市町村は「広陵町」と紹介しましたが、河合町にもかなりの数の古墳が存在します。まあ、数えたことはありませんが。

ちなみに河合町は、御朱印ならぬ「御墳印」というもので町おこしをしています。古墳を巡ってそれを写真を写し、指定の場所で写真を見せれば御墳印をもらえるとのこと。

ただパンフレットを見ると、古墳だけでなく神社などの史跡もありました。御墳印というからには、古墳に限定して意味不明な盛り土や、謎の茂みをみせつけるべきだと思います。

前方後円墳だけが古墳だと思っている甘っちょろいバリュー投資家たちに、盛り土でガツンと現実を突きつけてあげるのが、本当の優しさではないでしょうか。

どんな感じで真ん中をぶち抜かれているのか

はい、佐味田狐塚古墳のある馬見丘陵公園にやってきました。馬見丘陵公園は、東京ドーム14個分もの広い敷地をもち県内では奈良公園に次ぐ広さ。古墳の保護と活用を目的に造成されたているので、至る所に古墳があります。これはもうワッショイ古墳祭りですね。

馬見丘陵公園

入場料、駐車場ともに無料で、バリュー投資家も大歓喜。奈良県に来て、ここへ観光に来ない理由はありません。

今回は、花を愛でるという口実で家族とやってきましたが、真の目的は「古墳巡り」であることはいうまでもありません。

ちなみに敷地内にあるパンケーキ屋さんが美味しくてオシャレなんですが、ソコソコの値段で破産しました。

青空と新緑に包まれた気持ちいい空間なのですが、道の両端の盛り上がりも実は古墳なんです。もう最高。この感動を家族に伝えると「ハァ?」という素敵な答えを頂きました。ありがとうございます。

ブラブラと公園を散策しながら、佐味田狐塚古墳に到着。

佐味田狐塚古墳

古墳の案内板があるので古墳があると分かりますが、看板がなければ絶対分かりません。

佐味田狐塚古墳は、5世紀前半に築造されたとされる全長78m、高さ7mの帆立貝型古墳。埋葬施設は「粘土槨」で、盗掘により副葬品はあまり見つかっていません。

1975年に町道が建設される際に墳丘の真ん中が道路にぶち抜かれており、その際に埋葬施設も失われています。もういっそのこと殺してくれって感じですね。

佐味田狐塚古墳

こちらが古墳の南側になります。墳丘の側面に階段が設けられており、上に登ることができます。

佐味田狐塚古墳

登ってみると、緑のトンネルがあり、ちょっとジブリっぽい。

佐味田狐塚古墳

ジブリならこのトンネルをくぐると神秘的な風景が広がっていますが、こちらは橋が架けられているだけでした。道路でぶち抜かれるだけでなく、橋が架けられるという魔改造が施されています。これには被葬者もビックリ。

佐味田狐塚古墳

こちらが、橋の上からの眺め。完全に古墳の中央を道路がブチ抜いています。

佐味田狐塚古墳
佐味田狐塚古墳

本当は道路に出て撮影した方がわかりやすいのですが、面倒臭かったので無理でした。

そしてこちらが橋を渡った北側の墳丘。こちらにも階段が設置されており行き来できるようになっています。ちょっといい感じに整備されているのは、道路で墳丘をブチ抜いた罪悪感からでしょうか。

佐味田狐塚古墳

よくわからない風景を激写し続けていると、家族に置いていかれたので帰ることにしました。

まとめ

佐味田狐塚古墳

今回は、奈良県北葛城郡河合町にある「佐味田狐塚古墳」を紹介しました。古墳のド真ん中を道路がぶち抜くという、バリュー投資家も憤怒な古墳でした。

この憤怒さに興奮しだしたら末期状態なので、ぜひこの憤怒さを体感してみてはいかがでしょうか。次回、気が向けば別の憤怒古墳を紹介したいと思います。

佐味田狐塚古墳詳細

古墳名佐味田狐塚古
住所〒636-0062 奈良県北葛城郡河合町佐味田
築造時期5世紀前半
墳形帆立貝形古墳
全長78m
高さ7m
埋葬施設粘土槨
被葬者不明

案内板

佐味田狐塚古墳は南北方向の主軸を持つ古墳時代前期の帆立貝形の前方後円墳である。史跡巣山古墳の西北方に位置する。墳丘全長78m、後円部直径55m、前方部幅約31m、くびれ部幅20m、と復元される。後円部では周濠が確認されている。後円部中央の墓壙は南北10m、東西4.5mで、盗掘されていた。盗掘坑内から銅鏡細片1、刀子1、などが出土した。