孝霊天皇陵|128歳はさすがに盛り過ぎではないですか?〜奈良県王寺町〜

孝霊天皇陵|128歳はさすがに盛り過ぎではないですか?〜奈良県王寺町〜

はい、今回は奈良県王寺町にある「孝霊天皇陵」を紹介します。孝霊天皇と聞いても馴染みが全くない人物ですが、第7代の天皇陛下です。

記紀によると孝霊天皇は「128歳」で亡くなっており、当時の平均寿命を考えると有り得ない年齢でサバ読み疑惑も浮上。

という訳で、本当に孝霊天皇は128歳まで生きたのかを調べるため、奈良県北葛城郡にある孝霊天皇陵まで向かいました。まあ、行ったところで何もわからないんですが。

孝霊天皇とは

孝霊天皇という名は後世に名付けられたもので、記紀における名前は下記になります。
日本書紀…大日本根子彦太瓊天皇
・古事記…大倭根子日子賦斗邇

どちらも「おおやまとねこひこふとに」と読みます。

父は高安天皇、母は押媛。妻に細姫命を持つほか、幾人かの妃がいます。細姫命の父は、磯城県主大目という人物ですが、詳しいことは分かっていません。

子供には孝元天皇の他に幾人か存在しますが、特に知られているのが「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)」ではないでしょうか。

倭迹迹日百襲姫命は、三輪山の神である大物主命の妻。日本書紀によると、倭迹迹日百襲姫命は箸が陰部に刺さって死んだと伝わっており、三輪山近くにある「箸墓古墳」が倭迹迹日百襲姫命の墓とも伝わっています。

箸墓古墳
箸墓古墳

孝霊天皇は、孝安天皇の崩御後に即位。都を黒田庵戸宮に移したと伝えられています。都と伝わる黒田庵戸宮は、現在の奈良県田原本市黒田周辺との説も。

奈良県田原本市にある「庵戸宮跡」
[[File:Kuroda-no-Ioto-no-Miya.jpg|Wikipedia]]

日本書紀における孝霊天皇に関する記述は非常に少なく「都の場所と名前」「妃と子供」「崩御した年」ぐらいの記述しかありません。

年齢については触れられていませんが、誕生から崩御までを計算すると128歳になります。これには理由があり、国の歴史を編纂する際に建国の古さをアピールする意図があったと考えられています。

2代綏靖天皇から8代開元天王までの8代は「欠史八代」と呼ばれ、実在性が疑われています。この8代にわたる天皇は記録が簡素な反面、多くが長命でした。

諸説があり真相は不明ですが、記紀に記載している内容をそのまま史実としてとらえるのは考えづらいようです。

日本書紀によると孝霊天皇の崩御後は「片丘馬坂陵」に葬られたと記録され、奈良県北葛城郡王寺町本町3丁目にある山が、宮内庁により「孝霊天皇陵」に比定されています。

孝霊天皇陵に行ってみました

孝霊天皇陵のある奈良県王寺町に来ております。孝霊天皇陵の近くに駐車場がないので、近くにある達磨寺へ参拝したついでに寄ることにしました。ちなみに達磨寺にも古墳があり、それが目的です。

達磨寺

王寺町は奈良県でも古墳が非常に少ない町で、孝霊天皇陵以外には、以前紹介した「畠田古墳」「達磨寺古墳群」「岩才池北古墳」ぐらいしかありません。

畠田古墳|地元有力者のイケてる古墳~奈良県王寺町~

現在の王寺町は、大阪市内へのアクセスも良好で発展していますが、古墳時代は人口の少ないエリアだったのかもしれません。

達磨寺から西の丘陵地へブラブラと歩きます。目の前に見えてる山が天皇陵かなと思いきや、これはただの山でこの裏側にある山が天皇陵でした。危なくただの山を激写しまくるところ。

孝霊天皇陵

徐々に上り坂がキツクなり、アラフォーの活動限界時間が近づいてきます。さらに歩くと案内板が存在。どうやらもう少しのところにあるようです。

孝霊天皇陵

さらに坂を上ると山が見えて来ましたがこちらが「孝霊天皇陵」のようです。宮内庁の区分によると「山形」に分類されており、そもそも古墳であるかも不明。もちろん発掘調査もされていないので墳形、築造時期、埋葬施設など、一切不明。

孝霊天皇陵

正面に見える階段からさらに山を登ります。すでにどこからどこまでが墓なのか分かりません。

孝霊天皇陵

階段の途中にある「片丘馬坂陵」の看板と石碑。どちらもテンプレートの内容で特筆すべきところはなし。

孝霊天皇陵

宮内庁の案内板は遥拝所の近くに建てられるケースが多いので、このように入口に置かれるケースは珍しいかもしれません。だから何だといわれても困るんですが。

さらに坂道を登りますが、もう坂は勘弁してほしいですね。普段だれも上ってくることがないのか、頭の高さぐらいの位置に巨大なクモの巣が張られてました。

孝霊天皇陵

こちらが孝霊天皇陵の遥拝所。どこも同じような作りなのでツッコミどころもありません。天皇陵の場合、前方後円墳の前方部に設けられることが多いのですが、孝霊天皇陵は墳形が不明で山の南側に設置されています。

孝霊天皇陵

墳形が分かるかなと奥を覗いてみましたが、完全に普通の「山」でした。これが山じゃないんだったら何が山なんだとい感じ。

孝霊天皇陵

遥拝所の右側にある天皇陵の管理小屋。こちらも量産タイプで特筆する点はなし。

孝霊天皇陵

遥拝所の横から一周できるような通路がありましたが、残念ながら庶民は立入禁止のようです。来世は皇族に生まれ変わって、天皇陵巡りをしたいと思います。

孝霊天皇陵
孝霊天皇陵

とりあえず遥拝所以外は何もありませんでしたが、眺めだけはよかったです。

孝霊天皇陵

とくに激写スポットもないし、人がおらず寂しかったので帰ることにしました。

まとめ

今回は、奈良県王寺町にある「孝霊天皇陵」を紹介しました。実在するかどうかわからないけど128歳まで生きた謎の天皇陛下といえます。

感想としては「山ですね」という言葉以外出てこないのですが、そんな山みたいな墓を見たくて仕方がない人にピッタリな陵墓といえるでしょう。

という訳で、孝霊天皇陵の紹介はこの辺で。次回はまた、別の山の上にある謎の天皇陵を紹介したいと思います。

孝霊天皇陵詳細

古墳名孝霊天皇片丘馬坂陵
住所奈良県北葛城郡王寺町本町3丁目
墳形山形
全長不明
高さ不明
築造時期不明
埋葬施設不明
被葬者孝霊天皇
参考資料天皇陵総覧