安堂第6支群3号墳|公園に移設された貴重で微妙な古墳〜大阪府柏原市〜

安堂第6支群3号墳

はい、今回は大阪府柏原市にある「安堂第6支群3号墳」を紹介します。安堂第6支群3号墳の周辺では、多くの古墳が開発により失われています。しかし安堂第6支群3号墳は、貴重な古墳ということで、公園内に移設保存されています。

ただ、柏原市における重要な史蹟として保存されていますが、なかなか微妙な姿で保存されています。そんな公園内に移設保存された貴重で微妙な古墳と聞いたからには、見に行かずにはおれません。という訳で、大阪府柏原市にある「安堂第6支群3号墳」に行ってきました。

公園に移設されているが…

安堂第6支群3号墳のある、大阪府柏原市にきています。古墳名に支群や何号墳とついているように、この古墳は「平尾山古墳群」に属しています。

平尾山古墳群は生駒山系南部に位置し、古墳の総数は確認されているだけで、1400基もの古墳が存在。一須賀古墳群、高安千塚古墳と並ぶ、大阪府最大規模の古墳群として知られています。

この平尾山古墳群は「安堂」や「平尾山」などの8つの支群により構成されており、安堂第6支群3号墳は「安堂支群」に属しています。

そんな訳で、安堂第6支群3号墳が保存されている「高井田第1号公園」へやってきました。それにしても公園名が、地名+数字という無味乾燥ぷりが清々しく、かなり好感が持てます。ちなみにこの公園の中や周辺にも小型の古墳が複数あるようで、このこんもりとした丘も古墳らしいです。

安堂第6支群3号墳

安堂第6支群3号墳は、1985年4月の発掘調査により、現在地から西へ250mの地点で発見。現地で保存ができなかったため、こちらに移設保存されています。

そんな訳で、公園を歩いていると片隅に、移設保存された「安堂第6支群3号墳」を発見。現在は、石室だけが移設保存されているようです

安堂第6支群3号墳

天井石は失われており、側壁もほぼありません。案内板が置かれていなければ、これが何なのか分からないでしょう。

安堂第6支群3号墳

しかも頼みの綱である案内板も派手にクラッシュ。後半部分が全然読めません。

安堂第6支群3号墳

安堂第6支群3号墳は、7世紀中頃~後半に築造された古墳で、直径約23mの円墳と考えられています。発見時は既に封土は失われており、周溝の一部が残されていました。石棺も持ち去られていましたが、石室内からは土師器や須恵器が出土しています。

石室の状態が悪いにも関わらず、移設保存されたことには理由があります。それは、柏原市内で初めて見つかった「切石を用いた横穴式石室」だったことです。

安堂第6支群3号墳

いわゆる「岩屋山式横穴式石室」と呼ばれるもので、切石を組み合わせた高い技術が用いられています。

岩屋山古墳
岩屋山式のモデルとなった奈良県明日香村の「岩屋山古墳」

また、床面には凝灰岩の切石が16枚敷かれていました。敷石と石室の壁の間には細かい河原石が敷きつめられており、かなりこだわりのある石室だったようです。

安堂第6支群3号墳

被葬者は不明ですが、安堂第6支群3号墳から少し西には「鳥坂寺」という古代寺院が存在しました。鳥坂寺は、この一帯に勢力を持っていた鳥取氏(ととりし)が氏寺として創建したとの説があります。

鳥坂寺の建立時期と、安堂第6支群3号墳の築造時期は、ほぼ同時期とのこと。そのため、寺を建立した一族と古墳には何らかの関係性があるのではと考えられています。

過去に岩屋山古墳に訪問したことがあるのですが、非常に美しく高い技術を感じました。奈良県には完全な姿で実際に見ることができる石室はいくつか存在しますが、大阪にはあまり存在しません。

岩屋山古墳の石室
岩屋山古墳の石室

もし安堂第6支群3号墳が完全な姿で残っていれば、もう少し有名になれたのかもしれません。B級古墳好きとしては、この姿もなかなかポイントが高いのですが。

という訳で、公園にあるにもかかわらず誰も人がいないので激写し放題ですが、激写ポイントがほとんどないので、とりあえず帰ることにしました。

まとめ

安堂第6支群3号墳

今回は、大阪市柏原市にある「安堂第6支群3号墳」を紹介しました。切石を用いた貴重な石室ということですが、残存部分が少なく微妙な雰囲気を醸し出している古墳でした。

ただ、柏原市における切石を用いた石室ということで、史跡としては価値が高いのではないかと思います。見た目的にはそれが伝わってきませんが。

という訳で、安堂第6支群3号墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、公園内に保存された微妙で貴重な古墳を紹介したいと思います。

安堂第6支群3号墳詳細

古墳名安堂第6支群3号墳
住所大阪府柏原市高井田
墳形円墳
直径約23m
高さ不明
築造時期7世紀中頃~後半
被葬者不明
埋葬施設横穴式石室
出土物須恵器の蓋、杯、長頸壺、甕、土師器の蓋、杯、高杯、丸底壷、近世の椀
参考資料柏原市ホームページ

案内板

安堂第6支群3号墳は、斜面を削りだした平坦地に造られた直径23m前後の円墳で、墳丘は土を数cmずつの厚さで叩きしめる「版築」という技法を一部に用いて築かれていました。石室は美しく加工された石を積み上げた「岩山式石室」と呼ばれる横穴式石室で、最も大きい石の重さは約15トンもあります。死者を納めた部屋を玄室といいますが、その床面には凝灰岩の切石が16枚敷かれ、そのまわりに細かい河原石が敷きつめられてきました。切石の上には石棺がおかれていたようですが、調査した時には、すでに石棺は破壊され、持ち去られていました。この古墳の造られた時期は、石室の形態や出土した土器から、7世紀の終わり頃と考えられます。その頃には古墳がほとんど作られなくなっていたので、その点でも注目される古墳です。
この古墳は、1985年4月の発掘調査によって、ここから西へ250mの地点で発見されましたが、現地での保存が不可能なため、石室のみをこの場所に移設し、公開することになりました。
1998年1月
柏原市教育委員会

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