はい、今回は奈良県奈良市にある「鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)」を紹介します。奈良市にある若草山といえば、関西圏に住む人なら小学校の遠足で行った人も多いと思います。お弁当を食ってると、鹿が寄ってきて横から食べられたなんて人もいるんではないでしょうか。
鹿の印象が強い若草山ですが、本当の主役は古墳なんです。実は若草山の山頂には「鶯塚古墳」という素敵な古墳が鎮座しています。よく考えてみれば、若草山の山頂ってどこにあるんでしょうか?ということで、若草山の山頂にある鶯塚古墳に行ってきました。
意外と知られていない奈良奥山ドライブウェイ
奈良県奈良市にきております。今回は、大仏も春日大社も一切スルーして鶯塚古墳だけに向かいます。家族から不満がでないか心配で仕方ありません。若草山の別名「三笠山」。若草山は下から見ても分からないのですが、三段に分かれた構成になっており、笠を三つ重ねたような姿からそう呼ばれています。
ちなみに百人一首で有名な阿倍仲麻呂の和歌
「天の原 ふりさけみれば春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
にも三笠山が出てきますが、若草山の隣にある春日山も別名「三笠山」と呼ばれており、この和歌は若草山ではなく春日山を指しているとのこと。隣の山も三笠山とかややこしすぎるでしょ・・・
三笠山の山頂へ行くには2パターンあります。一つは徒歩で登るパターンで、片道約1時間ほどの距離。二つ目は自動車で有料道路を利用して登るルートです。
暑い季節だったのと歩くのが面倒くさいということで、ためらいなく有料自動車道をチョイス。運動不足のアラフォーが炎天下を1時間歩くというのは死を意味します。
有料道路は「奈良奥山ドライブウェイ」といい、若草山~春日山~高円山の13㎞を結んでいます。今回は、若草山山頂までの「新若草山コース(片道3.7㎞)」を走りました。料金は往復530円で、高いのか安いのかよく分かりません。とりあえず古墳を見ることができるので激安ということにしておきます。
有料道路は「え?ここが入口」という路地から突入します。料金所でお金を払いズンズン登っていきますが、恐ろしい程のヘアピンカーブと勾配。ただ、10分も走れば山頂に到着。
山頂にそびえたつ前方後円墳
若草山の山頂は、40台ほど停められる駐車場が完備。またトイレや売店もあり、完全に観光地化されています。
駐車場から5分ほど歩いたところが若草山の山頂。ここまで来ると鹿なんていないだろうと思っていましたが、意外とたくさんいました。下界の鹿と違ってガツガツしておらず、鹿せんべいを持っていてもそんなにもグイグイ近づいてきません。
鹿たちは、山の上でのんびり草を食べて気持ちよさそうにまどろみ中。私も来世は、鹿に転生したいと思います。
家族が山頂からの眺めを堪能しているのを横目に、目的の鶯塚古墳にダッシュ。まあ、古墳は逃げないのでダッシュする必要はないんですが。
鶯塚古墳は、4世紀末〜5世紀初頭に築造された前方後円墳。全長103m、高さ9mの規模を有し、墳丘には葺石が施されていました。埋葬施設は不明ですが、前方部西隅で斧形石製品や、内行花文鏡などが出土。内行花文鏡は、中国の後漢時代に流行った銅鏡で、日本では弥生時代から古墳時代にかけて出土しているとのこと。
鶯塚古墳の名前は、清少納言の枕草子十七段にある「山陵はうぐひすの陵。柏原の陵。あめの陵。」という一節からきています。現代語訳すると「天皇陵といえばやっぱり、うぐいすの陵と柏原の陵とあめの陵だよね」という感じ。
文中の「うぐいすの陵」がこの鶯塚古墳に該当するとの説があり、鶯塚古墳と呼ばれています。ただ、鶯塚古墳は現代においても天皇陵ではありません。
実際のところ清少納言のいう「うぐいすの陵」がどの古墳なのかについては確かなことはわかっていません。大阪府南河内郡太子町にある、孝徳天皇陵も別名「うぐいすの陵」とも呼ばれており、「うぐいすの陵」の候補となっています。
ちなみに、柏原の陵は桓武天皇の「柏原陵」。あめの陵は不明ながら聖武天皇の「佐保山南陵」もしくは、天智天皇の「山科陵」とのこと。
鶯塚古墳の周囲は低いチェーンで囲われていますが、入っていいのかダメなのかがよく分かりません。というか普通にみんな入っているので多分大丈夫なのかなと思います。
おそらく地形を利用して築造した前方後円墳ということですが、大自然と一体化しており墳形はよく分かりません。
後方部には案内板と石碑が設置していますが、これがなければ本当にただの丘です。
墳丘中央部が小道になっており、後円部に続いています。
後円部が若草山の最高地点なのかは分かりませんが、三角点が置かれていました。三角点といえば四角い石柱が建てられているだけのイメージですが、なぜか四方を石に囲まれています。三角点が設置されている古墳というのも珍しいのかもしれません。
こちらが後円部に設置されている石碑。表面には「鶯塚」と刻まれています。
裏面は「享保十八歳次癸丑九月艮辰東大寺大勧進上人康訓建 延喜式曰平城坂上墓 清少納言謂之鶯陵 并河永誌」と彫られているとのこと。
「平城坂上墓」とは仁徳天皇の妃である「磐之姫命」の墓を指しています。もしかすると、江戸時代には鶯塚古墳を磐之姫命の陵墓と考えられていたのかもしれません。
こちらが鶯塚古墳の全景。まあ、丘ですね。
若草山の一番高いところなので、眺望は非常に素晴らしいものがあります。
しかし、若草山は低いとはいえ350mほどの高さがあります。こんなところに「古墳作るから石を運んでこい」とか言われると発狂しそうになりますね。現代人でよかったです。
実は若草山の山頂には、鶯塚古墳だけでなくこれに付随する円墳と方墳が3基が存在します。鶯塚古墳の正面にある少し盛り上がった部分。これがおそらく円墳の一つでしょう。ブルーシートがかけられているところは、もしかすると埋葬施設があった場所なのかもしれません。
こちらが反対側で、うっすらとした盛土ですね。ちなみに古墳名は不明です。
その隣にあるちょっとした盛り上がりも古墳ではないかと思います。
みんな上から奈良市内の眺めを楽しんでいますが、まさか古墳の上に立ってるとは思ってもみないでしょう。
もしかすると私が勝手に古墳と思ってるだけで、単なる土の盛り上がりなのかもしれません。ただの土の塊を古墳と思って激写してたことは何度もあるので案内板がないとわかりません。
ちなみにあと一つ古墳があるらしいのですが、どこにあるのか全くわかりませんでした。とりあえず、若草山山頂からの眺めは最高に良かったので、古墳は別としても良いところなのではないでしょうか。
まとめ
今回は奈良県奈良市にある「鶯塚古墳」を紹介しました。若草山の山頂にも巨大な前方後円墳があるというのは、意外と知られていません。鹿と古墳と登山を同時に楽しみたいという人には、絶好の場所ではないでしょうか。あんまりそんな人に出会ったことがないので、わかりませんが。
というわけで、鶯塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、山の上にある鹿古墳でお会いしましょう。
鶯塚古墳詳細
古墳名 | 鶯塚古墳 |
住所 | 〒630-8211 奈良県奈良市雑司町 |
墳形 | 前方後円墳 |
全長 | 103m |
高さ | 9m |
築造時期 | 4世紀末〜5世紀初頭 |
埋葬施設 | 不明 |
被葬者 | 不明 |
指定文化財 | 国の史跡:1936年9月3日 |
参考資料 | 案内板 |
案内板
若草山の山頂に築造されたほぼ南面する前方後円墳で、全長103m、前方部30m、後円部61mの規模である。二段築成の墳丘には葺石や埴輪がある。埋葬施設はあきらかではないが、以前に前方部西隅で斧形石製品や、内行花文鏡などが出土している。古墳の周辺には陪塚と考えられる円墳や方墳が3基確認できる。古墳の築造年代は4世紀末から5世紀初頭であると考えられる。なお、この古墳は清少納言の「枕草子」に記されている「うぐいすの陵」にあたるといわれ、古墳の名前もこれに由来している。
指定年月日昭和11年9月3日
令和2年3月奈良県