はい、今回は大阪府堺市にある「鏡塚古墳」を紹介します。この鏡塚古墳ですが、実はスーパーライフと一体化した古墳なんです。ライフコーポレーションは、首都圏と近畿で主に展開する企業で、食品スーパーにおいて売上高トップ級の企業でもあります。
そんな天下のライフと一体化するというミラクルな古墳が、鏡塚古墳です。それでは一体どれぐらい一体化した古墳なのかを確かめるべく、鏡塚古墳のある、大阪府堺市に行ってきました。
スーパーの駐車場脇にある微妙すぎる古墳
鏡塚古墳のある堺市北区にきています。この古墳は、百舌鳥古墳群の中でも特に気になっていた古墳なので大変期待しています。ちなみに鏡塚古墳は百舌鳥古墳群の一つですが、世界文化遺産には含まれていません。
もともと鏡塚古墳は、直径約26mの円墳でした。しかしJR阪和線と道路が施設されたことにより墳丘は削られ、現在は、直径20m、高さ1.5mほどの扁平な姿となっています。
発掘調査が行われていないので、埋葬施設などは不明。ただ濠があったことはわかっており、濠から出土した埴輪片から5世紀中頃に築造されたことが分かっています。
鏡塚古墳のすぐ西側には同時期に築造された仁徳天皇陵があり、鏡塚古墳は仁徳天皇陵の陪塚(付属墳)と考えられています。
鏡塚古墳は、JR阪和線百舌鳥駅の少し北側に位置し、線路沿いに北に少し歩くと鏡塚古墳が見えてきます。
ちなみに車窓から見える古墳ということで、古墳ファンからは少し人気の古墳だったりします。ぜひ皆さんもJR阪和線に乗ったときは、車窓からガン見しておいてください。もれなく土の塊をみることができます。
鏡塚古墳とJR阪和線の道が少し狭くなっていますが、これは古墳を保存するためとのこと。いやしかし微妙な保存ですね。「気持ち配慮しましたよ感」が満ち溢れています。まあ、全く配慮されないよりはましなので、これはこれでいいかもしれません。
鉄道だけではなく周辺でも開発が進み、古墳の隣にはスーパー「ライフ」が建てられています。鏡塚古墳は、ライフの駐車場の隣でこじんまりと存在。看板がなければ、完全にここが古墳とは気づかないでしょう。
ライフといえば四葉のクローバーが印象的ですが、ホームページを見ると「四つ葉のクローバー”は真心をもってサービスにつとめ、人々の豊かで幸せな暮らしに役立っていこう・・・というライフの企業姿勢をシンボライズしたもの」らしいです。「四葉は縁起がいいとかいう理由で選んだんじゃないの」と勝手に思っていたので大反省しました。
古墳の西側には案内板と石碑が建てられています。案内板だけでもありがたいのですが、石碑まで建てられるとはなかなかポイント高めです。
小型古墳は案内板も石碑もない土の塊が多いので、撮影し甲斐があります。
百舌鳥古墳群は中に入られない古墳が多いのですが、鏡塚古墳には気軽に入ることができます。ただ、入ったところで草と木が生えているだけなんです。墳丘が低いので、少し掘ったら埋葬施設とかすぐに出てきそう。
ちなみに古墳のすぐ横には、駐車場を整理するガードマンがおり、謎の土の塊を激写するオッサンを見つめていました。
「いやいや、私はスーパーでお茶を買ったら、ついでに気になった土の塊を偶然撮影してるんだよ!」というオーラを放ちながら去ることにしました。
まとめ
今回は大阪府堺市にある「鏡塚古墳」を紹介しました。車が写るので駐車場は撮影しませんでしたが、ガッツリとライフと一体化した古墳といえます。古墳ブーム到来に備えて、全国のスーパーは可及的速やかに古墳と一体化することをオススメします。
という訳で、鏡塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、スーパーと一体化した古墳を紹介します。
鏡塚古墳詳細
古墳名 | 鏡塚古墳 |
住所 | 大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町2丁 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 約20m |
高さ | 約1.5m |
築造時期 | 5世紀中頃 |
埋葬施設 | 不明 |
被葬者 | 不明 |
国の指定史跡 | 2014年3月18日 |
参考資料 | 案内板 |
案内板(新)
鏡塚古墳は、仁徳天皇陵古墳の東側に位置する円墳です。仁徳天皇陵古墳の周りには10数基の小さな古墳が築かれており、この古墳も仁徳天皇陵古墳と関わりのある古墳(陪塚)の一つと考えられます。
埋葬施設や副葬品については分かっていませんが、これまでの調査で古墳の周りには濠が巡ることが分かっています。濠の中からは墳丘から転落した葺石や埴輪が見つかり、埴輪の特徴から仁徳天皇陵古墳とほぼ同じ時期に造られたと考えられています。陪塚:大型古墳の周囲に築かれた中小の古墳
案内板(旧)
この古墳は、百舌鳥古墳群の中央にある大山古墳(仁徳天皇陵)の東方約90mに位置しています。現状は直径約20m、高さ約1.5mと扁平なうえ、墳丘が道路とJR阪和線によって大幅に削られているため、一見して古墳かどうかわかりにくくなっています。平成7年の範囲確認調査では、現在の地面から約1m下で濠と古墳の一部が確認され、元は周囲に濠を巡らせた直径約26m、高さ2.5m以上の、現状よりもかなり大きな円墳であったことがわかりました。
古墳の内部は調査が行われていないので、構造や埋葬品についてはわかっていません。しかし、溝の中からは古墳から落ちこんだ葺石(古墳の表面に貼りつけた拳大の自然石)や埴輪の破片が発見され、この埴輪の作り方などから大山古墳とほぼ同時期の5世紀中頃に造られたものと考えられています。
大型古墳の周囲には中小規模の古墳が築かれることが多いですが、鏡塚古墳も独立して存在しているのではなく、近くにある塚廻古墳や源右衛門山古墳などと同様、大山古墳と深い関わりをもって築かれたものでしょう。
古墳西側の道路が狭くなっているののは古墳を保存するための配慮です。
平成9年3月 堺市教育委員会