はい、今回は奈良県河合町にある「中良塚古墳(なからづかこふん)」を紹介します。中良塚古墳は、河合町における数少ない登れる前方後円墳として知られています。
この古墳は草も刈られ登りやすい上、魔改造も施されていないというパーフェクトな古墳なんです。という訳で、地味ながらパーフェクトな古墳である「中良塚古墳」へ行ってきました。
中良塚古墳(高塚山1号墳)とは
中良塚古墳のある、奈良県河合町に来ています。中良塚古墳は、奈良の三大古墳群である「馬見古墳群」の一つで、「北群」に属しています。北群は、川合大塚山古墳を盟主墳とした7基の古墳で構成されており「大塚山古墳群」とも呼ばれています。
中良塚古墳は川合大塚山古墳から少し離れた場所にあり、周辺の3基の小型古墳からなる一支群を形成しています。
中良塚という名前は地名の「穴闇(なぐら)」がなまり「なから」になったと考えられています。穴闇という地名も古墳が由来しているようです。
そんな訳で、川合大塚山古墳を見に来たついでに、中良山古墳にやってきました。中良山古墳は住宅地に存在するため、周囲は家に囲まれています。ただ、一部周濠も残っていることから、窮屈な感じはあまりありません。パーフェクトですね。
中良塚古墳は、5世紀後半に築造された全長88m、高さ6.5mの前方後円墳。2段に築成され、平坦部には円筒埴輪が並べられていたことが分かっています。また墳丘には葺石が敷かれ、周囲には濠と堤が巡らされていました。
古墳南側には案内板も設置されており、古墳の概要を知ることができます。大塚山古墳群で案内板が設置されている古墳は3基しかないので、これもパーフェクト。
看板を見ると古墳の名称に「中良塚古墳(高山塚1号墳)」と記載されています。この古墳には2つの呼び方があります。
・中良塚古墳
・高山塚1号墳
国の指定史跡に登録している名称は2番目の「高山塚1号墳」なので、正式名称としてはこちらになると思われます。中良塚古墳は、昔から呼ばれている名称なのかもしれません。
という訳で、墳丘に上ってみましょう。
こちらが後円部。大塚山古墳群における3基の前方後円墳のうち、盟主墳の大塚山古墳と城山古墳は後円部が北を向いています。しかし、この中良塚古墳だけ南に向いています。
こちらが前方部。墳丘はキレイに草が刈られており、とても歩きやすくなっています。
中良塚古墳の埋葬施設については、情報がありません。5世紀後半に築造された小型の前方後円墳ということで、粘土槨あたりが推定されます。
こちらが前方部から見た後円部。いい感じに前方部と後円部のくびれが分かり、パーフェクト。
西側は周濠が比較的良好に残っているので降りてみました。
行ってみると雪が残っており、予想以上にぬかるんでいました。足を一歩踏み出すとズブズブと沈み、地面はかなり柔らかめ。周濠もパーフェクトすぎて靴がドロドロになりました。
過去にこの古墳へ訪れた方のコメントを見ると、墳丘にはいくつもの埴輪片が見つかると書いていました。私も必死に地面を探してみましたが、全力で枯葉しかありませんでした。ちなみに見つけても、持って帰ると文化財保護法違反になるので注意しましょう。
掘りに入り靴がドロドロになって少しテンションが下がったので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は、奈良県河合町にある「中良塚古墳(高山塚1号墳)」を紹介しました。激写スポットもあり、登れる古墳ということで、地味ながらパーフェクトな古墳でした。
パーフェクトすぎてツッコみどころがないのが少し寂しいところですが、なんとなくパーフェクトな古墳を見たい人にはおススメの古墳ではないでしょうか。
という訳で、中良塚古墳こと高塚山1号墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、地味ながらパーフェクトな古墳を紹介します。
中良塚古墳(高塚山1号墳)詳細
古墳名 | 中良塚古墳 高塚山1号墳 |
住所 | 奈良県北葛城郡河合町穴闇211 |
墳形 | 前方後円墳 |
全長 | 88m |
高さ | 6.5m |
築造時期 | 5世紀後半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 粘土槨(推定) |
国の指定史跡 | 1956年12月28日 |
出土物 | 円筒埴輪片 |
参考資料 | ・大和葛城の大古墳群 馬見古墳群(河上邦彦氏) ・河合町北東部の文化財案内 |
案内板
中良塚古墳は前方部を北に向けた前方後円墳で、墳丘の全長は八十八メートル、後円部直径四十五メートル、後円部高さ六.五メートル、前方部幅五十メートル、前方部高六.五メートルを測ります。
墳丘は二段築成で、テラスには円筒埴輪が巡り、斜面部には葺石が施されていました。墳丘の周囲には周濠が巡り、さらに外側に外堤が巡っていたものと覆われます。埋葬施設は不明ですが、粘土槨であったと推定されます。
出土遺物としては、円筒埴輪の他に朝顔形埴輪・家形埴輪・盾形埴輪・蓋形埴輪及び須恵器があります。これらの遺物から五世紀後半の築造と考えられます。
「中良塚」という名称は「穴闇塚(なぐらづか)」の転訛と考えられています。
周辺に大塚山古墳・城山古墳(前方後円墳)、九僧塚古墳(方墳)、丸山古墳・高塚二号墳・高塚三号墳・高塚四号墳(円墳)の計七基の古墳があり、中良塚古墳とあわせて「大塚山古墳群」と呼ばれています。この古墳群は五世紀中頃から六世紀初頭にかけて造られました。現状では判然としませんが、大塚山古墳との間には谷地形があり、中良塚古墳の西側にある高山二・三・四号墳とともに、大塚山古墳群内での一支群を形成したようです。