はい、今回は奈良県河合町にある「城山古墳(しろやまこふん)」を紹介します。城山古墳は大塚山古墳群の一つとして国の史跡に登録されていますが、情報がほとんどありません。しかも墳丘は茂みに覆われた上に、一部が畑に魔改造されているとか。
そんな茂みと畑が大融合した古墳と聞いたからには、確かめずにはいられません。という訳で、畑と茂みが大融合した「城山古墳」へ行ってきました。
濠は畑、墳丘は茂み
城山古墳のある、奈良県河合町に来ています。城山古墳は、奈良の三大古墳群である「馬見古墳群」の一つで、その中の「北群」に属しています。北群は、川合大塚山古墳を盟主墳とした7基の古墳で構成されており「大塚山古墳群」とも呼ばれています。
城山古墳は、盟主墳である「川合大塚山古墳」の100mほどの北東の場所に位置しています。
城山古墳は、5世紀後半から6世紀初頭に築造された前方後円墳。ただ、発掘調査が行われていないため、詳しいことは分かっていません。古墳名は、中世に古墳に城が築かれていたことが由来。川合大塚山古墳にほど近い場所に存在することから、両古墳には関係性があった可能性があります。
という訳で、川合大塚山古墳へ行ったついでに、城山古墳に寄ってきました。ただ、城山古墳の周囲は、ほぼ住宅地に囲まれており、激写スポットがありません。古墳の周囲で撮影できるスポットがないか探していると、家と家の間に細い道があり、古墳が見える場所がありました。
墳丘手前にある更地は周濠の跡ですが、現在は畑になっています。過去に古墳へ行った方のホームページを見ていると、中に登ったとありましたが、どこから入っていいのか全く分かりません。というか雪が残る真冬ですが、盛大に草木が茂りまくっています。夏に行ったら、どれぐらい茂っているのか・・・
資料によると墳丘の全面にわたり開墾されているとのことですが、Googleマップを見る限りは一部だけが畑になっているようです。見た感じでは、畑がある雰囲気は全く感じません。
古墳東側の一部に、住宅のない個所があり墳丘を確認することができました。
全長109mの前方後円墳ということもあり、なかなかの存在感。墳丘は比較的良好な姿で残っており、前方部と後方部の盛り上がりが一目でわかりました。ただ墳丘は茂りまくっているので、こちらから近づくことも難しそうです。
前方後円墳の規模としては中型ですが、奈良県における6世紀前半の前方後円墳としては大型とのこと。詳しい発掘調査が行われていないため、埴輪や葺石の有無は分かっていません。埋葬施設も不明ですが、横穴式石室ではないかとも考えられています。
城山古墳も含めた大塚古墳群は、国の指定史跡に登録されています。ただ大塚古墳群全体として、整備されている雰囲気がありません。せめて案内板ぐらいあったらいいなと思うのですが、そもそも情報が少ないので書くことがないのかもしれません。
というわけで、畑と茂みばかりを激写していても仕方がないので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は、奈良県河合町にある「城山古墳」を紹介しました。畑と茂みが大融合した古墳でしたが、情報も撮影スポットも少ないという地獄のような古墳でした。いつかこの茂みが解き放たれて、美しい姿が見られる日は来るのでしょうか。可能性はとてつもなく低そうですが。
という訳で、城山古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、情報がなく、登れなく、激写スポットもない古墳を紹介します。
城山古墳詳細
古墳名 | 城山古墳 |
住所 | 奈良県北葛城郡河合町川合597 |
墳形 | 前方後円墳 |
全長 | 109m |
高さ | 10m |
築造時期 | 5世紀末葉~6世紀初頭 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室(?) |
国の指定史跡 | 1956年12月28日 |
出土物 | 不明 |
参考資料 | ・大和葛城の大古墳群 馬見古墳群(河上邦彦氏) ・河合町北東部の文化財案内 |