はい、今回は大阪府八尾市にある「抜塚(大窪・山畑7号墳)」を紹介します。
この古墳は通称「抜塚(ぬけづか)」とも呼ばれており、トンネルのように通り抜けられる古墳として知られています。通り抜けられる古墳が、古墳として成立しているか謎なんですが、通り抜けられる古墳と聞いたからには調査せずにはいられません。
そんな訳で、通り抜けられるという謎の「抜塚(大窪・山畑7号墳)」を見るため、大阪府八尾市に行ってきました。
墓地内にあるトンネル古墳へ
抜塚のある、大阪府八尾市に来ています。大阪府の古墳群といえば「百舌鳥・古市古墳群」が有名ですが、抜塚の属する「高安千塚古墳群」も大規模な古墳群として知られています。
高安千塚古墳群は、八尾市東部に位置する高安山山麓に存在。百舌鳥・古市古墳群のような巨大古墳はありませんが、かつては600基以上の古墳が存在した古墳群です。開発等により多くが失われていますが、現在でも200基以上が存在しています。
抜塚は、高安千塚古墳群において大窪・山畑支群に所属。この支群のうち、抜塚(7号墳)、6号墳、8号墳が来迎寺の墓地内に保存されています。という訳で、近鉄服部川駅近くのコインパーキングに車を停めて、抜塚のある来迎寺に向かいました。
他の古墳も見ながら15分ほど歩くと、来迎寺へ到着。墓地の南端にトンネル古墳の「抜塚」を発見しました。確かに向こう側が見えています。
ちなみに来迎寺にある古墳ということで「来迎寺塚」ともいわれているとのこと。墓地に存在するため、まあまあ人もいらっしゃいます。
一般的な横穴式石室は、棺が納められる「玄室」と、玄室への通路部分の「羨道(せんどう)」で構成されています。抜塚はすでに玄室部分が失われており、このトンネル部分は「羨道」にあたります。玄室は、画像にあるトンネル手前あたりに存在したとのこと。
とりあえずトンネル古墳に来たからには、通り抜けてみましょう。羨道の奥行きは8m、高さ2.2m、幅2.4m。抜塚は、高安千塚古墳の中でも最大級の横穴式石室を有していたといわれています。過去にいくつかの石室に入ったことがありますが、羨道にしてはかなりの規模だと感じました。
石室を補強するためか、隙間に土嚢が詰められています。くぐっているときに崩壊したら怖いですね。
抜塚は、7世紀前半に築造された円墳と考えられています。この時期の古墳は、小型化の傾向にありました。それにも関わらず石室にこれほどの巨石を用いていることから、抜塚の被葬者はかなり身分の高い人物だったようです。
こちらがトンネル反対側の開口部。古墳時代後期の古墳は、開口部が南側に向いているケースが多いのですが、抜塚も同じく開口部が南を向いています。
石室を覆う封土は大きく失われており、封土の流出を防ぐためか一部ブルーシートが被せられています。
抜塚の出土物は不明ですが、高安千塚古墳群に属する古墳からは「ミニチュア炊飯具の土器」がみつかっています。これは朝鮮半島系の古墳からよく出土することから、抜塚の被葬者も渡来系豪族だったのかもしれません。
ちなみに来迎寺の墓地内には6号墳、8号墳が存在しますが、調査不足で見落としていました。またここまで来なければいけないとは・・・
思った以上のトンネル古墳だったのでトンネル具合をゆっくりと堪能したかったのですが、墓場でウロウロしているのも怪しいので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は、大阪府八尾市にある「抜塚(大窪・山畑7号墳)」を紹介しました。高安千塚古墳群における最大規模の石室ということもあり、見応えのあるトンネル古墳ではないでしょうか。「最近トンネル古墳をくぐり抜けていないので、調子が悪いな」というお悩みをお持ちの方にはおすすめの古墳です。
という訳で、抜塚(大窪・山畑7号墳)の紹介はこの辺で。次回はまた別の、トンネル古墳を紹介します。
抜塚(大窪・山畑7号墳)詳細
古墳名 | 抜塚(大窪・山畑7号墳) |
別名 | 来迎寺塚 |
住所 | 大阪府八尾市大窪35 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 30m(推定) |
高さ | 6m(推定) |
築造時期 | 7世紀前半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
国の指定史跡 | 2015年3月10日 |
参考資料 | ・案内板 ・高安古墳群分布・測量調査報告書 |
案内板
付近一帯に群集する古墳は六世紀後半を中心に築かれた古墳時代後期の横穴式石室分である。遺体を安置する奥の玄室部とこれに通じる羨道部とからなっている。巨石を組んで石室を設け土を盛り上げた円墳でほとんど物が入口を南に開いている。
総数約二〇〇基を数えるこの古墳群は比較的古い時期の群集墓として著名である。
八尾市教育委員会