はい、今回は兵庫県宝塚市にある「中筋山手古墳群7号墳(なかすじやまてこふんぐんななごうふん)」を紹介します。神社の境内に古墳が保存されるケースはよくありますが、中筋山手古墳群7号墳もその一つ。
ただ石室は大きく崩れており、古墳と知らない人は神社の裏に岩があるとしか思わないでしょう。神社の境内にあるけど古墳かどうかよくわからない古墳があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんなわけで、兵庫県宝塚市にある「中筋山手古墳群7号墳」へ行ってきました。
中筋山手古墳群7号墳とは
中筋山手古墳群7号墳のある、兵庫県宝塚市に来ています。宝塚市には中山寺古墳や中山荘園古墳など、古墳時代後期に築造された古墳が多数存在。これらの大半は、主に長尾連山に築造されています

中筋山手古墳群も、古墳時代後半に長尾連山に築造された古墳群の一つ。1号墳~7号墳により構成されていますが、開発により半数が消滅。現在、1、4、7号墳の3基のみを見ることができます。

ということでで、長尾連山の東側にある古墳を巡りながら、中筋山手古墳群7号墳へ。中筋山手古墳群7号墳は、中筋山手古墳群で最も東に築造された古墳です。
JR中山寺駅で降りて、山方面へブラブラと歩きます。しばらく住宅地を歩いていると、赤い鳥居が見えてきました。この神社は有高稲荷神社といい、こちらの境内に中筋山手古墳群7号墳が存在します。

細長く伸びる坂道にズラリと並ぶ赤い鳥居は、京都の伏見稲荷を連想させます。この坂道のキツさを暗示させるように、入口に賽銭箱とミニ稲荷社が配置されていました。きっと本殿まで行くのが大変なんでしょう…


有高稲荷社の創建は、少し変わっています。宝永年間(1704~1710年)に、小池道林という人物が、夢のお告げで建てたという神社です。記録によると、夢で稲荷大明神に「汝法華教を持って我を信奉する時、土地五穀豊穣、住民の安穩疑い無し」と告げられたことが由来。
しかし稲荷様が「法華教で俺を祭れ」と告げるのは、なかなかカオスなお告げではないでしょうか。かつては小池稲荷と称していましたが、明治時代に現在の「有高稲荷神社」に改称。その理由ですが、創建の由来に神仏習合感があり、明治政府の神仏分離政策に合わせたのかもしれません。
数えてませんが鳥居は30基ほと建てられているようで、プチ伏見稲荷感を堪能できます。ただ参道がなかなかの坂道で、運動不足のアラフィフにはかなりキツめ。入口でお詣りを済ませたくなる気持ちも分かります。

そんな訳でなんとか有高稲荷社の本殿に到着しましたが、意外と小さな石の祠でした。どうやら平成16年に火事で焼失したために、再建されたとのこと。

こうして再建されるということは、地元の人たちにとって大切にされている神社なのでしょう。おキツネ様の顔もキリッとなるというものです。

中筋山手古墳群7号墳は、この本殿の裏手に存在。封土はすでに失われ、石室がむき出しになっています。その石室も崩れており、中を見ることはできません。

中筋山手古墳群7号墳は、6世紀後半に築造された円墳。築造時は、直径15m、高さは推定2.5mあったと考えられています。詳細な発掘調査が行われていないため、周濠や遺物の有無については不明。

埋葬施設は、南南東に開口する横穴式石室。現在は石室の入口に何かが備えられており、信仰の対象となっているようです。

現状の規模では、玄室長約4m、羨道現存長約2mで、全長約6mを測ります。袖式については、右片袖式と考えられていますが、両袖式の可能性も。現在、花崗岩の天井石が羨道部に1枚、玄室部に2枚残されていますが、本来は4~5枚の天井石が用いられていたとのこと。石室は崩壊していますが、全体的には石材は残されているようです。ただ、茂みに覆われておりよく分かりません。

ちなみに境内には中型の石がいくつか転がっていましたが、もしかすると石室の石材なのかもしれません。

長尾連山には、複数の古墳群が存在することから、いくつかの集団が分布していたと考えられています。その中で、中筋山手古墳群を築いた集団は、天神川沿いを拠点としていたようです。
天神川より東に築造された古墳群は、6世紀後半以後も多くの古墳を築いていますが、中筋山手古墳群では6世紀後半以降の古墳が見つかっていません。中筋山手古墳群を築いた集団は、何らかの理由で衰退したとも考えられています。

という訳で、石室を激写していましたが、いかんせん茂みに囲まれすぎて、石室を撮っているのか、茂みを撮っているのか分からなくなりました。神社の本殿近くで、謎の茂みを激写しているのも怪しいので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、兵庫県宝塚市にある「中筋山手古墳群7号墳」を紹介しました。石室は崩壊していますが、全体的には比較的大きな石室と感じました。ただ茂っているので、訪れるなら冬場の方がよく見れるでしょう。
そんなわけで、中筋山手古墳群7号墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、本殿の裏にある古墳を紹介します。
中筋山手古墳群7号墳詳細
| 古墳名 | 中筋山手古墳群7号墳 |
| 別名 | 無し |
| 住所 | 兵庫県宝塚市中筋山手3丁目7−1 |
| 墳形 | 円墳 |
| 直径 | 15m |
| 高さ | 推定:2.5m |
| 築造時期 | 6世紀後半 |
| 被葬者 | 不明 |
| 埋葬施設 | 横穴式石室 |
| 石室規模 | 現状:6m |
| 出土物 | 不明 |
| 指定文化財 | 無し |
| 参考資料 | 関西学院考古No.4 |
