はい、今回は兵庫県宝塚市にある「中筋山手古墳群4号墳(なかすじやまてこふんぐんよんごうふん)」を紹介します。古墳は身近な場所にあることが多いため、様々な魔改造が施されるケースを見かけます。
この中筋山手古墳群4号墳は、石室が祠にされる魔改造が施された古墳。ただ、長らく人が訪れていないらしく、藪の中に存在しているとのこと。石室が魔改造されて藪漕ぎ確定の古墳と聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、中筋山手古墳群4号墳のある、兵庫県宝塚市に行ってきました。
中筋山手古墳群4号墳とは
中筋山手古墳群4号墳のある、兵庫県宝塚市に来ています。宝塚市には中山寺古墳や中山荘園古墳など、古墳時代後期に築造された有名な古墳が存在します。これら古墳時代後期に築造された古墳の大半は、長尾連山に存在します。
中筋山手古墳群も、長尾連山に築造された古墳群のひとつ。1号墳~7号墳により構成され、古墳時代後期に築造されています。開発により半数近く失われ、現在見ることができるのは1、4、7の3基のみ。
そんな訳で、今回は中山寺古墳へ行ったついでに、周辺の古墳を回ることに。4号墳は、中筋山手古墳群で一番南側に位置。この一帯は丘陵地ですが、現在は開発により住宅地に造成されています。ただ、4号墳の周辺は開発されておらず、一部自然が残されていました。
丘陵地ということで坂道を上り、ソーラーパネル地帯を抜けると、謎の茂みが現れます。事前情報によると、この茂みの奥に4号墳が存在するとのこと。
茂みの近くをウロウロしていると、茂みの切れ目があり奥に続く道を発見。意外と薮こぎせずに住むかと安心して進んで行くも、どうやら古墳から外れていきます。
Googleマップを確認すると行き過ぎていたらしく、道の途中で薮に突撃する必要がありそうでした。
来た道を戻りながら茂みをみていると、ギリギリ道らしき場所を発見。ほぼ藪の中を上っていくと4号墳らしき石室が見えてきました。
中筋山手古墳群4号墳は、6世紀後半~7世紀初頭に築造された円墳。規模は、直径16m、高さ3mを測ります。
埋葬施設は、南側に開口する両袖式の横穴式石室。石室規模は、全長約7.4m、高さ約1.8m。中筋山手古墳群の中では最大規模であることから、古墳群における盟主墳との説もあります。
ちなみに4号墳は、祠に魔改造されており信仰の対象となっていました。ただ現在は参拝に訪れる人もいないのか、寂れた雰囲気が漂っています。
こちらが4号墳の内部。側壁は巨石を2段に積み。見た目は垂直に築いていますが、やや持ち送りされているとのこと。天井石にも巨石を用いており、かなりの圧巻。
4号墳は両袖式の横穴式石室ですが、袖部がほとんどありません。無袖式に近く、中筋山手古墳群では、後半に築造された古墳と考えられています。
石室の奥は、祠的な何かに魔改造されています。床面はコンクリートで固められ、鉄の扉を設置。奥壁手前には祭壇らしきものが置かれていますが、その上には何もありません。
奥壁には「南妙法蓮華経」と達筆な文字が彫られていました。もしかしたら、日蓮宗寄りの祠だったのでしょうか。
石室内部がこのような感じのため、遺物は何も見つかっていないようです。埋葬方法は、石棺や木棺が納められていたと思われますが、詳細は不明。被葬者についても分かっていません。
長尾連山には、いくつもの古墳群が存在していることから、複数の集団が勢力を持っていました。中筋山手古墳群を築いた集団は、天神川沿いを拠点としていたと考えられています。
天神川より東に築造された古墳群は、6世紀後半以後も多くの古墳を築いていますが、中筋山手古墳群では4号墳以降の築造が5号墳で終わっています。中筋山手古墳群を築いた集団は、何らかの理由で衰退したのかもしれません。
そんな訳で魔改造された4号墳でしたが、かなり見応えのある古墳でした。ただ誰もいない山の古墳で、一人で石室に入っていると、とんでもなく寂しくなってきたので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は、兵庫県宝塚市にある「中筋山手古墳群4号墳」を紹介しました。祠に魔改造された上に、藪漕ぎ必至というやや難易度の高めの古墳でした。ただ石室は良好に保存されており、巨石を用いた姿は圧巻です。夏場は茂みで行くのが難しいと思いますが、見ごたえのある古墳ではないでしょうか。
そんな訳で、中筋山手古墳群4号墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、祠に魔改造された藪漕ぎ必至な古墳を紹介します。
中筋山手古墳群4号墳詳細
古墳名 | 中筋山手古墳群4号墳 |
住所 | 兵庫県宝塚市中筋山手1丁目8 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 16m |
高さ | 3m |
築造時期 | 6世紀後半~7世紀初頭 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室(両袖式) |
石室全長 | 現存:約7.4m |
指定文化財 | なし |
出土物 | 不明 |
参考資料 | 関西学院考古No.4 |