はい、今回は奈良県明日香村にある「中尾山古墳(なかおやまこふん)」を紹介します。現在宮内庁では、栗原塚穴古墳を文武天皇陵に比定しています。しかし実際には、この中尾山古墳が、真の文武天皇陵との説が有力とのこと。
中尾山古墳が文武天皇の墓かもしれないと聞いたからには、確かめずにはいられません。そんな訳で、真の文武天皇陵かを見極めるべく、中尾山古墳のある奈良県明日香村へ行ってきました。
中尾山古墳とは
中尾山古墳のある、奈良県明日香村に来ています。明日香村は、大和王権において都の置かれた地。そのような理由からか、明日香には、天武・持統合葬陵、文武天皇陵をはじめとした、皇族の墓が多数存在。また、宮内庁による管理ではありませんが、牽牛子塚古墳や岩屋山古墳も、皇族クラスの墓と考えられています。

そんな訳で、飛鳥駅近くで自転車をレンタルして、駅から東にかけての古墳を巡ることに。中尾山古墳は、文武天皇陵から北に伸びる丘陵の最も高い場所に存在。この丘陵上には、文武天皇陵の他、飛鳥美人の壁画で有名な「高松塚古墳」も見ることができます。

中尾山古墳のある丘陵地は、国の特別史跡である高松塚古墳があると言うこともあり「国営飛鳥歴史公園」として整備されています。ちなみに国の特別史跡に指定されている古墳は全国で10ヶ所存在しますが、その中で奈良県には5ヶ所存在しています。(高松塚古墳、文殊院西古墳、キトラ古墳、石舞台古墳、巣山古墳)
ダラダラとした坂を上ったところに、中尾山古墳が存在しました。一般の人は高松塚古墳へ行く人が多いのか、中尾山古墳の辺りにはほとんど人を見かけません。

中尾山古墳は、8世紀初頭に築造された、対辺長19.5m、高さ4mの八角墳。7世紀頃から古墳の小型化が進み、皇族や大豪族の墓は方墳へ、それ以外の有力者は小型の円墳を築造する流れに。

さらに時代が進むと、一部の皇族や大豪族は、八角墳や六角墳を築き始めました。これは、中国から風水の影響を受けたと考えられています。

明日香周辺では、牽牛子塚古墳、束明神古墳、野口王墓古墳が八角墳を採用しており、それぞれ皇族の墓と考えられています。

中尾山古墳は、三段に築成され、周囲には三重の外周石敷が巡らされていました。墳丘の1、2段目は、裾部に根石を並べ、その上に拳大から人頭大の石を積み上げています。最上段は、版築の盛土のみで八角形に整形していたとのこと。

埋葬施設は、竜山産の凝灰岩を用いた横口式石槨。精巧に加工した切石を組み合わせ、側面は丁寧に磨かれていました。また前面には、水銀朱が塗布されていたとのこと。
古墳への埋葬方法は、棺に被葬者を納める「土葬」が一般的でした。しかし、中尾山古墳は、火葬されて埋葬されたと考えられています。石槨の内部には60㎝四方、深さ1㎝の範囲が凹状に削り込まれていました。これは、火葬された人骨を納める蔵骨器が安置された場所と考えられています。

中尾山古墳は、八角墳、精巧な横口式石槨を持つことから、火葬された皇族クラスの人物の墓と考えられています。記録によると、最初に火葬された天皇は「持統天皇」。ただ、持統天皇は、同じ明日香町にある「野口王墓古墳」が陵墓である可能性が高いとのこと。

次の候補としては、持統天皇の息子である「文武天皇」です。文武天皇は、慶雲4(707)年11月12日に飛鳥の岡で火葬され、同月26日に檜隈安古陵に葬られたと記されています。現在、宮内庁は、中尾山古墳から少し南にある「栗原塚穴古墳」を文武天皇陵に比定しています。ただ、栗原塚穴古墳は横穴式石室だった可能性もあり、文武天皇陵である可能性は低いとのこと。

一方、中尾山古墳は8世紀初頭に築造されており、文武天皇の崩御時期と一致。また横口式石槨が、火葬骨を納める構造になっており、文武天皇が火葬されたという記録とも整合性があります。このような点から、文武天皇が中尾山古墳に埋葬された可能性は高いようです。
そんな訳で、古墳の周りを歩いてみましょう。中尾山古墳は八角墳ということですが、特に整備されている訳ではないので、見た目は円墳にしかみえません。

グルッと一周することはできるのですが、埋葬施設は埋め戻されているので見ることができません。火葬墓用に作られた、精巧な横口式石槨の実物を見ることが出来れば嬉しいのですが。

元の姿に復元するのがいいのか、時の流れに任せて自然な姿を残すのがいいのかは、意見が分かれるところです。ただ案内板に関しては、情報量はあるものの、紙で簡易的に作られたものなので色褪せていました。な復元した墳丘の予想図や、横口式石槨の写真などが載った案内板が設置されていれば、もっと中尾山古墳の魅力が伝わるのではないでしょうか。
まとめ

今回は、奈良県桜井市にある「中尾山古墳」を紹介しました。情報を見ていく限りでは、文武天皇陵の可能性は高いのかもしれません。すぐ近くにある高松塚古墳の陰に隠れがちですが、歴史的価値は非常に高い古墳といえるでしょう。
そんな訳で、中尾山古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、皇族の墓かもしれない八角墳を紹介します。
中尾山古墳詳細
古墳名 | 中尾山古墳 |
別名 | 中尾塚、中尾石塚 |
住所 | 奈良県高市郡明日香村平田 |
墳形 | 八角墳 |
全長 | 対角長:19.5m |
高さ | 4m |
築造時期 | 8世紀初頭 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横口式石槨 |
指定文化財 | 国の史跡:1927年4月8日 |
出土物 | 沓形石造物 |
参考資料 | ・案内板 |
案内板
中尾山古墳
1.はじめに
中尾山古墳は奈良県高市郡明日香村大字平田に所在する終末期古墳です。江戸時代には「中尾塚・中尾石塚」とも呼ばれ、南側に隣接する高松塚古墳とともに文武天皇陵の檜隅安古岡上陵ではないかと注目を集めてきました。
今回の調査は現在、奈良県・橿原市・桜井市・明日香村が登録を目指している「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産である中尾山古墳の墳丘規模や構造の解明を目的として実施しました。
2.主な検出遺構と出土遺物
【墳丘と外部施設】
中尾山古墳は東西に伸びる丘陵の頂部に位置しています。調査の結果、三段築成の墳丘とその周囲をめぐる三重の外周石敷を有する八角墳であることが判明しました。墳丘は版築で築かれ、対辺長約19.5m、高さ4m以上を測ります。墳丘の一段目・二段目の表面は、ともに裾部に花崗岩の根石を並べ、その上に拳大から人頭大の石材を小口積にして、さらに上部に根石同様の石材を垂直に積み上げた基壇状の石積みとなっています。墳丘の三段目は一段目・二段目のとはことなり、版築の盛土のみで八角形に整形しています。三段目の墳丘東側には鎌倉時代の盗掘孔が存在しています。
外周石敷は墳丘の裾野から三重にめぐっていることを確認しました。外周石敷の対辺長は三重目で約32.5を測り、広範囲にわたって石敷が施されていたことがわかりました。また、外周石敷一重目の上面からは沓形石造物が出土しました。
【埋葬施設】
埋葬施設は底石1石、側壁2石、奥壁1石、天井石1石、隅石(柱石)4石の合計10石の切石で構成された横口式石槨です。内法の規模は高さ、幅及び奥行約90㎝を測ります。また、石槨側面は非常に丁寧に磨かれており、前面に水銀朱が塗布されています。床石は片麻状石英閃緑岩が使用されており、床面の中央部は60㎝四方、深さ1㎝の範囲が凹状に削り込まれています。この区画には火葬骨を納めた蔵骨器を安置するための台が設置されていたものと考えられています。側壁、奥壁、閉塞石及び隅石は火山礫凝灰岩(竜山石)が使用されています。石槨の入隅をなす四隅には石柱状の隅石(柱石)が