牽牛子塚古墳|全国でも数少ない八角墳~奈良県明日香村~

はい、今回は奈良県明日香村にある「牽牛子塚古墳」を紹介します。難読文字ですが「けんごしづかこふん」と読みます。誰がこんな文字を当てたのやら…

牽牛子塚古墳は、当時の石室を再現したイージー古墳。牽牛子塚古墳の特徴として、墳形が「八角墳」という非常に珍しい形をしている点にあります。

ちなみに「牽牛子」は朝顔を意味するそうです。八角形を朝顔になぞらえてつけた名前らしいのですが、それなら朝顔古墳でいいじゃないかと思わなくもありません。

八角系といえばバリュー投資でも基本中の基本であることは、バフェットからの手紙にでも書かれていますよね。そこで、バリュー投資の神髄を極めるべく、牽牛子塚古墳へ行って参りました。

牽牛子塚古墳はなぜ八角形なのか

牽牛子塚古墳のある明日香村は、古墳時代から奈良時代初期にかけて都が置かれた、政治中心地。そのため明日香村には、天武天皇陵を始め多くの皇族や豪族の古墳が存在しています。

天皇陵といえば「前方後円墳」が思い浮かびますが、前方後円墳は敏達天皇陵を最後に築かれていません。 これは大化改新による「薄葬令」によって古墳の小型化が進んだからと考えられています。

7世紀に入ると八角墳が出現しますが、この特殊な形は、全国でも5墓しか見つかっていません。この希少性から、八角墳は天皇クラスのみに許された形と考えられています。

牽牛子塚古墳

八角墳になった理由については諸説ありますが、中国の政治思想が日本にも影響を及ぼしたとの説があります。

また、八角形は全ての方向に広がる縁起の良い形として好まれていたようで、そうしたことも関係しているのかもしれません。

牽牛子塚古墳は誰の墓なのか

牽牛子塚古墳は高貴な人物の墓ですが、天皇陵には比定されていません。現在、牽牛子塚古墳の被葬者として有力視されているのが「斉明天皇」です。

斉明天皇は、天智天皇、天武天皇の母親で女帝として知られています。ちなみに斉明天皇は、2度目帝位についており、1回目は舒明天皇の後、皇極天皇として即位しています。

中大兄皇子(後の天智天皇)のクーデターにより蘇我氏が滅ぼされると、皇極天皇は孝徳天皇に皇位を譲っています。しかし孝徳天皇は、中大兄皇子と対立し、失意のうちに難波宮にて崩御。皇極天皇は再び斉明天皇として重祚(ちょうそ)しています。

現在は宮内庁により、奈良県高取町にある「車木ケンノウ古墳」が斉明天皇陵として比定されています。ただ、車木ケンノウ古墳は45mの円墳であり、天皇陵として規模が小さすぎます。

墳形や規模、時期から考えて、牽牛子塚古墳が斉明天皇陵との説が有力となっています。

牽牛子塚古墳へ行ってきました

はい、牽牛子塚古墳のある奈良県明日香村に来ております。牽牛子塚古墳は、長らく発掘作業と公園整備のために見学できませんでした。その後、2022年3月6日に古墳の整備が完了し公開されています。

私自身八角墳というものを見たことがなかったので、公開日当日に早速行ってきました。バリュー投資家としては当然の行動力ですよね。

公開当日という事もあり、牽牛子塚古墳近くに臨時駐車場があるとのことでした。この辺りは道も狭く、うっかり満車なんてことだと非常に面倒くさいことになります。イライラするのも嫌なので、飛鳥駅近くで自転車を借りて向かうことに。

途中いくつかの古墳や史跡を巡りながら牽牛子塚古墳に到着。もう古墳を見にきた見物客でごった返して、殴り合いにでもなってるのかと思いましたが、けっこうガラガラでした。なんで八角形が気にならないのか不思議で仕方ありません。

牽牛子塚古墳

10人ぐらいの見物客が来ていましたが、ワザワザ当日に見にくる人達なので、なかなか気合を入った人もいます。

牽牛子塚古墳は、丘陵部の南斜面を利用して築造されています。そんな訳で、かなりの坂を上らねばなりません。

牽牛子塚古墳

階段の先にある小さな古墳が、2010年の発掘調査で新たに見つかった「越塚御門古墳」

牽牛子塚古墳

日本書紀によると斉明天皇の孫である「大田皇女」を、斉明天皇陵の前に葬ったと記載されています。日本書紀との記述と合っており、越塚御門古墳の被葬者が大田皇女である可能性が高いとのこと。古墳の中にはいって見学できるのですが、狭い場所に人が大勢詰まっていたので断念。

越塚御門古墳から少し上った場所に牽牛子塚古墳が存在します。それにしても…

牽牛子塚古墳

白い!

八角形とかよりもこの白さが気になります。築造時に使用された石材は、大阪と奈良にまたがる「二上山」から産出される凝灰石を用いられています。

牽牛子塚古墳

この石は軽くて削りやすいため、多くの石室に利用されています。ちなみに色も白いため、このような姿に再現されているようです。

牽牛子塚古墳

古墳の開口部が公開されており、中の石室を見ることができます。見えるのは一部なので全体像はわかりませんが、2人埋葬されていたということで、開口部が2つ確認できました。

牽牛子塚古墳
牽牛子塚古墳

一説によると、牽牛子塚古墳の裏山にある「益田岩船」は、牽牛子塚古墳に使う石室だったともいわれています。製作途中でヒビが入ったことから、放置されているともいわれています。

そんなに多くの人が居たわけではありませんが、公開初日に来るぐらいの古墳好きが多かったのが熱量が高めの人も見かけました。

私はエセ古墳好きですので、謎の白い古墳を激写だけして帰りました。

まとめ

牽牛子塚古墳

今回は、奈良県明日香村にある「牽牛子塚古墳」を紹介しました。バリュー投資の基本が八角形であることを改めて再確認でき、今後のパフォーマンスにも生かせそうです。

投資が伸び悩んでいるひとは、ぜひとも訪れておきたいバリューの聖地ではないでしょうか。それではまた、別の八角形古墳でお会いしましょう。

牽牛子塚古墳詳細

名前牽牛子塚古墳
住所〒634-0138 奈良県高市郡明日香村越131
墳形八角墳
全長18.5m
高さ4m
築造時期7世紀中葉-8世紀初頭
埋葬施設横口式石槨
被葬者斉明天皇と間人皇女の合葬(推定)
国の指定文化財1923年3月7日
参考資料案内板

-古墳, 奈良県
-, ,

© 2024 コフンノート Powered by AFFINGER5