みかん山4号墳|みかん感は無い立派な横穴式石室~大阪府東大阪市~

みかん山4号墳

はい、今回は大阪府東大阪市にある「みかん山4号墳」を紹介します。みかん山4号墳は「みかん山古墳群」に属する古墳の一つとして知られています。

なかなか珍しい名前の古墳ですが、その名の通り、かつてみかん畑だった場所に存在したことが由来とのこと。ただ現在はみかん畑の姿はなく、普通に住宅地に古墳が残されています。そんな訳で、みかん畑はないけどみかん山という名前の古墳を確かめるべく、大阪府東大阪市にある「みかん山4号墳」へ行ってきました。

みかん山4号墳とは

みかん山4号墳のある、大阪府東大阪市に来ています。みかん山4号墳は、13基で構成された「みかん山古墳群」の一つ。みかん山古墳群は、額田谷と豊浦谷の間に挟まれた、標高80m~100mの尾根上に存在します。ちなみに「みかん山」という可愛らしい名前がついていますが、かつてこの一帯がみかん畑だったことが由来。一般的に古墳名は、地名が由来することが多いのですが、果物の名前が古墳名になるのは珍しいのではないでしょうか。

みかん山4号墳

このみかん山古墳のすぐ横には、暗峠(くらがりとうげ)を越える暗越奈良街道が通ります。大阪と奈良を結ぶ古い街道ですが、狭く急峻な坂道として知られています。この街道沿いには「豊浦谷古墳群」がある他「出雲井古墳群」も近くにあることから、古くから人々に利用されていた道なのかもしれません。

豊浦谷1号墳
豊浦谷1号墳

みかん山古墳群は、枚岡公園の駐車場から西に広がる古墳群。大半は小型の円墳で、早い段階から墳丘は削平されていたとのこと。埋葬施設も小型の横穴式石室、または木棺直葬でした。現在は、枚岡公園の駐車場やマンション建設により大半が失われ、現存するのは3、4号墳のみ。

みかん山4号墳

みかん山4号墳は、古墳群の中では一番西端に存在。4号墳の少し東側に3号墳が存在しますが、個人宅内に保存されているため見ることができません。なんとなく高級な雰囲気を醸し出した住宅地のどこに古墳があるのかと歩いていると、みかん山4号墳を発見。

みかん山4号墳

予想以上にガチな古墳でした

住宅地にある古墳は盛り土か茂みであることが多いのですが、こちらは横穴式石室がドーンとむき出しの古墳。みかん山4号墳は、7世紀前半に築造された規模不明の円墳。ただ封土はすでに失われており横穴式石室がむき出しになっています。

みかん山古墳群の大半は、基底部しか残っていませんでしたが、みかん山4号墳は比較的良好な姿で残されています。案内板には、所有者の好意で公開されているとのことなので、石室を見ることに。入口には扉が設置されており、中にいることはできません。

みかん山4号墳

扉越しに石室内を撮影。資料を調べても袖式については不明ですが、見た感じでは右方袖式の横穴式石室に見えます。ただ、築造時期が7世紀前半なので、両袖式の可能性も。

みかん山4号墳

奥壁は、平坦な部分を外側に向けた石材が4段ほど積み上げた構造。側壁は上にかけて狭くなり、やや持ち送りになっています。おそらく保存時に手が加えられているのか、隙間部分をコンクリートらしきもので補強されているようです。

みかん山4号墳

みかん山4号墳からは、須恵器、黒色土器、瓦器、羽釜、人骨、中世土器群が出土。資料によると中世に人がこの石室で暮らしていたとのこと。また凝灰岩の破片が見つかっていることから、築造時には石棺が納められていたようです。

みかん山古墳群全体としては、以下の特徴があります。

  • 5世紀から7世紀前半にかけて150年間作り続けられている
  • 古墳に世代の重なりがなく、1世代ごとに築造されている
  • 埴輪の出土がほとんどない
  • 渡来系豪族の墓に見られる馬具や韓式土器がない
  • 早い段階から横穴式石室が採用されている
  • 平野部ではなく、狭隘な山腹に古墳が作られている

このような特徴からみかん山古墳群の被葬者は、首長ほどの有力者ではないものの、地元有力者の家族墓と考えられています。

そんな訳で、見応えのある古墳ですが、隣家とかなり距離が近く、激写し辛い雰囲気なので、とりあえず帰ることにしました。

まとめ

みかん山4号墳

今回は、大阪府東大阪市にある「みかん山4号墳」を紹介しました。みかん山という変わった名前の古墳ですが、可愛い名前に反して迫力のある横穴式石室を持つ古墳でした。中に入ることはできませんが、市街地でこんなにも間近で見ることができる古墳は珍しいのではないでしょうか。

そんな訳で、みかん山4号墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、柑橘類の名前がついた古墳を紹介します。

みかん山4号墳詳細

古墳名みかん山4号墳
別名なし
住所大阪府東大阪市出雲井町
墳形円墳
全長不明
高さ不明
築造時期7世紀前半
被葬者不明
埋葬施設横穴式石室
石室全長8.6m
指定文化財なし
出土物須恵器、黒色土器、瓦器、羽釜、人骨、中世土器群
参考資料・案内板
・東大阪市の古墳
・みかん山古墳群
・みかん山古墳群第2次発掘調査報告

案内板

みかん山古墳群は額田谷と豊浦谷の間に位置する尾根上に造られた群集墳です。古墳の名前は、かってこの斜面にみかん畑が広がっていたことに由来します。標高80~120mに立地し、5世紀後半〜6世紀後半にかけて造られました。今までに12基存在することが確認されています。古墳の形状はほとんど円墳ですが8号墳は方墳であることが判っています。主体部は横穴式石室です。また、1~2m前後の小さな石室を持つものもあります。ほとんどの古墳は中世期以降に墳丘が削られており、横穴式石室の基部を残すのみになっているのが発掘調査で確認されています。発掘調査は5号墳~13号墳で実施されていますが開発によってこれらの古墳は消滅しました。5号墳では須恵器・土師器などの土器と共にたくさんの埴輪が見つかっています。円筒埴輪や家形埴輪・動物形埴輪などがあります。また、12号墳では金属製品の保存状態が良く武具(刀)•5(4)装身具(耳環)などが見つかっています。本古墳群で墳丘や横穴式石室が残っているのは3号墳と4号墳のみです。3・4号墳は本古墳群を考える上では貴重な古墳です。4号墳は個人の御好意により保存整備していただき見学できるようになりました。
平成21年3月 東大阪市

-古墳, 大阪府
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