はい、今回は奈良県桜井市にある「狛大石古墳(こまおおいしこふん)」を紹介します。住宅地にある古墳は削られることで、壁が作られるケースがよく見られます。
この狛大石古墳ですが、古墳に壁が作られるというレベルを超え、壁と一体化した完全無比な壁古墳に仕上がっています。そんなキングオブ壁古墳があると聞いたからには見に行かずにはいられません。という訳で、奈良県桜井市にある「狛大石古墳」へ行ってきました。
狛大石古墳とは
狛大石古墳のある、奈良県桜井市に来ています。桜井市は古墳時代前期を代表する「箸墓古墳」から、終末期の最高傑作である「文殊院西古墳」まで、古墳時代を代表する古墳がいくつも存在します。
また古墳の数が県内でも多い市町村として知られており、特に古墳時代後期の小型古墳が山の中に多数存在します。狛大石古墳も山中の集落に存在する古墳として、古くからその存在が知られていたようです。
そんな訳で、桜井市の古墳を巡りながら狛大石古墳へ。狛大石古墳は、桜井市南東の狛地区に存在します。国道165号線を東に走り、狛の集落に入る路地を南へ。道幅が少し狭いため、対向車が来ないかビクビクです。
集落の上の方まで登ると左手に巨大な擁壁がそびえており、その上が住宅となっています。この擁壁の下部に、狛大石古墳を発見。
もはや完全に壁ですね。
墳丘の側面が削られて擁壁が設置される古墳は時々見かけますが、このように壁に完全に一体化した古墳はこれが初めてかもしれません。初めてというか、他にこのような古墳があるのかは知りませんが。
狛大石古墳の詳しい情報は分かっていません。埋葬施設が横穴式石室であるため、古墳時代後期に築造されたのではないかと思われます。それ以外の規模、墳形、外部施設、遺物、埋葬方法、被葬者については一切不明。
名前に「大石」とついていることから、元々は巨石を用いた大きな古墳だったのかもしれません。南西に開口した横穴式石室ですが、現在は大半が失われて奥壁と側壁の一部が残されているのみ。
そんな訳で、わずかに残された横穴式石室を見てみることに。近づいてみると本当に壁と一体化しており、古墳といわれなければ何の穴なのかわからないでしょう。
まあまあ雑草も茂っており中に入りにくいのですが、奥は一段下がっており体をかがめると何とか人が一人はいられるスペースがありました。
開口部は土砂により狭くなっていますが、ギリギリ中に入ることができたので行ってみます。この入り口部分もほぼコンクリートなので、本当の横穴式石室の部分は一番奥のわずかな部分のみのようです。全体的には小型~中型の自然石を数段に積み重ねた構造。
狛大塚古墳から更に南に行った尾根の先端にも岩坂式シ山古墳があり、他にも周辺には複数の古墳が存在します。この地は大和から伊勢に続く街道の入口付近という交通の要衝にあります。そのため、一定の力を有する勢力が存在し、狛集落一帯がその墓域となっていたのかもしれません。
本来なら住宅地造成時に消滅してもおかしくなかったと思いますが、このような形で残されたということは素晴らしいことではないでしょうか。
という訳で、オジサンが壁にある穴に埋まっている姿はもう異様としかいいようがないので、早々に抜け出して帰ることにしました。
まとめ
今回は奈良県桜井市にある「狛大塚古墳」を紹介しました。完全に壁と一体化したキングオブ壁古墳の名にふさわしい古墳といえるのではないでしょう。他にキングな壁古墳がどこにあるのかは知りませんが。
そんな訳で、狛大石古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、キングオブ壁古墳を紹介します。
狛大石古墳詳細
古墳名 | 狛大石古墳 |
別名 | 無し |
住所 | 奈良県桜井市狛310 |
墳形 | 方墳 |
規模 | 不明 |
高さ | 不明 |
築造時期 | 古墳時代後期 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
石室全長 | 不明 |
指定文化財 | 無し |
出土物 | 不明 |
参考資料 | ・奈良県遺跡地図web |