はい、今回は大阪府伊丹市にある「柏木古墳(かしわぎこふん)」を紹介します。古墳と墓の相性は抜群で、墓地の中に古墳が保存されたり、古墳の上に墓地が建てられるケースは多々あります。
この柏木古墳は、古墳に墓が建てられるケースになりますが、墓が建てられ過ぎてもはや原型を留めていません。墓が建てられ過ぎて原型を留めていない墓地古墳があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、兵庫県伊丹市にある「柏木古墳」へ行ってきました。
柏木古墳とは
柏木古墳のある、兵庫県伊丹市に来ています。伊丹市は兵庫県南東に位置し、大阪府豊中市や池田市と隣接。大阪に近い市街地ということで、人口密度は兵庫県において3位を誇ります。そのような理由もあり、伊丹市にも複数の古墳が存在しましたが、現存する古墳は柏木古墳の他に、御願塚古墳、鵯越古墳しか残りません。

そんな訳で、伊丹市に残る数少ない古墳の一つである柏木古墳へ。柏木古墳は、阪急伊丹線の沿線近くにあるということで、周辺は完全に住宅街。古墳がありそうな気配は一切ありません。住宅地の路地をグネグネとさまよいながら、なんとか柏木古墳に到着。

完全に共同墓地ですね
墳丘が墓地になるパターンはありますが、墳丘全体がこれほど墓石で埋め尽くされているのは、玉手山2号憤以来かもしれません。

地元に残る言い伝えに、行基が昆陽寺建立の際に、柏木古墳を墓所としたとも伝わっています。実際に行基が関わったかについては不明ですが、江戸時代にはすでに墓地として活用されていたようです。

柏木古墳は、以前から古墳と考えられていましたが、築造時期など詳しいことは分かっていませんでした。阪神・淡路大震災による復興工事にともなう平成7年の発掘調査により、柏木古墳は古墳と確定。
その際、外部施設として幅約11メートルの周濠が確認されています。この周濠からは、円筒埴輪片が見つかっている他、家形・盾形・蓋形などの形象埴輪片も出土。埴輪の種類より築造時期が、5世紀前期~中頃に築造されたことが判明しました。他に人頭大の石がいくつか見つかっていますが、これが葺石かについてかは分かっていません。
現状の規模は、直径38m、高さ6mの円墳状の姿を残しています。元々の墳形は、円墳もしくは前方後円墳と考えられていますが、判明するにはいたっていません。

古墳名の柏木は、町名の「伊丹市柏木町」が由来と思いましたが、どうやら町名が古墳名を由来としているとのこと。なぜ古墳名が柏木という名前になったかについては不明。
柏木古墳の直径は、約800m北にある御願塚古墳の後円部直径と同規模となります。御願塚古墳はその規模から、有力豪族の首長墓と考えられています。柏木古墳は、御願塚古墳と同規模であることから、こちらも大きな力を持った豪族の墓なのかもしれません。

という訳で、柏木古墳を見てみることに。柏木古墳の周囲はフェンスが巡らされて中に入ることはできません。ただ中に入ったところで、墓石があるだけですが。
こちらが柏木古墳の東側。高さ6mということで、かなり存在感はあります。ただこれをみて古墳と見抜ける人がいたら、エスパーでしょう。

こちらが古墳の西側ですが、完全に共同墓地。それ以外の感想はありません。

こちらが古墳の北側。どう見ても共同墓地でした。お疲れ様でした。

そんな訳で、住宅密集地にある墓場をグルグル激写しているのは不審者以外の何者でもないので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、兵庫県伊丹市にある「柏木古墳」を紹介しました。古墳に共同墓地が建てられるケースは時々あるのですが、このような市街地にあるのは珍しいかもしれません。
そんな訳で、柏木古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、完全なる共同墓地被せ古墳を紹介します。
柏木古墳詳細
古墳名 | 柏木古墳 |
別名 | 無し |
住所 | 兵庫県伊丹市柏木町1丁目42 |
墳形 | 不明 |
規模 | 現状:直径38m |
高さ | 現状:6m |
築造時期 | 5世紀前期〜中頃 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 不明 |
石室規模 | 不明 |
指定文化財 | 無し |
出土物 | 円筒埴輪片、家形・盾形・蓋形片、13世紀前半の瓦質土器 |
参考資料 | ・伊丹市HP ・伊丹市埋蔵文化財調査報告書 |