はい、今回は大阪府東大阪市にある「出雲井7号墳(いずもいななごうふん)」を紹介します。この出雲井7号墳ですが、現在は神社にある駐車場脇に保存された古墳。
ただ、保存されているといっても特に何がある訳でもなく、地面しかありません。神社の駐車場の片隅に、地面みたいな古墳があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、大阪府東大阪市にある「出雲井7号墳」へ行ってきました。
出雲井7号墳とは
出雲井7号墳のある、大阪府東大阪市に来ています。東大阪市の古墳は、生駒山地の中腹に多く、特に「山畑古墳群」は、100基以上の古墳が築かれた群集墳として知られています。山畑古墳群の北側にも、豊浦谷古墳群、みかん山古墳郡などの小規模な古墳群がいくつか存在。出雲井7号墳も、同じく山畑古墳群の北側にある「出雲井古墳群」に属しています。

出雲井古墳群は、14基の古墳から構成され、4、5、6、7、8、9号墳を見ることが出来ます。残りの1、2、3、11号墳は山中にあり見に行くことが難しく、10、12、13、14号墳は消滅。その中で出雲井7号墳は、枚岡神社の駐車場脇に保存されています。

という訳で、枚岡神社を訪問したついでに出雲井7号墳を見ることに。枚岡神社は927年に編纂された「延喜式神名帳」に記載された由緒ある神社として知られています。

社伝によると、神武天皇による東征の際、神津嶽に天児屋根命と比売神を祀ったことが由来。後に平岡氏により、神津嶽から現在地に遷座して今に至ります。天児屋根命は中臣氏の祖神としても知られており、平岡氏も中臣氏に連なる一族だったと考えられています。
この枚岡神社には、古墳名にもある「出雲井」という井戸が存在します。この出雲井は、創建以来涸れることなく湧き出る清水とのこと。平岡氏の末裔は「水走家(みずはやけ)」を称していることから、水に関わりの深い一族だったのかもしれません。

出雲井の由来となる井戸も見れたということで、目的の出雲井7号墳へ。出雲井7号墳は、枚岡神社の駐車場の北側に存在。

古墳の周囲はフェンスに囲まれており、中に入ることはできないので、フェンス越しに見てみることに。ちなみに看板もないため、ここに古墳があることに気付く人はいないでしょう。

完全に地面ですね
過去の発掘調査資料によると、石室の基底部だけが残るとありましたが、見た感じ石材らしきものは全く見当たらず。とりあえず土と雑草だけは、これでもかとばかりありました。

出雲井7号墳は6世紀後半の築造と考えられていますが、封土が失われており墳形は不明。埋葬施設は左方袖式の横穴式石室ですが、玄室の基底部しか残されていませんでした。玄室規模は、長さ3.5m、幅1.6mを測ります。床面にはこぶし大の石が敷かれ、棺台と思われる人頭大の石材が3列に並べられていました。
副葬品として、須恵器台付有蓋長頸壷有蓋高杯、杯、蓋、広口壷、鉄釘、鉄鏃、鉄刀、耳環、ガラス玉、琥珀玉が出土。石室は大きく損なわれているものの、副葬品は比較的多く残されていたようです。鉄釘が見つかっていることから、棺については木棺が用いられていたと推定。埋葬についても2~3回ほど行われていたと考えられています。
ちなみに出雲井7号墳の周囲はフェンスが張り巡らされており、中に入ることはできません。ただ入ったところで地面が見えるのみ。どうやら石室の基底部は調査後埋め戻されているようで、古墳の痕跡は全く見当たりませんでした。

とりあえず駐車場の片隅でフェンスに囲われた地面を激写しているのは、不審者以外の何者でもないので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、大阪府東大阪市にある「出雲井7号墳」を紹介しました。基底部しか現存しない上、埋没保存されているため、何の痕跡も見当たらない古墳でした。とりあえず、地面古墳好きにはたまらない古墳ではないでしょうか。
そんな訳で、出雲井7号墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、神社の駐車場脇にある地面古墳を紹介します。
出雲井7号墳詳細
古墳名 | 出雲井7号墳 |
別名 | なし |
住所 | 大阪府東大阪市出雲井町3−5 |
墳形 | 不明 |
直径 | 不明 |
高さ | 不明 |
築造時期 | 6世紀末頃 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室(左方袖式) |
石室全長 | 不明 |
指定文化財 | 無し |
出土物 | 須恵器台付有蓋長頸壷有蓋高杯、杯、蓋、広口壷、鉄釘、鉄鏃、鉄刀、耳環、ガラス玉、琥珀玉 |
参考資料 | ・東大阪の古墳 |