はい、今回は大阪府堺市にある「御廟表塚古墳(ごびょうおもてづかこふん)」を紹介します。御廟表塚古墳は、44基の古墳で構成される百舌鳥古墳群の一つ。ただし、世界文化遺産に登録されている23基には含まれていません。
数多くの古墳が存在する百舌鳥古墳群ですが、実は上れる古墳はあまり多くありません。その中で御廟表塚古墳は、中に上ることができる貴重な古墳として知られています。
やはり目の前に登れる古墳があるからには、上らずにはいられません。そんな訳で、上られる古墳の「御廟表塚古墳」へ行ってきました。
御廟表塚古墳とは
御廟表塚古墳のある大阪府堺市に来ています。御廟表塚古墳は、南海高野線「百舌鳥駅」から徒歩5分ほどのアクセス良好な古墳。
御廟表塚古墳のすぐ前の道は「西高野街道」となっており、かつては高野詣や物流の幹線道として賑わっていたようです。
御廟表塚古墳は別名「八幡塚」とも呼ばれていました。名前の由来は不明ですが、少し南西にある「百舌鳥八幡神社」と関係するのかもしれません。
古墳の前に着くと、謎の門がありました。あるのは門だけで、その向こうに建物はありません。
門をくぐってみると石碑が建てられており、「天然記念物 百舌鳥のくすの木」と彫られています。
南側を見てみると巨大な楠がそびえ立っており、これが天然記念物の「百舌鳥のくすの木」とのこと。樹齢800年~1000年の巨木ですが、隣の御廟表塚古墳に1000年近く寄り添っていたのかと思うと感慨深いですね。
奥の建物は「筒井家住宅」で、国の有形文化財に指定されています。ちなみに筒井家は、戦国時代に大和国を本拠地とした筒井順慶の末裔とのこと。大名家としての筒井家は筒井定次の代で改易となりましたが、末裔は帰農して今に続いているようです。
御廟表塚古墳は、クスノキのすぐ隣に存在します。私有地となっていますが、古墳は堺市が管理。
見た目は円墳に見えますが、墳丘の西側に前方部を有する帆立貝形古墳(前方後円墳とも)。ただ、前方部は住宅地となり削平されています。全長84.8m、高さ8mの規模を有しており、百舌鳥古墳群の中でも11番目に大きな古墳。
御廟表塚古墳の周囲には、かつて濠が巡らされていました。現在は埋没していますが、北側に濠の跡がわずかに残っています。また濠からは多くの葺石が見つかっており、築造時には墳丘に葺石が敷かれていました。
墳丘の平坦部には礫が敷かれ、円筒埴輪が密に並んでいたことが分かっています。円筒埴輪の種類から、5世紀後半に築造されたとされ、百舌鳥古墳群においては終盤に築造された古墳です。
2008年度の地中レーダー探査により、後円部中央に埋葬施設が存在する可能性が指摘されています。埋葬施設の発掘調査が行われていないため、副葬品などは分かっていません。
御廟表塚古墳の200mほど西に「御廟山古墳」という全長203mの巨大前方後円墳が存在します。名前が似ているので関係がありそうですが、御廟山古墳の築造時期が5世紀前半のため、時期が少しズレています。また距離もやや離れているので、陪塚関係にあるのかは不明。
御廟表塚古墳の周囲には、木下山古墳、渡矢古墳、賀仁山古墳、無名塚18号墳、無名塚17号墳など5つの小古墳が存在していました。これはら全て消滅していますが、御廟表塚古墳の陪塚だった可能性はあります。
というわけで、御廟表塚古墳の周囲を回りながら上ってみることに。こちらが北東の後円部で、堀の部分は駐車場になっています。
こちらが古墳の東側で、案内板と石碑が設置。御廟表塚古墳は、2014年3月18日に国の指定史跡に登録されています。
こちらが古墳の南東。裾野に沿ってグルッと駐車場になっています。真ん中の黒い物体はガレージのシャッターですが、なぜかシャッターだけ残されてシュールな雰囲気。
こちらが古墳の南西になりますが、駐車場が墳丘に食い込んでいます。
墳丘に登ってみると、かなりの枯れ葉で足がとられますが、さほど急ではないので簡単に上ることができます。
地面を見てみると丸い石がたくさん転がっていますが、これは葺石でしょうか?ちなみにどんぐりも大量に落ちていました。
こちらが墳頂になります。木々がそこそこ茂っているので眺望がいいというわけではありません。この下あたりに埋葬施設があると思いますが、この時代なので竪穴式石室か粘土槨あたりが考えられます。
比較的大きな帆立貝形古墳であり、陪塚らしき小古墳群を従えていることから、かなり身分の高い人物の墓だったのではないでしょうか。
とりあえず古墳に来ている人は私しかおらず、住宅地で小山を激写し続けているのも怪しいので帰ることにしました。
まとめ
今回は大阪府堺市にある「御廟表塚古墳」を紹介しました。墳丘が比較的良好に残り、中に上れて、情報もある程度そろっているということで見応えのある古墳といえます。
それにしてもこの古墳を調べれば調べるほど帆立貝形古墳なのか、前方後円墳なのか、帆立貝形の前方後円墳なのか表記がいろいろあってよくわかりませんでした。とりあえず、この辺りの基準を早く決めてほしいところです。
という訳で、御廟表塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、上れる帆立貝形古墳を紹介したいと思います。
御廟表塚古墳詳細
古墳名 | 御廟表塚古墳 |
住所 | 大阪府堺市北区中百舌鳥町4丁544 |
墳形 | 帆立貝形古墳(前方後円墳とも) |
全長 | 84.8m |
高さ | 8m |
築造時期 | 5世紀後半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 不明 |
出土物 | 円筒埴輪、蓋型埴輪、朝顔形埴輪、家型埴輪 |
国の史跡 | 2014年3月18日 |
参考資料 | ・百舌鳥古墳群をあるく ・案内板 ・百舌鳥古墳群の調査1 ・百舌鳥古墳群の調査3 ・百舌鳥古墳群の調査7 ・百舌鳥古墳群の調査14 |
案内板
御廟表塚古墳は、百舌鳥古墳群の東部にあたる、百舌鳥川を見下ろす大地の辺縁部に築かれています。現状では前方部が失われているため円墳のようにも見えますが、本来は前方部を西に向けた帆立貝形の前方後円墳です。
これまでの発掘調査で、墳丘の周囲には濠が巡ること、墳丘の平坦面には礫が敷かれ小型の円筒埴輪が密に並ぶこと、斜面には葺石が施されていたることが分かっています。埋葬施設や副葬品の内容は不明です。