はい、今回は兵庫県播磨町にある「愛宕塚古墳(あたごづかこふん)」を紹介します。日本一古墳が多い県として知られる兵庫県ですが、播磨町には1基しか古墳が存在しません。
そんな播磨町で唯一現存する古墳とは、どのような古墳なのか。という訳で今回は、愛宕塚古墳のある兵庫県播磨町へ行ってきました。
愛宕塚古墳とは
播磨町は、兵庫県において最も狭い面積の自治体として知られています。ただ人口密度は、兵庫県の41市区町村の中、13位と比較的上位。古くから多くの人が住む土地だったらしく、愛宕塚古墳の近くには、弥生時代から古墳時代にかけての集落跡である大中遺跡が存在します。
そのような立地なので、もう少し多くの古墳があってもいい気がしますが、残念ながら現存するのは愛宕塚古墳しかありません。播磨町唯一の古墳が理由かは不明ですが、愛宕塚古墳は1982年に兵庫県の指定文化財に登録されています。
そんな訳で、JR土山駅から住宅地をブラブラと歩きながら、愛宕塚古墳へ。こんな住宅地に古墳があるのかと歩いていると、愛宕塚古墳を発見。
兵庫県の指定文化財ということもあり、生け垣に囲われてキレイに整備されています。もともと愛宕塚古墳から南西約40mの所と、東約80mの所に陪塚(付属墳)と思われる古墳がありましたが、現在は消滅しています。もしかすると、かつては周辺に数多くの古墳が存在したのかもしれません。
愛宕塚古墳は、4世紀末~5世紀初頭に築造された円墳。規模は、直径22m、高さ2mを測り、周囲には幅4.5mの濠を巡らしていました。また周濠からは壺形、朝顔形、円筒埴輪、ミニチュア土器が見つかっています。
葺石については不明ですが、播磨町の愛宕塚古墳を再現したイラストには、葺石が敷き詰められていました。また墳丘の裾には小石が散乱しており、もしかすると葺石なのかもしれません。
墳丘には簡易的な階段が作られており、上ることができます。高さ2mと低めですが、築造時はもう少し高かったのかもしれません。
墳頂には、古墳名の由来となっている「愛宕権現」が建てられています。簡易な社で、鳥居、狛犬、賽銭箱もありません。愛宕権現は、仏であるお地蔵様がイザナミの姿として現れたという神仏習合の神様。廃仏毀釈が行われる前の愛宕権現の本山は、白雲寺という寺だったということも、神社らしくない姿の理由かもしれません。
墳頂には他に、小さな石塔が2基建てられていましたが、古墳とは直接関係ないと思われます。
埋葬施設は愛宕社の下にあるようですが、発掘調査が行われていないため不明。築造時期は、百舌鳥・古市古墳群が築造され始めた時代にあたります。前方後円墳ではなく、小規模な円墳であることから、ヤマト王権とのつながりが薄い、地元有力者の墓なのかもしれません。
そんな訳で、愛宕社にお参りして古墳を一周すると、他にすることがなくなったので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は兵庫県播磨町にある「愛宕塚古墳」を紹介しました。播磨町に現存する唯一の古墳ということで、きれいに整備されたイージー古墳でした。兵庫県の指定文化財ということもあり、案内板が設置され周濠跡も残された見やすい古墳といえるでしょう。
ただ墳丘と神社ぐらいしか見るところがなく、ツッコミどころが少ないというB級古墳好きには少し寂しさを感じるところです。古墳にツッコミどころなんかはいらないのですが。
そんな訳で、愛宕塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、町内唯一の古墳を紹介します。
愛宕塚古墳詳細
古墳名 | 愛宕塚古墳 |
住所 | 兵庫県加古郡播磨町北野添2丁目1 |
墳形 | 円墳 |
全長 | 22m |
高さ | 2m |
築造時期 | 4世紀末~5世紀初頭 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 不明 |
指定文化財 | 兵庫県の史跡:1982年3月26日 |
出土物 | 壺形・朝顔形・円筒埴輪、ミニチュア土器 |
参考資料 | ・案内板 |
案内板
史跡 愛宕塚古墳(県指定文化財)
この古墳は、本町に現存する唯一の古墳で印南野台地の最南端に位置しています。古墳時代中期のもので、周濠を備えた円墳です。古墳の直径は約22メートル、高さは約2.2メートル、墳頂部の標高は15.3メートルで、周濠の幅は約4.5メートルあります。近年まで周囲には陪塚と思われる小さな塚が二つありましたが、今は失われてありません。
現在、埴輪は残っていませんが、転落した埴輪が周濠から出土しています。古墳が作られた当初は、古墳のまわりに埴輪が立て並べられて威容をほこっていたことでしょう。
なお近世になって墳丘上に愛宕権現が祭られたことから愛宕塚といわれるようになりました。この古墳は、当地方の歴史や文化を解明するうえできわめて貴重な遺跡であり学術資料もであります。
平成元年3月
播磨町教育委員会