はい今回は、奈良県葛城市にある「笛吹神社古墳」を紹介します。笛吹神社古墳は、文字通り「笛吹神社」の境内にある古墳として知られています。
古墳とは関係ないのですか、笛吹神社の境内には日露戦争でロシア軍から捕獲した兵器が保存されているんです。現在ウクライナとロシアで戦争が行われていますが、言ってみればロシア軍からぶんどった戦車を、教会の敷地に展示してるみたいなものでしょうか。古墳だけでネタが持ちそうにないので無理矢理絡めてみました。そんなわけで今回は、奈良県葛城市にある「笛吹神社古墳」を紹介します。
笛吹神社古墳と葛木坐火雷神社
笛吹神社古墳は、笛吹神社の裏山に存在します。この神社は一般的に笛吹神社と呼ばれていますが、正式名称は「葛木坐火雷神社」。普通に読め「かつらきざひかみなりじんじゃ」と読んでしまいますが、正しくは「かつらきにいますほのいかづちじんじゃ」と読みます。はい、こんなの読めませんね。927年に編纂された延喜式神名帳に記載された式内社で、1000年以上の歴史を持ちます。その神社がなぜ笛吹神社と呼ばれるようになったのか?
もともと葛木坐火雷神社とは別に、笛吹神社が存在。笛吹神社は、笛吹連という地元の豪族が祖神を祀るために創建した神社でした。後に葛木坐火雷神社が衰退したため、笛吹神社の末社として存続することに。その後、明治7年に葛木坐火雷神社の祭神を笛吹神社の本殿に合祀。正式名称を笛吹神社から葛木坐火雷神社に改称して現在に至っています。
笛吹神社古墳とは
笛吹神社古墳は、葛城山系から東に伸びた丘陵地に築かれた古墳。約80基からなる笛吹古墳群の一つで直径約25m、高さ4mの円墳です。
6世紀に築造され、横穴式石室に凝灰石を用いた石棺が収められていました。被葬者については不明ですが、渡来系豪族の「忍海氏(おしみうじ)」との説があります。笛吹神社古墳群の出土物からはミニチュア炊飯具が見つかっています。この副葬品は、渡来系豪族の古墳から多く見つかっています。
かつて葛城市一帯は、渡来系豪族とつながりが深い「葛城氏」の本拠地でした。その勢力下で渡来系豪族の忍海氏が、古墳を築いたともいわれています。忍海氏は鍛治に関わる技術集団だったことから、火にまつわる葛城坐火雷神社の創建に、忍海氏が関わった可能性も考えれます。
加農攻守城砲と音楽と古墳
はい、笛吹神社古墳のある奈良県葛城市に来ております。何のためにこの神社に来たのか記憶にないのですが、おそらく何かで境内に大砲が保存してあるというのを見てきたのだと思います。そして偶然、古墳があることを知りました。
とりあえず、目的の大砲を見てみましょう。大砲は境内の一番目立つところに保存しており「加農攻守城砲」という日露戦争でロシア軍から鹵獲したもの。日露戦争を記念して明治42年に、当神社に政府より奉納されたそうです。
当時は、日本全国の神社や主要施設にこのような鹵獲された兵器が奉納されていました。しかし太平洋戦争中や戦後に、多くの兵器が政府へ供出されたため、このような姿で保存されているのは珍しいとのこと。
火の神様を祭る神社としては、シンボリックなものなで、供出しなかったのかもしれません
古墳を見る前にまずは、本殿で参拝します。
ちなみに別名、笛吹神社という名前ということもあり、笛と音楽の神様も祭っています。以前訪れた時、本殿でフルート奏者が演奏を行っていました。大砲があって、火の神様と音楽の神様が同居するという謎な神社です。
本殿横には「鬼滅の刃」の絵馬が多くかけられていました。どうやら善逸の大技である「火雷神」が、社名の「葛木坐火雷神社」と同じ文字なので、鬼滅の聖地とのこと。大砲があって、火の神様と音楽の神様が同居して、鬼滅の刃の聖地という謎の神社です。
最後のオマケみたいになりましたが最終目的の「笛吹神社古墳」を見に行きます。看板が手書き感がにじみ出て素敵ですね。
本殿の裏手にありますが、柵で囲まれて居る上に、扉には鍵がかかってます。
少し離れたところから横穴式石室の入口を見つめるしかありません。古墳見つめ派ではなく、古墳激写派なのでちょっぴり悲しいです。
とりあえず大砲があって、火の神様と音楽の神様が同居して、鬼滅の刃の聖地で、近づけない古墳がある謎の神社でした。とりあえず古墳の激写ポイントが少なすぎたので帰りました。
まとめ
今回は奈良県葛城市にある「笛吹神社古墳」を紹介しました。大砲があって、火の神様と音楽の神様が同居して、鬼滅の刃の聖地で、近づけない古墳がなら一度は足を運んでおきたい古墳ではないでしょうか。
そんな訳でまた別の大砲があって、火の神様と音楽の神様が同居して、鬼滅の刃の聖地で、近づけない古墳でお会いしましょう。
笛吹神社古墳詳細
古墳名 | 笛吹神社古墳 |
住所 | 奈良県葛城市笛吹448 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 東西25m、南北20m |
高さ | 高さ4m |
築造時期 | 6世紀 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
被葬者 | (推定)忍海氏 |
参考資料 | 案内板、葛城市HP |
案内板
葛城山系から東へ派生した低い丘陵上に総数約80基からなる笛吹古墳群があり、笛吹神社古墳はその古墳群の東端に築かれた円墳である。墳丘規模は、東西約25m、南北約20m、高さが約4mである。埋葬施設は南に開口する横穴石室であり、玄室の中央に石棺が1基ある。石室は全長12.5mあり、玄室の長さ約60m・幅約2.4m、羨道のは長さ約6.5m・幅約1.7mを測る。玄室の壁には1.0m~1.5mの花崗岩の巨石を3~4段積み上げ、蓋の長辺にそれぞれ2箇所の突起がある。石棺蓋は長さ2.1m、幅1.25m、高さ0.6mを測る。6世紀に築造された笛吹神社古墳は、大型の石室に家形石棺を置く葛城地域屈指の後期古墳である。
指定年月日:平成10年3月20日
平成30年3月 奈良県教育委員会