はい、今回は奈良県高取町にある「与楽カンジョ古墳(ようらくかんじょこふん)」を紹介します。与楽カンジョ古墳は、近年整備が進んでおり、着々とイージー古墳化が進んでいます。
実はこの与楽カンジョ古墳ですが、石室がドーム状という珍しい古墳として知られています。という訳で、ドーム状の石室と聞いたからには、いてもたってもいられず、気がついたら与楽カンジョ古墳のある奈良県高取町へ旅立っていました。
圧巻のドーム状石室
与楽カンジョ古墳のある奈良県高取町に来ております。古墳名の「与楽」は「ようらく」と読み、地名が由来。
資料によっては「カンジョ古墳」と与楽をつけないケースもあります。ただ国の史跡に登録されている名称では、与楽がついており、「与楽カンジョ古墳」が正式名称と思われます。
カンジョはもともと「乾城」だったそうですが、いつの間にかカタカナになっています。乾城の由来は不明ですが、古墳の後背にそびえる貝吹山山頂には、南北朝時代に大和国の有力国衆の越智氏が築いた「貝吹山城」が存在しました。貝吹山城は越智氏の居城として機能し、戦国時代には松永久秀と激戦を繰り広げています。
また山頂には、人々が雨乞いをした「牛頭天王の塚」と呼ばれる塚が存在するとのこと。「雨乞い」と「城」というキーワードから「乾城」になったのかと想像してしまうのですが、実際のところはよく分かりません。
高取町、明日香村、橿原市にまたがる貝吹山には、終末期古墳がいくつも存在し、貝吹山の明日香村側には斉明天皇の真陵とされる「牽牛子塚古墳」や「岩屋山古墳」など王陵級の古墳が存在します。
与楽カンジョ古墳の周辺にも「与楽鑵子(かんす)塚古墳」や「寺崎白壁塚古墳」が存在し「与楽古墳群」として国の指定史跡に登録されています。それ以外にも周辺には、無名の古墳が200基ほど存在するようですが、詳しいことはわかっていません。
という訳で、与楽カンジョ古墳へやってきました。与楽カンジョ古墳は、国道沿いからも姿が確認できるアクセス良好な古墳。整備は完了していないものの、公開はされており、古墳に登り石室を見ることができます。
与楽カンジョ古墳の外観は、ピラミッド型をした特徴的なビジュアル。上部まで尖っているので、そう見えるのかもしれません。これはテンション上がります。
与楽カンジョ古墳は、7世紀前半に築造された一辺36m、高さ11mの方墳。2段に築成されており、整備も本来の姿に合わせた姿で復元されています。
正面の階段はまだ利用が出来ないようなので、脇にある道から登ることができます。整備が完了すれば古墳の周りも歩けるようですが、訪問時はまだ柵が設置されていました。
こちらが、与楽カンジョ古墳の石室入口。入口はコンクリートで固められた魔改造が施されています。この整備方法には古墳ファンでも議論が分かれるところでしょう。
玄室に続く羨道部は失われていたのか、こちらも大半をコンクリで固められています。
石室手前には柵が設置されているため、中に入ることはできません。ただ、柵越に内部を見ることはできました。
石室は、上部にかけて幅が狭くなっていき、天井はドーム状になっています。天井までの高さは5.5mと、奈良県内においては最大規模。
床面を見ると小石が敷き詰められており、中央部には四角い物体が置かれています。
この四角い物体は石棺を設置するための「棺台」で、漆喰をペースト上に固めたもの。このように漆喰を古墳に使う例は珍しく、他の例としては高松塚古墳の壁に漆喰が利用されています。
被葬者としては「東漢氏(やまとのあやうじ)」との説が有力。その根拠としては、下記が挙げられています。
- 東漢氏が高取町一帯に勢力を持っていた
- 古墳から出土した土器が朝鮮半島由来の特徴を有していた
- ドーム状の石室が朝鮮半島の古墳と共通点がある
東漢氏は、阿知使主を祖と称する渡来系の豪族。土木、機織り、軍事に精通した東漢氏は、ヤマト王権において重用されました。特に蘇我氏とのつながりは強く、蘇我馬子が崇峻天皇暗殺の実行犯として選んだのが「東漢駒(やまとのあやのこま)」でした。
東漢氏はその後も軍事部門において活躍し、奈良時代にアテルイ乱を鎮圧した「坂上田村麻呂」も東漢氏の末裔として知られています。
与楽カンジョ古墳からは8世紀初頭の須恵器が出土しており、築造から100年近くにわたり追葬が行われていたことがわかっています。奈良時代に入ると古墳の築造は終了していますが、与楽カンジョ古墳は一族にとって長く祭祀の場であったようです。
整備された古墳ということで、古墳ファン的には評価が分かれるとろこですが、一般人的にはこんな姿の古墳もあるのだと好奇心を刺激する古墳ではないでしょうか。ただ、同行した家族は1mmも興味がなく帰りたがってきたので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は、奈良県高取町にある「与楽カンジョ古墳」を紹介しました。整備されたイージー古墳で、奈良県最大規模のドーム状の石室という非常に見応えのある古墳といえます。
近くの牽牛子塚古墳も見応えがありましたが、それにも負けない古墳でしょう。ただB級古墳好きとしてはツッコミどころがないので一抹の寂しさも感じないわけではありませんが。
という訳で、与楽カンジョ古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、整備されたイージードーム状古墳を紹介します。
与楽カンジョ古墳詳細
古墳名 | 与楽カンジョ古墳 |
住所 | 奈良県高市郡高取町与楽 |
墳形 | 方墳 |
一辺 | 36m |
高さ | 11m |
築造時期 | 7世紀前半 |
被葬者 | 推定:東漢氏 |
埋葬施設 | 横穴式石室(両袖式) |
国の指定史跡 | 2013年3月27日 |
出土物 | 金銅製耳環・銀製指輪・不明鉄製品・砥石・須恵器・土師器 |
参考資料 | 高取埋蔵文化財(埋文)散策マップ |