はい、今回は大阪府堺市にある「七観音古墳(しちかんのんこふん)」を紹介します。七観音古墳は、百舌鳥古墳群の一つで、世界文化遺産に登録された古墳として知られています。
以前、坂上広野麿の墓の記事で「花壇の墓」を紹介しましたが、実は世界文化遺産である七観音古墳も、完全無比な花壇古墳なんです。
という訳で、世界文化遺産にも指定された七観音古墳がどれぐらい花壇なのか、確認してきます。
七観音古墳
七観音古墳のある大阪府堺市に来ております。百舌鳥古墳群は、44基のうち23基が世界文化遺産に登録され、七観音古墳もその23基に含まれています。
そんな世界文化遺産の七観音古墳は、百舌鳥古墳群の中でも特に古墳が集まる大山公園内に存在。七観音古墳は、履中天皇陵北側の外濠沿いに位置することから、履中天皇陵の陪塚(小型の附属墳)と考えられています。ただ、宮内庁による陪塚には治定されていません。
そんな訳で、ブラブラと大山公園の南側へにある七観音古墳へやってきました。実は、大山公園へ来たのは2回目なんですが、1回目は古墳と気づかずにスルーしていました。その理由は、古墳が花壇に完全擬態していたからです。
完全に花壇ですね
あまりに堂々とした花壇だったため、最初は古墳と気づきませんでした。あらためて見ると基底部を石で基礎固めしており、やはり花壇にしか見えません。ちなみに墳丘に植えられているのは、ツツジとのこと。
七観音古墳は、直径32.5mの円墳。現在の墳丘はキレイな正円をしていますが、整備のために土が盛り直され、元々の姿とは異なるようです。
完全に花壇にしか見えないのですが、よく見ると「七観音古墳」という石碑が花壇に埋まっていました。
古墳の前には案内板が設置されています。この案内板と石碑がなければ、誰も古墳とは思わないでしょう。案内板によると古墳からは碧玉製の琴柱形(ことじがた)石製品が出土したとのこと。
琴柱形石製品は、琴の弦を支える琴柱に似たものなのですが、どのように用いられていたのかは分かっていません。
出土した円筒埴輪から、築造されたのは5世紀中頃。履中天皇陵の少し後に築造されたようです。履中天皇陵の外濠沿いに位置しているためか、七観音古墳に周濠の痕跡は見つかっていないとのこと。
発掘調査は行われたようですが、なぜか埋葬施設は不明。被葬者も不明ですが、履中天皇に近い人物が埋葬されているのかもしれません。七観音古墳という名前の由来はわかりませんが、かつてすぐ西に「七観山古墳」という七観音古墳と似た名前の古墳が存在しました。観音様にまつわる、何かの由来があったのかもしれません。
ちなみに七観山古墳は消滅しましたが、後に築造時の姿に復元されています。
七観音古墳の周りをグルグル回ってみましたが、どこからどう見ても花壇にしか見えません。謎の花壇を激写し続けても仕方がないので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は大阪府堺市にある「七観音古墳」を紹介しました。百舌鳥古墳群といえば仁徳天皇陵に目がいきますが、見た目が花壇な古墳が世界文化遺産というのもユニークなのではないでしょうか。だからと言ってこの古墳をみて感動するかといわれると、よく分かりませんが。
という訳で、七観音古墳の紹介はこの辺で。次回は、また別の世界文化遺産に登録された花壇古墳を紹介します。
七観音古墳詳細
古墳名 | 七観音古墳 |
住所 | 大阪府堺市堺区旭ヶ丘北町5丁1 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 32.5m |
高さ | 3.8m |
築造時期 | 5世紀前半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 不明 |
出土物 | 琴柱形石製品 |
世界文化遺産 | 2019年7月6日 |
国指定史跡 | 2014年3月18日 |
参考資料 | ・百舌鳥古墳群をあるく ・案内板 |
七観音古墳案内板
七観音古墳は履中天皇陵古墳の外濠沿いにあり、七観山古墳や寺山古墳とともに履中天皇陵古墳と関わりのある古墳(陪塚)と考えられます。発掘調査の結果、明確な濠の痕跡が見つからなかったため、築造当初から濠はなかった可能性があります。小型円筒埴輪が出土しており、埴輪の特徴から履中天皇陵古墳にやや遅れて完成したと考えられます。埋葬施設は不明ですが、碧玉製の琴柱形石製品が見つかったと伝わります。