はい、今回は大阪府堺市にある「天王古墳」を紹介します。天王古墳は、44基の古墳で構成される百舌鳥古墳群の一つですが、世界文化遺産に登録されている23基には含まれていません。
天王古墳は、百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)の一つで古墳で、盛り土感が素敵な古墳として知られています。先日SNSに掲載するとなかなかいい反応があったので、実際はどんな古墳なのかを紹介します。
天王古墳のある堺市へ
天王古墳のある大阪府堺市に来ています。堺市といえば世界文化遺産にも登録された百舌鳥古墳群が有名ですが、天王古墳も百舌鳥古墳群に属しています。
ただ百舌鳥古墳群に属する古墳がすべてが、世界文化遺産に含まれている訳ではありません。現存する44基の古墳のうち23基のみが世界文化遺産に登録されており、天王古墳はもれなく世界文化遺産から外れています。ちなみに外れた理由は定かではありませんが、景観や保存状態などが考慮されているようです。
とりあえず南海「堺東駅」からブラブラと天王古墳に向かいます。過去に紹介した古墳は、道も整備されていない辺鄙な古墳が多かったのですが、百舌鳥古墳群は世界文化遺産だけあり、案内板もしっかり整備されています。
案内板に沿って歩いていると「田手井山古墳」が現れます。この古墳は宮内庁により「反正天皇陵」に比定されている全長148mの前方後円墳。ただ、この時代の大王墓としては小さいということで、本当に反正天皇の墓であるかは疑わしいとされています。
田手井山古墳沿いを東に歩いていると「天王古墳」が存在します。
天王古墳は、距離的に田出井山古墳に近いことから田出井山古墳の陪塚(付属墳)と考えられています。
田出井山古墳の陪塚としては、天王古墳と鈴山古墳が存在します。他にもいくつか存在したらしいのですが、現在は消滅。
オープンハウス案件ではありません
天王古墳は、5世紀に築造された一辺11m、高さ2mの方墳。現在は宮内庁により「反正天皇陵ろ号陪塚」として管理されており、中に入ることはできません。そのため詳しい調査が行われておらず、副葬品・出土物・埋葬施設などは不明。
古墳の東と西は住宅に、北は駐車場になっており、墳丘を確認できるのは西側からのみとなっています。
西側の道幅が狭いため、引いて全体を撮影するのも困難。まあ、全体が写ったところで柵に囲まれた空き地にしか見えませんが。
住宅地にある古墳はアクセスは良好なものの、人の往来や住宅の写り込みなど撮影は結構気を使います。いかに偶然通りかかった土の塊を、さりげなく撮影してる人のフリをするかが、住宅地古墳に求められる必須のテクニック。まあ、どう撮影してても怪しいんですが。
ちなみにこんな空き地っぽい古墳ですが、ちゃんと案内板は設置されています。宮内庁が管理する陪塚は、あまり案内板が設置されていないケースが多いので、珍しいかもしれません。
頑張って様々な角度から撮影してみましたが、どこから撮影しても空き地でした。ツイッターにあげると、「オープンハウス案件」「地鎮祭」などといわれる始末。まあこんな姿なので仕方ありません。
ちなみに天王という名の由来は、この近くにあった「向井神社」からきています。向井神社ではかつて「牛頭天王(ごずてんのう)」を祀っており、その名が古墳にもつけられたとのこと。
向井神社は明治時代の神社合祀政策により近隣の「方違神社(ほうちがいじんじゃ)」に合祀され、現在その痕跡は全く残っていません。古墳だけではなく、神社も扱いがよろしくありません。
謎の少女像と脳味噌
ちなみに天王古墳から少し北に歩いたところに謎の少女像がありました。微妙な表情で読書にふける少女のようですが、芸術に疎い私にはコンセプトがよくわかりません。
虚な瞳の少女像の背後には真っ赤な石が置かれており、まるで脳みそのようでした。なんなんですか、この組み合わせは?ちょっとサイコな雰囲気を感じられる素敵な空間でした。
少女と脳みそという狂気的な組み合わのインパクトが強く、空き地の印象が一瞬で消えてしまいました。
まとめ
今回は大阪府堺市にある「天王古墳」を紹介しました。空き地感満載の古墳でしたが、最後に謎の少女と脳みそに全部持って行かれるという謎展開。幸い人通りが少なく激写し放題だったのですが、空き地感が素敵なポイントの高い古墳でした。
という訳で、天王古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、空き地古墳を紹介します。
天王古墳詳細
古墳名 | 天王古墳 |
住所 | 大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町3丁1 |
墳形 | 方墳 |
一辺 | 11m |
高さ | 2m |
築造時期 | 5世紀 |
埋葬施設 | 不明 |
被葬者 | 不明 |
参考資料 | 案内板 |
案内板
天王古墳は反正天皇陵古墳の東側にあり、鈴山古墳とともに反正天皇陵古墳と関わりのある古墳(陪塚)と考えられています。墳丘の周りに濠が巡っていたかどうかはわかりませんが、百舌鳥古墳群では数少ない方墳の一つです。
天王という名称は、このあたりにあった向井神社の別称「牛頭天王社」に由来するものと考えられています。
陪塚:大型古墳の周囲に築かれた中小の古墳