はい、今回は奈良県三宅町にある「茄子塚古墳(なすづかこふん)を紹介します。茄子塚古墳は、三宅町一帯に広がる「三宅古墳群」の一つ。
一般的に古墳名は、地名、形、伝説が由来することが多く、茄子塚は「形」が由来と思われます。しかしながら、茄子の形をしている古墳など存在するのか。そんな訳で、茄子塚古墳が本当に茄子の形をしているのかを確かめるべく、奈良県三宅町に行ってきました。
茄子ではない
茄子塚古墳のある、奈良県三宅町に来ています。三宅町の名前は、かつて大和王権がこの地に天皇の直轄地である「屯倉(みやけ)」を置いたことが由来とのこと。
三宅町一帯には、小型の古墳が複数存在しており、これらは「三宅古墳群」と称されています。三宅古墳群の被葬者は不明ですが、前方後円墳が多いことから、屯倉の運営に関わった大和王権の関係者の墓との説があります。
そんな訳で、三宅古墳群を巡りながら、茄子塚古墳に寄ることに。茄子塚古墳の北西には「寺の前古墳」、北に「安養院古墳」、南に「高山古墳」と、比較的古墳が集まる場所に存在します。
安養院古墳から墓地を抜けた先に茄子塚古墳が存在しました。
田んぼの中にある盛り土ですね
茄子の形をしているかといわれると、全くそんな姿はしていません。茄子塚古墳の周囲は開墾により大きく削平されています。そのため、元々の墳形ついては不明。
元々の姿をみて「茄子」と名付けられたとすれば、円墳や方墳ではなく前方後円墳だったのかもしれません。ただ、前方後円墳が茄子に見えるかといえば微妙なところ。南側の道路が墳丘を囲うようにカーブを描いていることから、元々は馬蹄形の周濠を有していたのかもしれません。
茄子塚古墳は、出土した土器類から5世紀末~6世紀初頭に築造されたと考えられています。須恵器などの土器が見つかっており、古墳の可能性は高いといえます。ただ発掘調査が行われていないため、葺石、埴輪、埋葬施設などについては不明。分かっていることは、古墳が茄子には似ていないことぐらいでしょう。
パッと見、田んぼの中にある盛り土にしか見えませんが、一応案内板が置かれているので古墳であることが分かります。
ただ案内板の解説は簡潔過ぎるので、詳しい内容は分かりません。発掘調査をしていないため、情報が少ないのでしょう。
茄子塚古墳は、奈良県遺跡地図によると「花子塚古墳」と記されています。古墳の周りには謎の花が咲き乱れていたので、現状では茄子塚より花子塚に近いかもしれません。
こちらは、古墳の南側になります。とりあえずここから見ても茄子感はゼロ。ただ茂みだけは嫌というほど見ることはできます。
古墳の東側にはあぜ道があり、古墳に行くことができるようです。ただ私有地かもしれないので、見るだけにしました。ただ、入ったところで「茂みですね」と呟く以外ないと思いますが。
グルッと一周してみましたが、茄子感は全くありませんでした。もしかしたら茄子に似ているのではなく、茄子の祟りを恐れて茄子を祀っているのかもしれません。そんな訳で、茄子に祟られる前にとりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は、奈良県三宅町にある「茄子塚古墳」を紹介しました。茄子塚という名前のわりに、茄子には似ていないという謎の古墳でした。誰がどんな姿を見て、茄子と言い出したのかを三宅町は総力を挙げて調べるべきではないでしょう。それが気になって毎日夜も眠れません。
そんな訳で、茄子塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、茄子塚なのに茄子に似ていない古墳を紹介します。
茄子塚古墳詳細
古墳名 | 茄子塚古墳 |
別名 | 花子山古墳 |
住所 | 奈良県磯城郡三宅町屏風 |
墳形 | 不明 |
全長 | 18m |
高さ | 不明 |
築造時期 | 5世紀後半~6世紀初頭 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 不明 |
出土物 | 須恵器高杯、堤瓶、長壺 |
参考資料 | ・案内板 ・大和の古墳を歩く ・奈良県遺跡地図Web |
案内板
現在畑地となっているので古墳とは気づかないが茄子塚と呼ばれている。円墳か前方後円墳かはわからないが、出土した土器等から、五世紀終わりから六世紀にかけて造られた古墳である。三宅町教育委員会