はい、今回は奈良県平群町にある「剣上塚古墳(けんじょうづかこふん)」を紹介します。剣上塚古墳は擁壁魔改造されていますが、墳頂から平群町が一望できる素敵な古墳なんです。
古墳巡りをしていると、遠くから謎の茂みや盛り土を眺めるだけになることが多々ありますが、古墳に登れて眺めが良いとか、最高ではないでしょうか。いや最高は、少し言い過ぎました。
そんな訳で、登れて眺望も素晴らしい擁壁魔改造古墳の「剣上塚古墳」を紹介します。
剣上塚古墳とは
剣上塚古墳のある奈良県平群町に来ています。剣上塚古墳は平群町西部の生駒山麓に築造されており、周辺には他にも「ツボリ山古墳」「柿塚古墳」「四ツ辻古墳」などが存在します。
そんな訳で、平群中央公園で「西宮古墳」を見に行ったついでに、剣上塚古墳へ寄ってきました。古墳名である「剣上塚」は、一帯の地名である「剣上」からきているようです。
古墳に向かう途中、バス停に描かれた平群町のゆるキャラが目に入りました。平群町のゆるキャラは「左近くん」だけと思っていましたが、実は「長屋くん」もいるようです。
平群町には、長屋くんのモデルである長屋王の墓が存在します。長屋王は奈良時代の皇族で、反乱を企てたとの讒言で自死。ゆるキャラにするには、人生ハードモード過ぎないでしょうか。
長屋くんに別れを告げ、バス停から少し坂を上った所に「剣上塚古墳」が存在します。山麓とはいえ、周りは住宅地になっており、北と南の一部が民家と接しています。
道路を作る際に墳丘が削平されたのか、一部が擁壁に魔改造されています。山にある古墳にも関わらず、擁壁魔改造されるとは少し不運な古墳といえるでしょう。
そこそこ高く築かれた擁壁の上に、案内板が設置されていました。
これを読むのはムリゲーですね
思いっきり見上げた場所に建てられており、かなり読みにくいです。しかも文字が消えかかっており、ほとんど読めません。擁壁の下に建てられなかったのでしょうか・・・
剣上塚古墳は、5世紀前半に築造された直径23m、高さ6mの円墳。ただし前方後円墳の可能性もあるようで、発掘調査次第では変わってくるかもしれません。
終末期古墳が多い平群町において、剣上塚古墳は古墳時代中期に築造されています。この点からも、平群町における古墳の変遷を知る貴重な史跡とのこと。
そんな訳で、剣上塚古墳へ登りたいと思います。一見、擁壁に囲まれて登れないように見えますが、裏側にいくと古墳へ登るルートが存在します。
ここからズンズンと登っていくと、先ほどの古墳へたどり着きます。ちょうど古墳に接した家がリフォーム中なのか、屋根の上に職人さんが作業をしていました。一人で謎の丘に登る怪しい中年男性をみて、職人さんはどう思ったのでしょう。
という訳で、こちらが剣上塚古墳の墳頂になります。剣上塚古墳の埋葬施設は、横穴式石室で、竪穴式から横穴式へと変わる過渡期の特徴を持つとのこと。現在は埋められているのか、見ることはできません。
こちらが、墳頂からの眺め。平群町が一望できる、素敵な眺望。正面に見える山が「矢田丘陵」で、こちらにも数多くの古墳が築かれています。
剣上塚古墳からは、円筒埴輪、形象埴輪、須恵器、馬具、武具などが出土。特に馬具は、朝鮮半島にみられる製造方法を有していることが分かっています。この点から被葬者は、朝鮮半島や大陸とのつながりがあったと考えられています。
平群町一帯においては、古代豪族の平群氏が本拠地としていました。平群氏は「武内宿禰」を祖とし、同族に葛城氏、蘇我氏、巨勢氏を持つ名族。この武内宿禰を祖とする一族は、朝鮮半島と深いつながりを有しており、平群氏と剣上塚古墳につながりがあった可能性もあります。
そんな訳で、墳頂から風景を激写していたら、庭で寛いでいた夫婦から熱い視線を感じたので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は、奈良県平群町にある「剣上塚古墳」を紹介しました。登れて墳頂からの眺めも素晴らしいという古墳でした。
一部擁壁魔改造されている点も、B級古墳好きとしてはポイントを高めにつけざるを得ません。なんのポイントなのかは分かりませんが。
そんな訳で、剣上塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、擁壁魔改造された眺望の素晴らしい古墳を紹介します。
剣上塚古墳詳細
古墳名 | 剣上塚古墳 |
住所 | 奈良県平群町若井字剣上57-2番地 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 23m |
高さ | 6m |
築造時期 | 5世紀後半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
指定文化財 | 町の史跡:1988年6月15日 |
出土物 | 円筒埴輪、形象埴輪(器種不明)の破片、須恵器片、金銅装剣、菱形杏葉3点、頸鎧、肩甲を伴う三角板鋲留短甲、鉾、手鎌 |
参考資料 | ・案内板 |