はい、今回は大阪府柏原市にある「平尾山第67支群2号墳」を紹介します。平尾山古墳群は、1400基もの古墳で構成される大古墳群として知られています。
1400基の古墳とか、ありすぎて意味が分かりません。ちなみに平尾山という名前から分かるように、どの古墳も山の中にあり、行くのがかなり大変です。その中でも平尾山第67支群2号墳はイージーレベルの場所にあるようなので、今回は大阪府柏原市にある「平尾山第67支群2号墳」へ行ってきました。
山の中にあるけど道が分からない
平尾山古墳群は大きく8つの支群に分かれており、今回訪問する「平尾山第67支群2号墳」は、その中でも規模の大きい「平尾山支群」に属しています。
Google Mapには、全国の古墳ファンが古墳登録作業を行った事により、かなりの古墳が網羅されています。しかし平尾山古墳群は多すぎるのか、ほぼ空白地帯。
そんな中、平尾山第67支群2号墳は珍しくピンポイントで登録されており、場所がハッキリしています。ただ、GoogleMapには山の中にポツンとマークされているだけで、ルートが全く分かりません。古墳の南側に近くまで道が来ているようですが、道の先は崖になっていて進めず。
あれこれ調べて、登山道の入口を発見しましたが、どんな道なのか全く不明。GoogleMapを見つめていても仕方ないので、とりあえず行ってみることに。こういう不用心で適当な人間が、山で遭難するんですよね。困ったものです。
まあまあの茂みで少し引く
平尾山第67支群2号墳の入口近くには、柏原市立歴史資料館があるので、情報がないか事前にチェック。しかし手がかりゼロなので、あきらめて古墳に向かいます。マイナーな山道を、単独で出たとこ勝負とか怖すぎなんですけど。
資料館から5分ほどで、登山道の入口付近に到着。一応、ハイキングコースの矢印の看板がありましたが、全くハイキングコース感はありません。
しかも、大量の笹の枯れ葉。米軍が枯れ葉剤でもバラまいたのかという量です。
そしてこちらが登山道の入口。
全力で藪ですね
人が歩いていないオーラがビンビン漂って、さすがに突撃するのがためらわれます。
いいんですか先に進んで?
本当にこの先に道が続いているんですか?
本当にハイキングコースとして成立してるんですか?
そんな不安が頭をよぎりながらも、ここまで来たら行くしかないという、失敗探検家が言いそうなセリフを胸に突入。
最初の5分ぐらいは、細くて藪だらけの道でしたが、しばらく歩いていくと、なんとか道らしい感じになってきました。倒木が所々あるため歩きにくいですが…
イノシシが出たらどうしたものかと、不安に駆られながら10分ほど歩いていると、平尾山第67支群2号墳を発見。
平尾山古墳群は、6世紀後半から7世紀前半にかけて築造された古墳群。平尾山第67支群2号墳の墳型は不明ですが、円墳と思われます。被葬者は不明ですが、おそらく渡来系の豪族とのこと。
平尾山の南部には、渡来系豪族と関わりの深い「蘇我氏」の本拠地である石川郡もあることから、蘇我氏とのつながりも考えられます。平尾山古墳群は、小型の古墳が大半ということですが、平尾山第67支群2号墳はかなり巨大。
石室を覆う封土が失われて、石室が剥き出しになっているのも迫力。手前の通路が玄室につながる羨道で、その先に横口式石槨の入口が見えています。
平尾山は標高300mほどの山ですが、こんなとこまで巨石を運べとかいわれたら、もうブチ切れですね。そんな訳で、誰もいないので古墳を激写し放題なのはいいんですが、誰も人が通らず寂しいので、とりあえずダッシュで帰りました。
まとめ
今回は茂みの先にある「平尾山第67支群2号墳」を紹介しました。この茂みに興奮しだしたら末期状態なので、ぜひ茂みを体感してもらいたいところです。
という訳で、平尾山第67支群2号墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、茂み古墳を紹介します。
平尾山第67支群2号墳詳細
古墳名 | 平尾山第67支群2号墳 |
住所 | 〒582-0015 大阪府柏原市高井田1020−59 |
築造時期 | 6世紀後半~7世紀前半 |
墳形 | 不明 |
直径 | 不明 |
高さ | 不明 |
埋葬施設 | 横口式石槨 |
被葬者 | 不明 |