今回は、大阪府堺市南区にある「経堂古墳」を紹介します。ちなみに経堂と書いて「きょうどう」と読みます。
経堂古墳は、百舌鳥古墳群の一つですが、世界文化遺産リストには登録されていません。その姿を見ればなぜ登録されなかったのかわかる気もしますが、そんな感じの古墳です。
という訳で、百舌鳥古墳群の一つなのに世界文化遺産に登録されていない「経堂古墳」を紹介したいと思います。
経堂古墳へ
経堂古墳のある大阪府堺市南区に来ています。最寄り駅はJR阪和線「上野芝駅」ですが、全く初めて降り立ちました。普段使わない駅で降りるのって少しドキドキしますね。降りた駅の西側は家以外何もありませんでしたが。
駅を降りてすぐ北側に巨大な林が見えます。こちらは上石津ミサンザイ古墳こと「履中天皇陵」。経堂古墳は、この履中天皇陵の陪塚(付属墳)として宮内庁に管理されています。
履中天皇は仁徳天皇の息子で、難波宮で即位した天皇。即位早々、弟の住吉仲皇子に襲われて奈良まで逃げるという運の悪い人物です。
その後、弟の瑞歯別皇子(のちの反正天皇)が住吉仲皇子を誅殺して事なきを得ますが、それ以後は大きな事績はありません。
経堂古墳は、そんな履中天皇陵から南西100mほどの場所に存在します。グーグルマップを頼りに目指しますが、住宅地しかなく本当にこんなところに古墳があるのかと思いましたが、無事ありました。
なにこれ?
雰囲気的に、隣接する家のオシャレな庭みたいになってます。周囲を覆う柵も過去の宮内庁が管理する他の陪塚よりいい感じに仕上がっております。
過去にブルーシートに覆われた住宅地古墳を紹介したことがありますが、オシャレ感が段違い。
見た感じでは小さな前方後円墳に見えますが、5世紀前半に築造された円墳です。ただ、全く円墳の面影は残っていません。宮内庁が管理する「履中天皇陵飛び地い号」ということで、中に入ることはできず。
宮内庁が管理しているため発掘調査が行われておらず、出土品・埋葬施設・葺石の有無などの情報は全くありません。案内板もないので、知らない人が見たら完全に柵に囲われた丘です。
古墳名にある「経堂」というのは、寺院で経典を納める建物を意味します。そのため墳丘にお堂があったか、近くに寺があったのではないかと思われます。ただ、近くに寺がある感じは一切ありません。
百舌鳥古墳群の一つですが、ここまで情報が少なく、ビジュアル的に微妙だと世界文化遺産に含まれないのも仕方ありません。
とにかく住宅地ということで、頻繁に人や車も通り謎の丘を激写し続けるのが厳しいので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は、堺市南区にある「経堂古墳」を紹介しました。情報は何もなく、中にも入れず、見た目も微妙という住宅地古墳でした。
ただ、宮内庁が管理する古墳にしては、キレイな柵に囲われたオシャレ仕様という点がとても素敵です。あんまり変なところでやる気を出されても困るので、いつか宮内庁さん調査してください。
という訳で経堂古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、宮内庁管理オシャレ古墳を紹介します。
経堂古墳詳細
古墳名 | 経堂古墳 |
住所 | 大阪府堺市堺区南陵町4丁4−8 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 20m |
高さ | 2m |
築造時期 | 5世紀前半 |
埋葬施設 | 不明 |
被葬者 | 不明 |
参考資料 | なし |