はい、今回は兵庫県宝塚市にある「中筋山手古墳群1号墳(なかすじやまてこふんぐんいちごうふん)」を紹介します。中筋山手古墳群1号墳は、中筋山手古墳群の1つとして、現在公園内に保存されています。
中筋山手古墳群は半数近く失われていますが、1号墳は公園に保存されている貴重な古墳です。そんな訳で、保存された貴重な古墳を確かめるべく、中筋山手古墳群1号墳へ行ってきました。
中筋山手古墳群1号墳とは
中筋山手古墳群1号墳のある、兵庫県宝塚市に来ています。宝塚市には中山寺古墳や中山荘園古墳など、古墳時代後期に築造された有名な古墳が存在。これら古墳時代後期に築造された古墳の大半は、長尾連山に存在します。
中筋山手古墳群も長尾山丘陵に築造された古墳群。1号墳~7号墳により構成され、古墳時代後期に築造されています。開発により半数近く失われ、現在見ることができるのは1、4、7の3基のみ。その中でも1号墳は良い状態で保存されているということで、1987年3月30日に宝塚市の史跡に登録されています。
そんな訳で、今回は中山寺古墳へ行ったついでに、周辺の古墳を回ることに。中筋山手古墳群1号墳は、中山寺古墳から徒歩15分ほどの場所に存在します。
ただ古墳に至るまでの道がキツめの坂道で、運動不足のアラフォーにはハードモード。坂道を歩くことに限界が近づいてきたところで、茂みのようなものが見えてきます。ここが中筋山手古墳群1号墳が保存されている西林公園。1号墳は、中筋山手古墳群の中でも最北端に位置します。
公園といってもベンチがあるぐらいで、特に何があるわけではありません。公園の階段を少し上ったところに、1号墳が保存されています。
中筋山手古墳群1号墳は、6世紀後半に築造された、直径15m、高さ3mの円墳。古墳時代後期の古墳ということで、埴輪や葺石などは存在しなかったようです。
埋葬施設は花崗岩を用いた、両袖式の横穴式石室。全長は約7.6mと規模は大きくありません。玄室に続く羨道は失われたのか、ほとんど確認できませんでした。
柵があるため中に入ることはできませんが、スキマから中を見ることができます。石室は、奥壁は2段積、側壁は4~5段積で構築され、天井石に巨石を2枚使用。側壁は内側に内向する持ち送りの構造で、上部ほど幅が狭くなっています。
また1号墳の特徴として、玄室幅より奥壁幅が狭いという点。これは、奥行を深く見せるために、視覚的な演出ではないかと考えられています。
埋葬方法や副葬品については、発掘調査が行われていないため不明。6世紀後半頃の宝塚一帯は、物部氏に連なる「若湯坐連(わかゆえのむらじ)」が本拠地としていました。1号墳から南西にある中山荘園古墳は、若湯坐連の墓との説があります。同時期に築造された古墳ということで、中筋山手古墳群の被葬者は、若湯坐連に関係する人たちだったのかもしれません。
そんな訳で、一通り見終わったので、墳頂に上ってみました。上るといっても、歩道のすぐ脇にあるので、簡単に行くことができます。ただ上ったところで、何が見えるという訳ではないのですが。
公園には誰もおらず激写し放題なのですが、それ以外に全くすることがないので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は、兵庫県宝塚市にある「中筋山手古墳群1号墳」を紹介しました。中に入ることはできませんが、良好な状態で石室が残されており、見応えがあるのではないでしょうか。中山寺古墳からも近いので、この一帯の古墳を見に行く場合は、ぜひ寄っておきたい古墳です。
そんな訳で、中筋山手古墳群1号墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、公園に保存された古墳を紹介します。
中筋山手古墳群1号墳詳細
古墳名 | 中筋山手古墳群1号墳 |
住所 | 兵庫県宝塚市中筋山手2丁目8 西林公園 |
墳形 | 円墳 |
全長 | 約15m |
高さ | 約3m |
築造時期 | 6世紀末~7世紀初頭 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
石室全長 | 約7.6m |
指定文化財 | 宝塚市の史跡:1987年3月30日 |
出土物 | 不明 |
参考資料 | ・案内板 ・関西学院考古No.4 ・宝塚市ホームページ |
案内板
宝塚市指定史跡
中筋山手古墳群1号墳
指定年月日:昭和62年3月30日
天神川左岸には5基の古墳があり、中筋山手古墳群と呼ばれている。1号墳は、直径約15m、高さ約3mの円墳で、南に開口する両袖式の横穴式石室です。
この石室は花崗岩で造られており、台形状の平面型を呈し、奥行を深く見せるために視覚的な配慮が行われている。石室の全長は、約7.6m、奥壁部分の幅は約1.5mで、天井部に上がる程狭くなる、持ち送りの手法を取り、安定した石室を築いている。
発掘調査は行われていないが、このような石室の状態から見て、6世紀末から7世紀初頭に築かれた、この地方の豪族の墓と考えられる。
保存状態は良好で、この地域の古墳の典型的な形態を持つ古墳である。