はい、今回は大阪府堺市にある「善右ヱ門山古墳(ぜんえもんやまこふん)」を紹介します。善右ヱ門山古墳は、世界文化遺産に登録された百舌鳥古墳群の一つ
そんな世界文化遺産の善右ヱ門山古墳は、百舌鳥古墳群における数少ない方墳として知られています。ただその姿は微妙で、よく分からない姿となっています。微妙な姿での古墳と聞いたからには見に行かずにはいられません。という訳で、その姿を確かめるべく、善右ヱ門山古墳へ行ってきました。
善右ヱ門山古墳とは
善右ヱ門山古墳のある、大阪府堺市に来ています。善右ヱ門山古墳は、百舌鳥古墳群の中央部よりやや南に位置。善右ヱ門山古墳は、西に隣接する「いたすけ古墳」陪塚と考えられています。

いたすけ古墳周辺には、上野芝1号墳、吾呂茂塚古墳、播磨塚古墳、無名塚19号墳、無名塚20号墳、無名塚21号墳が存在しました。しかし開発により大半が失われ、残っているのは、東上野芝1号墳と善右ヱ門山古墳のみ。

そんな訳で、いたすけ古墳をブラブラと回りつつ、善右ヱ門山古墳へやってきました。

なにこれ?
謎の茂みと化していますが、これが善右ヱ門山古墳です。上からみると三角形に見えますが、本来は四角い方墳。

善右ヱ門山古墳という古墳名からして、人名が由来となったように思いますが、詳細は不明。同じ百舌鳥古墳群にある「源右衛門山古墳」は、土地の所有者が由来でした。もしかすると、善右ヱ門山古墳も善右ヱ門さんの土地だったのかもしれません。

善右ヱ門山古墳は、5世紀前半に築造された一辺28mの方墳。古墳は2段に築成され、2段目の平坦部には円筒埴輪が並べられていました。

円筒埴輪は南側で1.7m、西側で2mという広い間隔で並べられていました。これほど広い間隔で円筒埴輪が並べられていた古墳は、百舌鳥古墳群において例がないとのこと。


過去の発掘調査により、墳丘には葺石が敷かれ、周囲に濠が存在しなかったことが分かっています。埋葬施設は不明ですが、墳頂部に窪みがあることから、既に盗掘を受けていると考えられています。

善右ヱ門山古墳は、隣接する「いたすけ古墳」とほぼ同時期に築造されています。また距離も近いことから、善右ヱ門山古墳の被葬者は、いたすけ古墳の被葬者の関係者と考えられます。

という訳で、現在の善右ヱ門山古墳を見てみましょう。善右ヱ門山古墳は、老人ホームの敷地内に存在します。墳丘の北側は道路で一部削平されているほか、南側も施設の建物により一部削平を受けています。
こちらが南からみた善右ヱ門山古墳。全力で茂みです。

こちらが西側からみた善右ヱ門山古墳。やはり全力で茂みでした。お疲れ様でした。

そんな訳で、どこから撮影しても茂みでした。通行人からみると、茂みマニアにしか見えないので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、大阪府堺市にある「善右ヱ門山古墳」を紹介しました。変わった名前だけでなく、形までも変わった(変わり果てた)姿の古墳でした。街中にある古墳ではよくある光景ですが、全て無くならなかっただけマシなのかもしれません。
そんな訳で、善右ヱ門山古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、変な名前の微妙な形の古墳を紹介します。
善右ヱ門山古墳詳細
古墳名 | 善右ヱ門山古墳 |
住所 | 大阪府堺市北区百舌鳥本町3丁431 |
墳形 | 方墳 |
全長 | 28m |
高さ | 3m(現存) |
築造時期 | 5世紀前半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 不明 |
国の史跡 | 2014年3月18日 |
世界文化遺産 | 2019年7月6日 |
出土物 | 円筒埴輪 |
参考資料 | ・案内板 ・百舌鳥古墳群をあるく |
案内板
善右ヱ門山古墳は、いたすけ古墳の後円部南東側の堤に接する位置にあり、築造時期も近いことからいたすけ古墳と関わりのある古墳(陪塚)と考えられています。いたすけ古墳の北東にあった吾呂茂塚古墳は、造られた場所や古墳の向きから善右ヱ門山古墳とともにいたすけ古墳の陪塚とみられます。
過去の発掘調査によれば、周囲に濠が巡らないことや、墳丘が2段に築かれ、1段目と2段目斜面の間の平坦部には礫が敷かれて、円筒埴輪の巡ることがわかりました。円筒埴輪は南側で1.7m、西側で2mという広い間隔で並べられていることが特徴です。百舌鳥古墳群において、これほど広い間隔で埴輪が並ぶ古墳はほかにありません。