はい、今回は大阪府寝屋川市にある「太秦高塚古墳(うずまさたかつかこふん)」を紹介します。かつてこの地には「太秦古墳群」が存在しましたが、開墾や開発により大半が消滅。太秦高塚古墳は、太秦古墳群で唯一生き残った古墳として知られています。
そんな太秦高塚古墳は、現在築造時の姿に復元され、公園として整備されています。古墳群の生き残りで、整備されたイージー古墳と聞いたからには見に行かずにはいられません。そんな訳で、太秦高塚古墳のある大阪府寝屋川市に行ってきました。
公園に整備されたイージー古墳
太秦高塚古墳のある、大阪府寝屋川市に来ています。寝屋川市に現存する古墳は、数が少ない上、それぞれ離れた場所に存在するので、回るのがなかなか難儀します。
しかも、太秦高塚古墳の周辺には車を停められる場所がありません。また古墳の近くまでバスが通っているのですが、1時間に1本という過疎ダイヤでタイミングがあわず。仕方なく寝屋川公園の駐車場から、30分かけて徒歩で向かうことに。炎天下で、わりと死ねます。
全く日陰のない道をひたすら歩き続けて、ようやく太秦高塚古墳に到着。ここは太秦丘陵と呼ばれており、太秦高塚古墳はその一番高い場所に築造されています。
付近には、小金塚、向ヒ塚、廻し塚、モロ塚、上ノ山、墓ノ山、松谷山、段谷山などの地名が確認されています。塚、墓、山など古墳を連想させる地名であることから、かつては多くの古墳が存在したと考えられています。ただ現在は、周辺は住宅地として開発されており、古墳が存在した形跡は全くありません。
元々太秦高塚古墳は、私有地でしたが、後に寝屋川市が購入。1997年11月3日に寝屋川市の指定文化財に登録され、2002年4月1日に「太秦高塚古墳公園」として整備されています。
太秦高塚古墳の名前が刻まれた石碑には、寝屋川市の案内板ではおなじみの「鉢かずき姫」が用いられていました。
太秦高塚古墳は、5世紀後半に築造された円墳。古墳の北側には「造り出し」と呼ばれる突出部が存在しており、これを含めると全長39mの規模となります。
墳丘には葺石が確認されておらず、築造時から存在しなかったとのこと。
という訳で、古墳の周りを巡ってみます。太秦高塚古墳には幅約7.5m、深さ2mの周濠の存在が確認されています。周濠も復元されていますが、見た感じ幅は7.5mもなさそうなので、築造時と同じではなさそうです。
こちらが太秦高塚古墳の北側で、手前の突き出た部分が「造り出し」になります。
こちらが南側で、墳丘には階段が設置されています。
古墳は2段に築成されており、1段目のテラス(平坦部)には円筒埴輪が並べられていたとのこと。現在は、円筒埴輪列も再現し並べられています。
1段目のテラスの北側では、造り出しを再現し埴輪が並べられています。造り出しからは、人物・水鳥・鶏・家・盾・衣蓋など多種多様な形象埴輪が見つかっており、祭祀の場であったと考えられています。
太秦高塚古墳は、一番上まで上ることができるので行ってみましょう。ちなみに墳頂には、円筒埴輪ではなくなぜか生垣に囲まれていました。
墳頂には埋葬施設が設けられていましたが、盗掘により大きく破壊されています。埋葬施設は墳頂の東側にあり、木棺を直葬したと考えられています。
副葬品として、短甲、鉄剣、鉄鏃(やじり)、鉄斧、鐙(あぶみ)が出土。武具が多いことから、おそらく男性が埋葬されていたと思われます。
墳頂の中心ではなく、東側に埋葬施設があったことから、築造時には西側にも対なる埋葬施設が存在したと考えられています。被葬者は不明ですが、この一帯を治めていた豪族の墓と思われます。
寝屋川市を含む北河内には、巨大前方後円墳は築かれていません。おそらく、古墳時代の北河内西部は「河内湖(湾)」と呼ばれる湖(湾)が存在したことが関係するのかもしれません。今よりも陸地が少なく、大きな力を持つ豪族が生まれにくい時代だったようです。
という訳で一通り見終わったので、バスで戻ろうかと思ったら古墳上にいるときに、バスが来て去って行きました。炎天下の中、1時間待つ訳にもいかないので、泣きながら歩いて帰ることにしました。
まとめ
今回は、大阪府寝屋川市にある「太秦高塚古墳」を紹介しました。とても再現性が高いイージー古墳ということで、古墳ファンも納得の古墳ではないでしょうか。案内板も設置されており、情報も充実しているのは、さすが市の指定文化財であると感じます。ただパーフェクト過ぎてB級古墳好きとしては、ツッコミどころが少なく少し寂しいところです。
そんな訳で、太秦高塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、復元されたパーフェクトイージー古墳を紹介します。
太秦高塚古墳詳細
古墳名 | 太秦高塚古墳 |
住所 | 大阪府寝屋川市太秦高塚町1−358 |
墳形 | 円墳 |
全長 | 39m |
高さ | 7m |
築造時期 | 5世紀後半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 木棺直葬 |
指定文化財 | 寝屋川市の史跡:1997年11月3日 |
出土物 | 円筒埴輪、朝顔型埴輪、形象埴輪、鉄剣、鉄鏃、鋲留短甲、小札、木心鉄板張和鐙、大型鋳造鉄斧 |
参考資料 | ・案内板 ・寝屋川市史 |
案内板
太秦高塚古墳は、秦・太秦の丘陵上に所在する太秦古墳群で、唯一現存する古墳です。2001年(平成13年)の発掘調査によって、古墳の形状や保存状況がわかりました。古墳は、全長39m、墳丘部の直径37m、高さ7mで、2段に築かれていることがわかりました。1段目の平坦部(テラス)には、円筒埴輪列が巡ってることが確認されました。また、古墳の周りには、幅約7.5m、深さ2mの濠が残っていました。
北西側には、「造り出し」と呼ばれるまつりを行なっていたと考えられている区画が付いていることがわかり、ここから人物・水鳥・鶏・家・盾・衣蓋などの形をした埴輪や土器が集中して見つかりました。
古墳の墳頂には盛土が大きく流出して大きく変形していましたが、東側で主体部の一部が残っており、南側より短甲(よろい)・鉄鏃(やじり)・鉄斧(おの)・鎧(あぶみ:馬具で足をかける道具)などの副葬品の鉄器がまとまって出土しました。墳頂部の大きさから西側にも主体部があったと思われます。
出土した埴輪や土器などから、太秦高塚古墳は5世紀の後半に築かれたと考えられます。
古墳は、発掘調査後に盛土をして保護し、築かれた当時に近い状態に復元を行いました。