はい、今回は奈良県平群町にある「椿井宮山古墳(つばいみややまこふん)」を紹介します。一般的な横穴式石室は、奥壁、側壁、天井石により構成されています。
しかしこの椿井宮山古墳は、天井石を用いないドーム状の横穴式石室という、珍しい古墳として知られています。そんな珍しいドーム状の古墳と聞いたからには見に行かずにはいられません。そんな訳で「椿井宮山古墳」のある、奈良県平群町へ行ってきました。
椿井宮山古墳とは
椿井宮山古墳のある、奈良県平群町に来ています。西に生駒山地、東に矢田丘陵に挟まれた平群町は、古代の名族「平群氏」の本拠地ともいわれています。矢田丘陵側には、主に古墳時代後期の古墳が多数存在し、そのうち椿井宮山古墳を含めて、6基を見ることができます。
今回は、矢田丘陵側の古墳を巡りながら、椿井宮山古墳へ。椿井宮山古墳は山の中腹にあるため、そこそこの坂道を上っていく必要があります。集落の細い道を抜けると「椿井井戸」の標識が見えてきました。

この標識の後ろには、知らないと絶対に気が付かないのですが「椿井北古墳」が存在します。擁壁の上にある上、奥壁と側壁の一部しか残りませんが、切石を用いた精巧な古墳だったようです。

椿井宮山古墳は、椿井北古墳から徒歩5分ほどの場所にある、春日神社の境内に保存されています。ちなみに、ここから少し北にも同名の春日神社があり、その裏手に「平等寺東古墳」が存在します。近くに同名の神社があり、それぞれ古墳が存在するというのも珍しいのではないでしょうか。

ちなみに先程出てきた「椿井井戸」は、春日神社の境内に存在します。かつて、蘇我馬子と物部守屋が争った際、平群を本拠地とする平群神手は、蘇我氏側として戦っていました。平群神手は、戦況が不利のため先勝祈願に訪れた際、この場所に椿の枝を突き刺すと一夜のうちに芽を吹き、泉が湧いたと伝わっています。このエピソードが「椿井」という地名の由来とのこと。

こちらが春日神社の拝殿。春日神社の由緒は不明のため、詳しいことは分かっていません。現在は、天児屋根命を祭っていますが、もともとは平群氏が祖神を祭るために創建したとの説も。実はこの春日神社、椿井宮山古墳から出土した「兜」を祀っていたことから「兜大明神」とも呼ばれていたとのこと。ただ肝心の兜は盗難をうけ、現在は失われているそうです。

目的の椿井宮山古墳は、拝殿の西側に存在。椿井宮山古墳は個人が所有しているということで、普段は中に入ることができません。ただ今回は、幸運なことに年に2回の公開日ということで、中に入らせていただきました。

椿井宮山古墳は、5世紀後半に築造された東西26m・南北24m、高さ7.1mの円墳。もともと古墳の東側には椿井城が築かれており、古墳は土塁により改変を受けています。そのような扱いを受けていますが、石室は良好な状態で残っていました。
埋葬施設は、南側に開口する右方袖式の横穴式石室。玄室は長さ4.2m に対して、羨堂は0.8mと非常に短い構造。中に入る時も、羨道の存在はあまり感じませんでした。

椿井宮山古墳の玄室は、一辺4.1m、高さ3mの正方形。一般的な横穴式石室は比較的大きめの自然石を2~4段ほどで側壁を積み、巨大な天井石を上部に乗せます。椿井宮山古墳は、小型の自然石や割石を無数に積み上げた珍しい構造。
奥壁の中央上下2ヶ所に石材を窪ませた場所が確認されています。確かなことは不明ですが、燭台を置くための場所ではないかとのこと。ちなみに場所を教えてもらったのですが、微妙な形なので改めてみるとどこだったか忘れてしまいました。
石室の構造は、底から中段にかけては垂直に石を積み上げ、中段から上部にかけては、四方から狭くなる「持ち送り」と呼ばれる形式。持ち送りは、多くの石室でも取り入れられていますが、椿井宮山古墳の特徴は、天井石を用いずドーム状に小型の石を積み上げている点。この構造は、穹隆状の石積と呼ばれる形式で、北九州や朝鮮半島の石室に用いられていたとのこと。

横穴式石室は、九州では古くから用いられてきましたが、近畿においては5世紀後半に広がり出したと考えられています。この椿井宮山古墳は、近畿における初期の横穴式石室ということになります。そうした大変貴重な史跡ということで、1969年に、奈良県の指定文化財に登録されています。
椿井宮山古墳の被葬者は不明ですが、近畿においてかなり早い段階から横穴式石室を取り入れていることから、九州か朝鮮半島と強いつながりを持つ人物だったのかもしれません。
という訳で、ボランティアさんにも詳しく古墳について教えていただき、大満足できる古墳巡りでした。
まとめ

今回は、奈良県平群町にある「椿井宮山古墳」を紹介しました。普段は入ることのできない石室ですが、偶然石室内を見学させていただきとてもラッキーでした。今まで見たことのないドーム状の姿は圧巻で、見応えのある古墳といえます。年に数回見学会があるそうなので、機会があれば訪れてみてはいかがでしょうか。
という訳で、椿井宮山古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、ドーム状の構造を持つ珍しい古墳を紹介します。
椿井宮山古墳詳細
古墳名 | 椿井宮山古墳 |
別名 | なし |
住所 | 奈良県生駒郡平群町椿井1278 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 東西26m・南北24m |
高さ | 7.1m |
築造時期 | 5世紀後半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 右方袖式横穴式石室 |
石室全長 | 5m |
指定文化財 | 奈良県の史跡:1969年3月28日 |
出土物 | なし |
参考資料 | ・案内板 ・平群町史 ・ふるさとへぐり再発見6 |
案内板
県指定史跡
宮山塚古墳
昭和44年3月28日指定
椿井の氏神、春日神社西側の民有地(所有者乾義弘氏)に所在する円墳で、東西26m、南北24m、高さ約7.1mの円墳。
主体部は南に開口する古式の横穴式石室で、玄室は長さ4.2m、幅2.9m、高さ約3.2mの正方形に近い平面プランで、玄室の奥より見て右側に袖のある右片袖式石室。
玄室の四壁は、下半が垂直に積まれるが、上半部分は内側に持ち送られたドーム状を呈し、明確な天井石はない。羨道も長さ0.8m、幅1mと非常に小さい。奥壁中央の上下二ヶ所に、石材の窪んだ場所があり、燭台を配置する龕状施設と推定されている。
特殊な石室構造より5世紀後半~末頃の築造で、近畿地方の導入段階の完存する横穴式石室として貴重な存在である。
墳丘は東方の山頂稜線に築城された中世城郭・椿井城への登り口施設に取り込まれ、墳頂部が平坦に、墳丘が方形に加工されており、墳丘北東には土塁が築かれている。
平成17年3月
奈良県教育委員会