はい、今回は大阪府堺市にある「塔塚古墳(とうづかこふん)」を紹介します。塔塚古墳は、畿内では初期の横穴式石室を有する古墳として知られています。
そんな貴重な古墳ということで、平成5年に大阪府の指定文化財に指定されていますが、周囲は住宅地とフェンスに囲まれている上、見た目は完全な茂み。そんな中に入られない指定文化財の茂み古墳と聞いたからには、見に行かずにはいられません。ということで、大阪府堺市にある「塔塚古墳」へ行ってきました。
塔塚古墳とは
塔塚古墳のある、大阪府堺市に来ています。堺市の古墳といえば「百舌鳥古墳群」が世界文化遺産に登録されたことで知られています。同じ堺市にある塔塚古墳ですが、百舌鳥古墳群の南端にある乳岡古墳から南に2kmほど離れています。距離的なことが理由かは不明ですが、塔塚古墳は百舌鳥古墳群には含まれていません。
そんな訳で、大鳥大社に行ったついでに塔塚古墳へ寄ることに。大鳥大社は、大鳥連が祖神を祀るために、創建されたと伝わっています。現在は、日本武尊と大鳥連を祀っていますが、元々は大鳥連の祖神を祀っていたと考えられています。

大鳥神社の北側には、縄文時代から中世にかけての集落跡「四ツ池遺跡」が存在します。四ツ池遺跡は、泉北丘陵から大阪湾にかけて流れる「石津川」に沿いの大集落で、この一帯は古くから栄えていたようです。
という訳で、大鳥大社から徒歩10分ほどの場所にある、塔塚古墳へ向かいます。元々、塔塚古墳の周辺には他に「経塚古墳」「赤山古墳」「高月古墳」が存在し「四ツ塚古墳群」と呼ばれていました。開発により大半は失われ、現在四ツ塚古墳群で現存するのが塔塚古墳のみ。
塔塚古墳一帯は住宅地が広がっており、古墳の周辺でも新しい家が建てられつつあります。この空き地が住宅地になるのも、時間の問題でしょう。

塔塚古墳は、5世紀中頃に築造された、一辺42.5mの方墳。高さは4.4mで、三段に築成されていると考えられています。周囲には堀が存在したようですが、現在はすべて埋め立てられています。堀からは円筒埴輪や盾形埴輪が出土していたことから、墳丘には埴輪が用いられたことが分かっています。ただ、葺石が敷かれていたかは不明。副葬品として勾玉、玉類、馬具、武具、銅鏡などが出土しています。
埋葬施設は、横穴式石室と木棺直葬が確認されています。横穴式石室は明治時代に盗掘に会い破壊され、基底部しか残されていないとのこと。横穴式石室は朝鮮半島から影響を受けたと考えられており、九州においては早い段階に採用されていました。しかし近畿においては5世紀中頃の段階では、まだ竪穴式石室や粘土槨が主流でした。その中で、塔塚古墳は早い段階で横穴式石室が採用されており、近畿では最古級とのこと。
そんな訳で塔塚古墳は、北側からは間近に見ることができるので、行ってみることに。こちらが塔塚古墳の北側になります。工事現場で使われるフェンスが張り巡らされて、古墳の中に入ることはできません。フェンスのボロボロ感と相まって、荒廃感を醸し出しています。

真冬にもかかわらずこの茂みなので、中に入られたとしても、何が何だか分からないでしょう。フェンス越しに墳丘を撮影してみましたが、全力で茂みしか見えませんでした。

西側にある駐車場から、少し墳丘を確認することができます。ただこちらから見ても全力で茂みでした、お疲れ様でした。

茂みしか堪能できない塔塚古墳ですが、大阪府の指定文化財に登録されています。一般的に指定文化財の古墳には、案内板を設置しています。しかし塔塚古墳は、どこを探しても案内板はありません。案内板を設置できそうな場所もあり、情報もそろっていますが、なぜ案内板を置かないのか不思議なところ。
そんな訳で、住宅密集地で謎の茂みを激写し続けていると不審者満載なので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、大阪府堺市にある「塔塚古墳」を紹介しました。近畿における初期の横穴式石室を持つ、貴重な史跡でした。ただ周囲は住宅地とフェンスに囲まれており、中に入ることはできません。しかも見た目も茂みが広がるだけなため、茂みファンしか盛り上がれないでしょう。
そんな訳で、塔塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、住宅地とフェンスに囲まれた中に入れない指定文化財古墳を紹介します。
塔塚古墳詳細
古墳名 | 塔塚古墳 |
住所 | 大阪府堺市西区浜寺元町6丁 |
墳形 | 方墳 |
一辺 | 42.5m |
高さ | 4.4m |
築造時期 | 5世紀中頃 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
指定文化財 | 1993年7月26日 |
出土物 | 硬玉製勾玉、ガラス製勾玉、丸玉、小玉、粟玉、刀剣、短甲、木心鉄張輪鐙、轡、金銅製鞍金具、円筒埴輪、盾形埴輪 |
参考資料 | 百舌鳥古墳群をあるく 浜寺元町遺跡 |