高安千塚古墳群概要
高安千塚古墳群は、主に6世紀から7世紀にかけて築造された古墳群。その名の通り、多くの古墳が密集していることから「千塚」と呼ばれています。
かつては565基もの古墳があったとされていますが、現在でも230基もの古墳が残っています。これらの古墳は主に「大窪・山畑支群」「服部川支群」「郡川北支群」「郡川南支群」の4つの支群に分けられています。
被葬者については不明ですが、一部の古墳からは、朝鮮半島との関わりを示す「韓式系土器」が出土しており、渡来系の人々が含まれていた可能性も指摘されています。2015年に一部の古墳が国の史跡に指定され、整備が進んでいます。
高安千塚古墳群記事
服部川支群
服部川支群は、大阪府八尾市に広がる高安千塚古墳群の中でも、最も多くの古墳が集中する中核的なエリアです。南北約300m、東西約500m、総面積およそ18.8万㎡の範囲に137基の古墳が密集しており、これは古墳群全体の現存230基の中でも最多を誇ります。
この支群は、その規模だけでなく、学術的な重要性にもあります。明治時代には外国人研究者モースやガウランドが訪れ、全国的にも珍しい「二つの石室をつなげた構造」を持つ服部川25号墳(二室塚古墳)などが注目されました。
石室の石材には、山麓の片麻状黒雲母花崗岩が使われており、近くの谷や旧石切場などから調達されたと考えられています。
現在、史跡として指定されている範囲には102基の古墳があり、多くは農用地に指定された畑や植木畑の中に点在しています。保存状態は良好なものから損壊・露出・半壊にいたるまで様々で、保存管理や植木の繁茂、資材置き場化などの課題も残されています。
服部川8号墳
墳形 | 円墳 |
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規模 | Φ17m×H4m |
埋葬施設 | 横穴式石室 (右方袖式) |
神光寺の墓地内にある古墳で、すぐに見つけることができます。羨道の一部が失われているようで、石垣と一体化していますが、服部川支群では石室内に入りやすい古墳の一つです。埋葬施設は、南側に開口した全長6.3mの右方袖式の横穴式石室。玄室は、長さ4.2m、幅2.3mの長方形。高さは土砂で埋没していることもありますが、現状2.7mを測ります。玄室は、中型の石材を4~5に積み上げた構造。一部の石材に、平滑にする加工が施されているように見られます。








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ACSESS服部川9号墳
墳形 | 円墳 |
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規模 | Φ15.05m×H4m |
埋葬施設 | 横穴式石室 (右方袖式) |
神光寺の墓地の少し奥にある古墳で、こちらも歩道沿いにあるため、見つけやすい古墳です。羨道はほとんど失われているようで、また玄室内は物置になっています。入口付近に土砂が溜まっており、玄室へは少し降る感じです。埋葬施設は、南側に開口した全長7.2mの右方袖式の横穴式石室。玄室は、長さ3.8m、幅2.6mの長方形。高さは土砂で埋没していることもありますが、現状2.8mを測ります。




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ACSESS服部川61号墳【国の史跡】
墳形 | 円墳 |
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規模 | Φ18.6m×H4.2m |
埋葬施設 | 横穴式石室 (右方袖式) |
全長6.8mの横穴式石室を有する円墳です。道の脇に横穴式石室が露出していますが、ほとんど埋まっており、中に入ることも見ることもできません。国の史跡。




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ACSESS服部川62号墳【国の史跡】
墳形 | 円墳 |
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規模 | Φ18.6m×H3.8m |
埋葬施設 | 横穴式石室 (右方袖式) |
全長7.6mの横穴式石室を有する円墳です。現在羨道は埋まり、上部の石材が抜き取られています。玄室の奥壁に凝灰岩製の組合式石棺の底板が存在したらしいですが、現在はゴミが放り投げられて見るも無残な姿になっています。








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ACSESS服部川63号墳【国の史跡】
墳形 | 円墳 |
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規模 | Φ16m×H2.9m |
埋葬施設 | 横穴式石室 (右方袖式) |
直径16mの円墳。羨道の大半は失われており、側壁の一段目だけが残るのみと資料にあります。ただ、石室は崩れて全体的にもよく分からない状態。こちらも石室内にはゴミが多数あり。








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